演劇をしていた頃-5

2019年07月31日 | 演劇

劇団をやめない、と決めたものの私は辛かった。
なにしろ茨城の訛りはそう簡単に直せない。
芝居の稽古中は、しょっちゅう茨城訛りでK坂さんに怒鳴られていた。
それでも月日は進み、10月の公演の日がきた。
土曜日、喫茶店が閉店してから、劇団全員で喫茶店の中を劇場に変えた。
たしか午後10時だったかな、イスやテーブルなどを外の所定の場所に置いて、
用意しておいた芝居の小道具・大道具を手早く喫茶店の中に入れた。
みんなでワイワイガヤガヤと楽しかった。
少なくとも私は芝居をやっているより、舞台作りが面白かった。
芝居の公演時間は、午後1時からと、夜6時からの2回だった。
上演時間の短い「最後の金時計」が先で、「バーサよりよろしく」が最後だった。
私は午後1時からの公演に、昔同じアパートにいて、
そのときは横浜に住んでた友人夫婦を招待していた。
その最初の芝居で、私と共演する劇団最高齢のMさんが大失敗をした。
「最後の金時計」のクライマックスは、年老いた営業マンが、
昔の業績のよさで社長からいただいた金時計を若い営業マンに見せる場面だった。
ところが、Mさんがあるセリフをいい忘れて、そのシーンが吹っ飛んでしまった。
私がなんとかとっさにアドリブで芝居をつないだが、
なんともしまらない舞台になってしまった。
なにしろ「最後の金時計」という芝居で、
その金時計を出せずに芝居が終わってしまったのだ。
観ているお客さんは、芝居の意味がわからないだろうと思う。
それでも友人夫婦は「キューちゃん、よかったよ」といって帰っていった。
夜の公演では、Mさんは台本どうり演じてくれた。
どっちが新人なんだかな?
私は、その公演が終わってから正式に中野Kを退団した。
私はもう芝居はやらない、と決めたのに、そのあと、
埼玉の大宮の友人たちと5回ぐらい芝居をやった。
26歳で結婚した私は、そのあと1度も舞台には立ってない。
………………………………………………………………………………………………………

7月の九想話

7/1 喉が痛くてツライ
7/4 若いと思っていたのに
7/7 夏風邪その後
7/8 風邪と体重
7/9 風邪と酒
7/10 日々平和
7/11 ブログ開設から5000日
7/11 「100点満点の1000点」はやぶさ2号
7/12 ヘブンリーブルーが咲いた
7/13 ツバメさん、待ってます
7/14 久しぶりに、ドラムをたたく
7/15 冷蔵庫を買う
7/17 ペシミスティック
7/17 いんげん
7/17 グリーンカーテン
7/18 電気工事の日
7/20 宮迫博之さんと田村亮さんが会見で謝罪
7/21 今日のヘブンリーブルー
7/21 スチームオーブンレンジ
7/21 ジャガイモを掘る
7/25 タワラヨーデルポテトサラダ
7/25 バナナケーキ
7/25 この梅雨
7/26 演劇をしていた頃-1
7/27 演劇をしていた頃-2
7/28 孫が来た2019夏
7/29 演劇をしていた頃-3
7/30 演劇をしていた頃-4
7/31 演劇をしていた頃-5

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇をしていた頃-4

2019年07月30日 | 演劇

劇団中野Kをやめるつもりだと、劇団で一番仲の良かったK塚に話した。
彼は、もう1つの芝居「バーサよりよろしく」の
セントルイスの娼婦バーサの恋人を演じていた。
背は高く頭は天然パーマでカッコよくて、声がよく通った。
彼がバーサの恋人ということには、まったく違和感がなかった。
それに比べて私は“アメリカの茨城人”だった。
「キューさん、そんなこといわないで公演まで一緒にやろうよ」
私は、劇団では“キューさん”と呼ばれていた。
そりゃせっかく役も与えられたんだから、本番までやりたい気持ちはあった。
しかし、稽古のときにいつも演出のK坂さんに怒鳴られていては、
芝居をすること以前に、生きていることが厭になっていた。
他の団員からも「やめないで」といわれた。
10月公演なのに9月で私がやめては、
公演そのものが出来なくなるかも知れない、という話もあった。
そんなことになっては他の劇団員に申し訳ない、と思った。
それで私は、“恥を忍んで”続けることにした。
私の心の中で“アメリカの茨城人”でもいいんじゃないか、と居直る気持ちも出てきた。
アメリカドラマの黒人の吹き替えなど、田舎の言葉で喋るものがあった。
公演までできるだけ茨城弁にはならないようにしようとがんばってみるが、
茨城訛りが出てしまったらそれはそれでいいんじゃないか、と私は考えた。
何が何でも芝居の公演までは劇団をやめないで続けようと覚悟を決めた。
                                 -つづく-

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇をしていた頃-3

2019年07月29日 | 演劇

私がやる「最後の金時計」という芝居の相手役の老営業マンは、
劇団の最年長のMさん(40歳ぐらいだったかな)だった。
演劇歴は長く、過去にヨーロッパのある国で芝居をやったこともある人だと教えられた。
私はそのことだけでも気後れしてしまった。
その芝居には、最後のほうでレストランのウエイターが出るのだが、
セリフも少ししかないので、稽古には参加しないで、Mさんと私だけでやった。
30分ほどの芝居なのですが、2人だけなのでセリフが多かった。
私はまず、全部のセリフを覚えられるかな、と不安だった。
でも稽古をして、家や電車の中で台本を読んでいるとセリフはなんとか覚えられた。
芝居の稽古をしていてなんといっても辛かったのは、私の“茨城訛り”だった。
茨城の人間の話し方の一番の特徴は、語尾が上がることです。
私がどんなに気をつけてセリフを言っても、茨城のイントネーションと訛りが出てしまった。
演出のK坂さんに、演技のことよりもいつも茨城訛りのことを注意された。
「茨城訛りのアメリカ人なんていねぇだろう!!」
いつも芝居の稽古中には、k坂さんに怒鳴られていた。
それまでの暮らしで、あんなに他人から怒鳴られることはなかった。
人間やめたくなった。
緊張すればするほど、茨城弁になった。
週に2回の稽古が9月から3回になった。
9月に入り、私は芝居をやめようと決意した。
芝居の公演は10月だった。                     -つづく-

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫が来た2019夏

2019年07月28日 | 健康・病気
昨夜、女房がいう。
「長男家族が来る」と。
長男からそういう連絡があったらしい。
今朝、近くのスーパーに買い物に行った。
孫たちの食べるものを買いにです。
11時半、孫たちは来た。
それから孫たちが帰る3時ごろまでたいへんでした。
主役は、2歳の女の子です。
どうしても長男は負けている。
私たちは、その子のごきげんをとることにやっきになっていた。
孫たちが帰って、私たちの平和な暮らしは戻ってきた。
女房も義母も私も疲れ果てました。
でもまた孫たちに来てほしいです。
 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇をしていた頃-2

2019年07月27日 | 演劇
中野Kは、東京の中野区にあった劇団だった。
中野駅から歩いて15分ほどのアパートに事務所があった。
劇団員は、10人弱だったと思う。
劇団のリーダーは、K坂という男だった。
私は5月の頃に劇団に見学に行ったと思う。
劇団は秋に、喫茶店を一晩劇場に変えて芝居を公演するという計画だった。
テネシー・ウィリアムズの短い2つの芝居をやるという。
面白そうだったので私は入団することにした。
週の2日が練習日だった。
1ヶ月ほど発声練習やストレッチなどをした。
練習が終わると必ず事務所か居酒屋で酒を飲んだ。
これが楽しかった。
そのうちに公演する芝居が決まった。
「バーサよりよろしく」と「最後の金時計」という芝居だった。
そしてなんと!!芝居など一度もしたことない私が、
「最後の金時計」に出ることになった。
この芝居は、老営業マンと若い営業マンの芝居だった。
歳を取った営業マンが営業成績が良いときに、
会社から金時計をもらった話を若い営業マンにするという芝居だった。
男が6・7人いるのに、劇団に入ったばかりの私が若い営業マン役に選ばれた。
私はうれしかった。
しかしこれで私の毎日が、地獄へ落ちることになった。
                          -つづく-


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇をしていた頃-1

2019年07月26日 | 演劇
今日の連続テレビ小説「なつぞら」の雪次郎を観ていて、昔の自分を思った。
私は21歳のときに演劇で生きたいと思っていた。
21歳の冬、ある劇団の人と知り合った。
その劇団はこれから作るという。
あるデザイン学校の学生が多くいて、その他には大学生が参加していた。
それで私はそのとき勤めていた会社を辞めた。
辞めてその劇団事務所にいりびたっていた。
その劇団事務所は原宿にあるアパートの6畳2間だった。
多くの人間は原宿にあるKデザイン研究所の学生だった。
どうせならと私はその学校を受験して入ってしまった。
その劇団のリーダーの人は、東京キッドブラザーズにいた人で、
そのときも繋がりはあった。
私も何度か、東京キッドブラザースの練習や公演の準備・片づけの手伝いに行った。
渋谷のパルコ劇場には何度か行った。
しかし、その劇団の目指すことと私の考えが違ってしまったことがあり、私は退団した。
その頃私は、昼間N女子大生協でアルバイトをして、
夜はKデザイン研究所で勉強していた。
N女子大生協で働いていたときに、その大学職員で演劇をしている人と知り合った。
その人は時代劇の演劇をやる素人劇団で活動していた。
私は、演劇はやりたいと考えていたが、時代劇には興味なかった。
その人から「中野K」という劇団を紹介された。
そして、私は「中野K」を見学することにした。     
                           -つづく-

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この梅雨

2019年07月25日 | 健康・病気
まだ梅雨が明けない。
来週の月曜日ぐらいかな、梅雨が明けるのは。
私は、7月1日からだいたい2週間、夏風邪を引いていた。
そのあと風邪が治っても、体調が思わしくなかった。
仕事を休めればいいのだが、1人職場では思うように休めない。
勤務していれば、この夏になり雑草が伸びるので
植栽のまわりの草取りなどしてしまう。
現在もあまり体調がいいとはいえない。
そんなことで九想話を3日休んでしまった。
健康な身体でないと、今一つがんばれない。
健康はいいですね。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バナナケーキ

2019年07月25日 | 健康・病気

100円ショップでケーキの型(っていうのかな?)を買ってきて焼いたバナナケーキ。
ホントは、バナナをケーキの中に入れるとレシピには書いてあったらしいが、
入れるのを忘れてしまったから、あとでケーキの上に載せたとか・・・。
でも、美味かったです。
奥さま、次はバナナをケーキの中に入れて焼いて下さい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タワラヨーデルポテトサラダ

2019年07月25日 | 健康・病気

このポテトサラダは、あのうちで採れたジャガイモです。
タワラヨーデル といいまして、長崎地方で開発されたジャガイモだそうです。
いい味でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャガイモを掘る

2019年07月21日 | 健康・病気

 
今日、3月24日に種イモを植えたジャガイモを掘った。
できたら孫たちが来る8月にでも、孫たちと掘りたかったが、もう葉や茎が枯れて2週間はたつ。
そろそろ掘らないと腐ってしまうのではないか、と思った。
掘ってみて赤いジャガイモなのでおどろいた。
種イモはこんなに赤かったかな?と考えた。
3月25日の九想話「ジャガイモの種イモを植える」を読むと、「タワラヨーデル」という品種だと書いてあった。
女房に茹でてもらって食べてみた。
うまかった。
義母も美味しいと喜んでいた。
庭の小さい“畑”ですが、沢山よろこびをもらっている。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする