九想話

ブログ以前から書き始めて、21年目になります。



11月の反省会

2005年11月30日 | Weblog

九想話をブログにして1ヶ月がたった。
分からないこともあり、あたふたしました。
ある日、ブログでは「これまでの九想話」のように、
過去の標題の記録が残らないことに気づいた。
これは困った。

どうしょう、九想庵を訪れる旅のひとには、
過去の九想話なんてどうでもいいでしょうが、
私にとっては“一大事”なのです。
ときどき、九想話を書いていて、
(このことは前に書いたかな)と思うときがある。
そのとき、その九想話を読みます。
それを探すとき、過去の標題の記録がないと困るのです。
やっぱりブログはやめて、以前の形に戻そうかなと真剣に悩んだ。
ない頭で考えました。月末に、それを書いておこう、と。
ブログにはカレンダーがある。
その日をクリックすればその日の九想話が読める。
せっかく“流行りのブログ”にしたんだ。
だいたい時代遅れの私です。九想話ぐらい時流に乗せたい。

せっかくだから、トップページに日々載せている俳句もくっつけておこう。
句会を抜けて、俳句をやめるのがいやで
毎日ひねってやろうと決意したが、呑んべの九想、
そうは問屋が卸さない、何日か落ちてます。
どれもへぼですが、よかったらまあまあだと思うのを
一句選んでいただけると嬉しいです。

今月もあわただしく過ぎてしまいました。
やりたいことの半分もできなかった。
今年もあと1ヶ月、忸怩たる思いを払拭して、
最後の月を精一杯生きていく…、ツモリデス。
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11/1  ブログでの船出
11/2  いちべつもされない
11/3  本籍地                目の前に光り少なしそぞろ寒
11/4  不屈の四番打者金本知憲   足裏よりのぼる寒さや暮の秋
11/5  ぜいたくなライブ             黄落やうらとこバイパス陽も沈む
11/6  本田美奈子さん死去        白露や死んでいく人どこの空
11/7  プロ試験合格              立冬になって過ぎたる日を憂い
11/8  女房の頭の中の消しゴム     遠い日をねじ曲げてみる今朝の冬
11/9  第3のビール               安酒をかわす友あり冬ぬくし
11/10  所沢駅東口の朝           冬めくや可愛いやつらと街を行く
11/11  楽家で酔う                 冬浅し心うきうき楽家かな
11/12  木枯らし1号                こがらしにからだあづける
11/13  姉からの電話              空っ風子ども群がる駄菓子屋に
11/14  へちま亭文章塾            水洟や通所者の頬真っ赤っか
11/15  みっちゃん
11/16  お風呂の話                冬の星ぜんぶまとめてポケットに
11/17  お風呂の話 2              着ぶくれて横町をゆく二人かな
11/18  お風呂の話 3              垢で死んだひとはいない霜柱
11/19  ぬかよろこび               冬ざれの戻る車窓に友の顔
11/20  詩人の“読み”               冬すでにわれ人生に立ちつくす
11/21  高橋尚子                  新宿も光なければ冬野かな
11/22  ALWAYS三丁目の夕日       三丁目夕日哀しく息白し
11/23  日暮里から秋葉原           冬ざれやケーナは響く電気街
11/24  あずき                     ささくれし心をいやす小豆かな
11/25  酔っぱらい
11/26  大阪からの訪問者1          湯気の中知らないひとと語り合う
11/27  大阪からの訪問者2
11/28  夢・ミュージカル1              くさめして人生知らないことばかり
11/29  夢・ミュージカル2              冬木立すがたかたちはちがっても
11/30  11月の反省会               冬耕やわれは毎日駄文書く

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夢・ミュージカル2

2005年11月29日 | Weblog
最初に、おじいさんとおばあさんが登場してきた。
「桃太郎」のお話が素になっているのだから不思議はない。
そして、おじいさんは山に…、おばあさんは川に…、
ということになり、川の上から大きな桃が…、となる。
ところが、ちょっと普通と違うことがある。
おじいさんもおばあさんも桃も、
その中にいるももたろうも複数なんです。

パンフレットを見ると、
ももたろうが6人、きびだんごが4人、おじいさんが2人、
おばあさんが5人、犬が6人、サルが4人、きじは3人…。
物語が展開してくると、舞台の上はすごい人数になった。
それぞれの役には、施設の職員、出演サポーターがいた。
この人たちが台詞をいい、歌をうたい、
ミュージカルを進めていく。
障害者の人たちがそれに合わせて台詞をいい、歌をうたった。

ストーリーは、鬼退治に行くことまでは同じだが、
鬼をやっつけはしない。
聴けば、鬼たちは何も悪いことはしていないという。
ももたろうは、鬼たちを村に連れて帰る。
村人たちはびっくりする。
「すがたかたちが違っても、みんなで仲良く、
 助け合い暮らしていくことを心に誓うのでした!」
ということがテーマのようです。(原作 松居直)

観ていて、正直、収拾つかない感じだった。
しかし、みなが一所懸命“演じている”ので胸を打つ。
私は涙を流しっぱなしでした。
ミュージカルということで救われる。
曲がよかった。
バックの演奏は所沢高等学校吹奏楽部なんです。
舞台の奥でフルメンバーが演奏していた。

感動とは違う、心熱くなるステージでした。
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夢・ミュージカル1

2005年11月28日 | Weblog
土曜日、「夢・ミュージカル」第4回公演を女房と観に行った。
「夢・ミュージカル」は、知的障害者が演じるミュージカルです。
副実行委員長をしている女房の昔の職場の人が招待してくれた。

最初、それほど行きたいと思わなかった。
福祉施設で働いている私ですが、
なぜかこういう催しは遠慮したい。
せっかくの休み、自分のふだんできないことをやりたかった。

所沢市民文化センター、ミューズ中ホールはほぼ満員だった。
開演午後2時なので、1時50分に入ったのだが、
空席を探すのが大変だった。
前から5列目の中程に坐った。
受付でもらったパンフレットを見ると、
うちの作業所の女の子が1人参加していた。
私はそれを知らなかった。

トイレから帰るとき、「おぎわらさん」と呼ばれた。
声のほうを見ると、通所者の I さんの笑顔があった。
お父さんとお母さんの間に太った身体で坐っていた。
私は近づき、両親に挨拶して、
「 I さんこんにちは。今日は、Aさんが出るよ。
 ちゃんと観るんだよ」といった。
「知ってるよ」と嬉しそうだった。

客席のあちこちに障害者がいる。
家族と来ているのだろう。
私は正直、障害者を見るのは“苦手”です。
知らずしらずに涙が出てしまう。

2時10分、始まりの挨拶があった。
その知的障害者の挨拶を聞いているだけでだめです。
涙がじくじく出てきてよくステージが見えない。

舞台の上手に、
オーボエ、ファゴット、クラリネット、バスクラリネット登場。
いよいよ物語が始まるという感じのアンサンブル演奏だ。
そのあと、拍子木がリズムを刻み、
しばらくしてピアノのメロディーが流れた。
緞帳が上がった。どのようにミュージカル
「ももから生まれたももたろう」が展開するのかな?と思った。
なにしろ役者は知的障害者なのだ。

                       つづく
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大阪からの訪問者2

2005年11月27日 | Weblog
私はすぐ日本酒をお代わりした。
Mさんも最初の生ビールが終わった。
私は焼酎「楽家」を勧めた。
これの中身は「銀座のすずめ」なんですが、
マスターがデザインした「楽家」のラベルが貼ってある。
お訊きするとMさんは、酒はあまり沢山飲まないという。

20年ほど前、Mさんは、
所沢の小手指で喫茶店を経営していたという。
なんと昔芝居をやっていたらしい。
それを聞いて私は嬉しかった。
30前まで大阪で公務員をしていたが、
それで人生が終わると思うとイヤで、上京して芝居を始め、
日本全国を芝居の公演のために旅していたという。
しばらく演劇談義になった。
私はアマチュア劇団で5、6回ほど舞台に立っただけだ。
それでも“いっちょまいに”芝居のことを語ってしまった。
芝居で食えないので喫茶店を始めたらしい。

いろいろ沢山話をしました。
プライベートなことなのでここには書きません。
楽しかった。九想話を書いてきてよかったと思った。
日々、他人(ヒト)にはどうでもいいことを書いているが、
そんなもんでも読んでくれる人がいて、
なんと大阪から会いに来てくれた。
いえ、当然わざわざ来てくれたわけではありません。
東京で仕事があり、そのついでに寄ってくれた。
それでもこんな嬉しいことはない。
上京して忙しい時間の中で私と付き合ってくれたのです。

12時過ぎまで飲み、語り合いました。
楽家を出る前に私はトイレに行った。
用をたして戻るとママが、
「おぎちゃん、お金いただきましたから」なんていう。
今夜の支払いは私が全部すると考えていた。
女房からもそうするようにきつくいわれていた。
おくれをとりました。

楽家を出て、タクシーを拾うところまでご一緒した。
ほんとうに楽しい夜を過ごさせていただいた。
その上、おみやげもいただいてしまった。
阪神優勝のこもかぶり、涙が出ます。

Mさん、ほんとうにありがとうございました。
今度、私が大阪に行くことがありましたら、
ぜひ、付き合って下さい。
また楽しいひとときを過ごしたいと思います。
そのときは、私に払わさせて下さい。
よろしくお願い致します。
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大阪からの訪問者1

2005年11月26日 | Weblog
昨夜、九想話のファンだという人が会いにきてくれた。
ASAHIネットの「かしの木亭談話室」というところに
私は九想話を書いてきた。
2001年に九想庵を立ち上げ、九想話を毎日書いているが、
今でも「かしの木亭談話室」にはUPしている。
その人はそこで読んでくれているという。

11月初旬にメールが来た。
「楽家を紹介してもらえないか」と。
一昨日あらためてメールが来たので、
楽家で待ってていただけないかと、
楽家までの地図を書いたメール返信した。

昨日仕事が終わったのが午後7時だった。
それから必死になって車は飛ばさず急いで帰ってきた。
私が楽家の引き戸を開けたのが7時45分だった。
「おぎちゃん、お帰り」とママの声。
「こっちがあいてるよ」とK池さん。
「ええと…、おれ、今日は待ち合わせしてるんだ」
「誰と?」
「会ったことない人と…」
「なに? それ…」

カウンターの右端に“知らない”人がいた。
その人が“九想話のファン”かなと思った。
落ち着いたジャケットを着たきちんとした方だった。
(間違ったらどうしよう)
私はというと着替えないできたので、
ポロシャツの上にユニクロのよれよれの防寒ジャケット、
それに“つぎはぎだらけのジーパン”をはいていた。

おそるおそる声をかけた。
「Mさんですか?」
「はい、そうです」
「ママ、おれの待ち合わせの人はこのひとでした」
「………」
私は、Mさんの隣に坐り、生ビールを注文した。

何を話したらいいか、悩んだ。
なにしろ初対面なのだ。
「何時頃着きました?」なんてあたりさわりのないことを訊いた。
私は急いでビールを飲んだ。
なにしろ早く酔わなくてはいけないと考えた。
酔ってしまえばこっちの勝ちだ(勝ってどうする?)。
お腹も空いていたのでおでんを頼んだ。
なぜか大好きな刺身がなかった(鯨の刺身なんかがあった)。
いつも“第3のビール”を飲んでいる私だが、
久しぶりの“本物のビール”を楽しむ余裕がない。

飲み終わって日本酒を注文する。
愛媛の道後のなんとかという酒があるとママがいう。
なんでもいいから日本酒で“酔い”に突入したかった。

(明日も仕事ですので、今夜はここまでにします)
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酔っぱらい

2005年11月25日 | Weblog
今日は、大阪から訪ねてこられた方と飲んでます。
明日書きます。
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あずき

2005年11月24日 | Weblog
  いつまでも父母遠し新小豆   石田波郷

今日は、いつもしている会社とは違うところの仕事もした。
同じ市場のパッケージ会社から頼まれた仕事だ。
そこは、パートの女性を10何人使って、
野菜果物のパッケージをしている。
かなりの量のパッケージをしている。
うちで仕事が多いときは手伝ってもらうこともある。

あずきをシールを貼ったポリ袋に300g入れて結束し、
それをみかん箱に20パック入れるという作業だった。
30kg入りの袋が6袋ある。
「小豆」と「福勝(ふくまさり)」と書いてある。
「小豆」は、当たり前のことだが「あずき」です。
大きさが2ミリほどだ。
「福勝」は5ミリほどの大きさだ。
今、ネットで調べたら「いんげん」の仲間だった。

なぜ今夜の九想話にこんなことを書こうと思ったのは、
あずきが綺麗だったからです。
通所者に、だいたい300g前後ぐらい袋に入れさせる。
それを計り、あずきを入れたり出したりして300gに調整する。
最初、ボランティアの女子大生に計ってもらっていた。
私は、トマトをラップしたり、物をフォークで運んだりしていた。
時間的に間に合わないと思い、私も計ることにした。
計ったものはベルトコンベアに載せ、
その先にはそれぞれ結束したり、箱に入れる通所者がいる。

私はあずきを触っていて、子どもの頃を思い出した。
父と母は、あずきも作っていました。
家で食べるだけで売るものではなかった。
その頃のことを思い出したのです。
自然の作物っていいもんだな、とあらためて感じた。
おふくろの作ってくれた赤飯やあんこの味が、
口の中にしみ出してきた。

45歳まで、半導体製造機器関連の資材課にいたときは、
あつかうものはICやトランジスター、コンデンサー、
抵抗、センサー、スイッチ、などの人工的なものだった。
パソコン、ハードディスクなども購入していた。
それが魅力的だった。正直、
市場のものは、きゅうり、じゃが芋、玉葱などでつまらない。
しかし今日、あずきを見たら感動した。
なにしろ“あずき色”(アタリマエダ)が綺麗だった。
自然なものっていいですね。
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日暮里から秋葉原

2005年11月23日 | Weblog
今日、1月に亡くなった叔母の一回忌があり、
日暮里に行った。法事をやったのは、
前にも書きましたが、羽二重団子の前のお寺です。
谷中の墓地は、いい秋色になっていた。

駅の近くのホテルでの食事会は賑やかだった。
叔母やいとこたちが22人いました。
これからの法事は、叔母たちだけでやるというので、
この賑やかさは今日が最後になるだろう。

初盆のとき、いとこの何人かに九想庵の話をしていたら、
見てくれているという。ありがたいことです。

食事が終わってから、兄、姉3人とで、
羽二重団子の店に入った。
長女も次女も頭の腫瘍をとる手術をしている。
兄は通風で苦しんでいる。
私は胆石、そけいヘルニアの手術をした。
でも、今のところみんな元気なようだ。
話は自然と母の一回忌の話題になった。
来年の2月にやるという。寒いときだ。

姉たちと別れて私は秋葉原に行った。
デジカメを買おうと思っていたのです。
今のは8年ちょっと使っている。
ネットに載せるにはこれでもかまわないのだが、
カメラが少し大きい。持ち運びに不便なんです。

いつも行く駅の反対側の
ヨドバシカメラを見てみたいと思った。
改札を出たら、ほっとけない音が聴こえてきた。
近づくと5人のフォルクローレのグループが、演奏していた。
ケーナ2人、チャランゴ、ギター、シンセサイザーのドラム、
という編成だった。
ケーナの音が澄んでいた。サンポーニャの音もよかった。
ハーモニーがきれいだった。
私もケーナ、サンポーニャを練習しなければ、と思った。

私は涙が出そうなくらい感動した。
そのくせ、ギターケースへお金は入れず、
CDも買わない、ケチな男です。
いや、そうしようと思っていた。
実行しようとしたら、休憩に入ってしまった。

ヨドバシカメラは大きかった。
大きすぎてどこを見たらいいか分からない。
デジカメを見たが、それほど安くなかった。
所沢のいくつかの店で価格は調べておいたのです。

駅の反対側(いつもいくところ)に行く。
こっちのほうが馴染みの店がある。
あっちこっち冷やかした。
ソプマップに私の希望するタイプのデジカメがあった。
価格が3万円以下で単3電池が使えるもの、
というのが私の希望です。
いざ、というときに単3電池のものがいい。

PENTAX Opti S60 というのを買った。
600万画素、動画も撮れる。
別売りの256のSDカードも含めて28,780円だった。
「もっと下げられないかな」と粘ったら、
「これ以上は勘弁してください。
 そのかわり、ケースつけましょう」という。
このカメラのことは何も分からない。
これから勉強しなくっちゃ!

しかし、疲れた。
いつも仕事は立ちっぱなしなんですが、
今日のほうが疲れた。
慣れない革靴、喪服にネクタイが原因だろうな。
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ALWAYS 三丁目の夕日

2005年11月22日 | Weblog
観てきました「ALWAYS 三丁目の夕日」を。
こまかいこというと、
少し注文したいことはあるが、いい映画だった。

この映画は、ふたつのストーリーがうまくシャッフルされている。
小説雑誌の新人賞に応募しつづけ、毎回の落選にもめげず、
小説を書き続けている駄菓子屋の店主をしている茶川竜之介。
集団就職で憧れの東京に来た星野六子。
この2人の背後で東京タワーが少しづつ造られていく。
ノスタルジックな昭和三十年代が眩しい。

私はかなり泣きました。
でも、となりの女性(40代?)は、
ハンカチを目に当て涙を拭きっぱなしだった。
このひとより私は泣いてません。

私にとってこの映画は、今年の一番です。
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高橋尚子

2005年11月21日 | Weblog
東京国際女子マラソンでの高橋尚子の走る姿に感動した。
すばらしい、その一言です。

2年前の東京国際女子マラソンでの敗戦、つらかったろう。
それでアテネ五輪代表の座を逃し、五輪2連覇の夢が断たれた。
一時は引退も考えたという。
しかし「失敗したまま終わりたくない」と、再起を決意。
今春にはより厳しい環境に身を置こうと、
小出監督から独立した。

そしてつくった「チームQ」、いい名前です。
私は子どもの頃から「キューさん」と呼ばれていた。
「チームQ」という名前には、自然愛着がわきます。

帰国翌日の今月11日に肉離れして
4日間練習ができなかった。
「東京で走らなければ何も始まらない」と無理をおして出た。
レース中も痛む右脚には
「お願いだから最後までもってね」と語りかけていたという。

マラソンが終わってからのインタビューもよかった。
「夢を捨てないで、1日1日大切に生きましょう」
というようなことをいっていた。
実際に、それを成し遂げた彼女からそういわれたら、
黙って、私もそうするしかない。
キューちゃん、ありがとう。
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