話好きな床屋さん

1998年11月29日 | 健康・病気

 昨日、会社のタイムレコーダーを押したのが5時5分だった。平日だとこう
はいかない。土曜日なので、5時に机の上を片づけさっさと事務所を出た。
 早朝なんかだと15分の距離なのだが、家に帰るまで50分かかってしまう。
 家に帰って、いつもの床屋さんに電話する。ここは予約制だ。日曜の9時か
らできればと思ったのだが、今からやってくれるという。行くことにした。
 自転車で急いでいくと、床屋さんの中は閑散としていた。いつもは、奥さん
と旦那さんがハサミをいいリズムで動かしているのだが、客が一人もいなかっ
た。
 私がイスに座ると、仕事を始める前に旦那さんが猛烈に話しかけてきた。
 私は、人が暗い顔をしているより、楽しそうな、喜ぶ顔が好きなので、つい
それなりの応対をしてしまう。
 ハサミを使いだしてからも話は止まらない。
 よしゃぁいいのに私は、先週のクラス会のことなど持ち出すから、旦那はも
う、ハサミの動きは止めても口を閉じることはなかった。
 私の生きてる中で、床屋さんで髭を剃ってもらいながら居眠りすることはか
なりな喜びのひとつです。
 ところが旦那は、シャボンを顔に塗って蒸しタオルを顔にかけても話しかけ
てくる。
「そんなにヒマだったのかァ」
 思わず訊きたくなった。なんかその日一日口をきいてない人間のように、人
なつこく話しかけてきた。
 結局私は、髭をあたられながらも、旦那の話にあいづちをうっていた。
 ああ…、私は、あの髭を剃って貰いながら眠ることに、お金を払っているの
に…。
 他人を喜ばすことは、苦労しますね。

……………………………………………………………………………………………………………………………………

11月の九想話

11/1  芋煮会
11/2  テレビばっかし
11/2  そろそろ疲れました
11/5  雄弁な息子と無学な父
11/5  半年
11/6  綿入りはんてん
11/7  家出する10代
11/8  11月8日
11/10 会社が消える
11/12 淀川長治さん
11/13 前の会社
11/16 スペイン語
11/18 流星痕
11/19 クリントン
11/21 クラス会
11/26 クラス会&2次会
11/29 話好きな床屋さん

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クラス会&2次会

1998年11月26日 | 健康・病気

 クラス会の会場の「岩瀬城」は、母校の裏山にあった。なんとセンスのない
名前だ。この風呂付き宴会場は、中学校の同級生が経営している。
 私は、休日出勤から帰ってきた兄に、車で連れていってもらった。かなりの
者が車で来ていたが、私は酒を飲むつもりなので自分の車で行くのはよした。
 開会する6時10分前に着いた。
 岩瀬城の玄関から入った所にテーブルを置き、それを前にKRが坐っていた。
どうやら受付をやっているらしい。彼は、現在でも付き合っている高校時代の
唯一の友人だ。Kが、身体の具合が悪くて中学校を休んでいたとき、「登校拒
否じゃないのか」といわれてケンカをして、1年ほど絶交していた奴だ。
 幹事のKT、IZもいた。KRとは半年ぶりぐらいだが、この二人とはかな
り会ってない。IZは、私が結婚したとき、女房と三人で飲んだことがある。
その頃、彼は東京で暮らしていた。KTとは高校以来だ。
 すでに7、8人来ているらしいが、なんか気恥ずかしくそこでKRたちと話
をしていた。
 しばらくして、一緒にブラスバンドをやっていた女性二人が来た。彼女たち
は第1クラリネットと第3クラリネットを吹いていた。中学校からずーっとブ
ラスバンドの仲間で、私は中2から3年まで、第1クラリネットに片想いをし
ていた。
 彼女は、現在子供3人と旦那とでそれなりに幸せに暮らしているようだ。
 第3クラリネットは、結婚したが子供に恵まれず、高校を出て就職したデパ
ートで、課長になっているという。
 二人とも、昔の状態をあまり変化させてなく、なかなか魅力的な中年の女だ
った。
 一緒に会場の部屋に入る。担任と副担任の先生を取り囲むように、みんなが
話している。女性二人が入り、あとから私も入った。二人に対しては賑やかな
反応があったが、私にはなかった。昔から、私は影の薄い存在だったのです。
 それから20分ほどして、参加者が揃ったところでクラス会は始まった。
 はじめに、幹事のKTが挨拶した。夏に、KBが急逝したことがクラス会を
するきっかけになった、といった。そして、10月にOTが死んだことを報告
した。
 KBの奥さんとお子さん三人からの、クラス会に参加した者への手紙をKR
が読んだ。あちこちですすり泣きが聞こえた。私も、女房息子たちより先に死
ぬことを想像しながら聞いていたら、涙が流れてきた。
 全員で、1分間の黙祷をした。
 担任の挨拶、副担任の乾杯で宴が始まった。こうなるともうわけが分からな
い。
 それぞれの近況を話そう、ということになり、端から一人づつ立って話し始
めた。
 それにしても私は、そこにいた28人の半分ぐらいが、初対面だときっぱり
自信を持っていえた。高校の頃の面影がどうのこうのなんてみんな話している
が、私には、その面影すら覚えていない人がかなりいた。つくづく、クラスで
は静かにしていて、放課後ブラスバンドでしか生きていなかった私だったなと
思った。
 12月の村議会議員に立候補するという奴。小さいながらも会社を経営して
いる者。広島から会社の出張費で来た奴。子供が大きくなってすっかりおばさ
んになったひと。などなど…。
 私は、高校を出てから13回転職して、今ではちっちゃな会社で細々と暮ら
していて、パソコン通信でくだらないことを書いている、なんて話した。
 しかし、あれだけいてパソコン通信、インターネットをやってる人が誰もい
なかった。私のいうことがよく分からなかったようです。
 これからはインターネットがどうのこうのなんていわれていても、世間なん
てこんなもんだな、と思った。
 名簿を見ると、女性の場合、既婚か独身か一目で分かる。旧姓の欄がない人
が独身だ。二人いた。
 その一人は、卒業式のあと私に「好きだったんだ。一緒に写真お願いします」
といったひとだ。来ていない。それとなく何人かに訊くと、知ってる者がいて、
「Sさんは、****(新興宗教団体)に入っているらしいよ。今日も布教活
動で忙しいんじゃないの」
 といった。なんか複雑な想いになった。
 それぞれ高校を出て、それなりの人生を生きてきて、現在のかたちになって
いる45、6歳だ。
 クラス会がお開きになって、ブラスバンドの連中で2次会をすることにした。
 今日、仕事で参加できなかった者をチューバを吹いてた奴(彼は酒が飲めな
い男です)の車で迎えに行き、下館というところで所帯を持って寿司屋をやっ
てる第2クラリネット(この女性はよそのクラスだった)の店まで行った。
 2次会は、第2、第3クラリネットの女性とチューバ、ユーホニュームそれ
に第1トロンボーンの私の4人です。第1クラリネットは帰った。もう一人ク
ラリネットの女性が来ていたが、このひとも帰った。あと一人パカッションの
男がいるのだが、彼も****の布教活動が忙しいようで、来なかった。
 なんといっても、同じ苦労をしたブラスバンドの仲間がいい。
 部活動のこと、文化祭、定期演奏会、コンクールに出場したときのこと、そ
れぞれの現在の暮らしのこと、いくら話しても終わらない。
 デパート勤めの第3クラリネットは翌日も仕事だ。水戸の先まで帰るチュー
バが各々を送ってくれた。
 実家に帰ると、鍵が閉まっていた。兄を起こすのは悪いと遠慮し、自分の車
で寝たけど寒かった。
 そんなこんなで、悲しくて、楽しくて、寒かったクラス会の一日でした。

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クラス会

1998年11月21日 | 家族

 とうとうやってきました、この日が。
 今から茨城に行きます。
 最近、あまり楽しいことのなかった私にとって、この日の来るのをわくわく
して待っていた。
 高校を出て27、8年になるのかな。私にとって初めてのクラス会です。
「20代の頃、何度かやってるよ」と先日電話してきた幹事のキクチがいって
いたが、私は知らない。東京にいたから連絡してこなかったのかな。
 みんなどんなおじさん、おばさんになっているんだろう。
 朝食のとき、息子たちに、
「今日、高校3年のときのクラス会に行ってくる」
 と誇らしげに(自慢することでもないか)いうと、Kが「ああ…」といい、
Uは黙ってメシを食っていた。
 女房だけが、いろいろいってくれるのがすくいです。

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クリントン

1998年11月19日 | テレビ

 筑紫哲也のニュース23スペシャルのクリントンの話を聞いていて、私は、
この人と一度酒を飲んでみたいな、と思った。
 じっくりと女の話などをしてみたい。

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流星痕

1998年11月18日 | 家族

 今朝、7時前にKが帰ってきた。
 昨夜、しし座流星群を友人たちと見るんだといって出掛けていった。
 コンタクトレンズをはずしているKに、
「流星見えたか?」
 と訊くと、
「あまり見えなかった。40個ぐらい見たかな」
 流星群というくらいだから、もっと沢山見えると思っていたのだろう。テレ
ビに出ていた人がいってた。17日の昼間にそうなったらしい。
「そうか、でも、見れたんだからよかったじゃないか」
 と私。
「願いごといった?」
 と女房。
「いえるわけないよ、あっというまだもん」
「Kの願いごとはなんだよ」
「そうよね、いえるわけないよね。誰だろうね、流れ星に願いごというとかな
えられるなんていった人は、うまいこといったな」
「でも、4時頃すごくでっかいの見たよ。大気圏に飛び込んで煙みたいなの見
えた」
 そういって、Kはシャワーを浴びに風呂場に行った。
 私は、Kのいった「煙みたいの」というのが理解できなかった。
 夜、テレビを見ていて分かった。それは「流星痕」というらしい。
 ああ…、おれも、去ったあとには、おれの存在が残っているような人間にな
りたいな。そんなことボーと考えた。
 龍のような形の流星痕、肉眼で見てみたかった。
 Kは、あと33年後に見られる。そのとき、18歳の流星痕を見た自分をど
う振り返るんだろう。
 そのとき、私はいないだろうな。

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スペイン語

1998年11月16日 | 家族

 うちのやつは、かなり真剣にスペイン語を話せるようになろうとしている。
 理由は、いつかスペインに行ってフラメンコを習いたい、ということだけで
す。そのためにはスペイン語を話せなければならない、と考えている。
 亭主の私からすれば、見上げたものだ、という思いです。
 しかし、考えればアホなことだ。41になる女が考えることではない。
 彼女が行ってるフラメンコスタジオの生徒は、ほとんどが20代で、30代
前半が4、5人だそうだ。なんと(当たり前だが)40代はわがアイする女房
一人だけだ。
 独身のうちにちょっとフラメンコをやってみようかな、というOLが、結婚
とかその他の理由でやめていく。フラメンコブームと聞くが、そんなものだろ
う。
 ところが…、うちのやつは違う。なにしろ40代に突入するというときに、
フラメンコを習い始めた。それまでエアロビクスを7、8年やっていたが(途
中、タップダンス教室に行ったことがあった。タップダンスとフラメンコの靴
のあるうちはそうないと思う)飽きたらず、やっと見つけたフラメンコ。心底
気に入っているようです。
 話をスペイン語に戻します。最近まで、スペイン語会話のCDをカセットテ
ープに録音して、息子のウォークマンで通勤の電車の中で聞いていた。そのウ
ォークマンが壊れたので、新しいのが欲しい、という。私は「これからはMD
だ」といって、昨日、MDのヘッドフォンステレオ(この表現がめんどくさい
ね。ソニー以外はウォークマンじゃないもんな)を買ってきた。型落ちの安い
もので15,800円だった。
 しかし、世の中どんどん進んでいきますね。けっこう新しいモノには、果敢
に挑む九想ですが、この年齢になると、それが億劫になってきた。MDなんて、
息子たちは2、3年前に持っているが、私には縁がなく、触ることもしなかっ
た。
 昨日、MDヘッドフォンステレオなるものを買ってきて、息子のMDラジオ
(ラジカセとはいえないな。カセットがないんだから)を借りて録音してみた。
息子のそれも、買ってきたなにも、そんなに高くない安物だけど、いい音なん
だな。 あんなに手軽に、いい音が手に入るということは素晴らしい。
 また話をスペイン語に軌道修正します。
 うちの会社には、ペルーの人が何人かいます。
 女房に、スペイン語の単語を教えてもらって、それを手帳に書いて、休憩時
間にペルーの人と話した。話したっていっても、ほとんど日本語と、滅茶苦茶
な英語の単語とジェスチャーです。
「ヴェノスディアス」
「ジョ ヒサシ」
「コモエスタ ウステ」
 なんていって、それなりに通じて嬉しかった。
 一番嬉しかったのは、
「エル・コンドラ・パサ」
 といったら、分かってくれたことです。これは、女房に教わっていません。
 私は、日本語とケーナを吹く真似をして、「コンドルが飛んで行く」が好き
で、ケーナを吹き始めた、と“話した”。
 女房が昨日いってくれた。
「ヒサシ君が、憧れのペルーに行ったとき通訳してあげるよ」
 と。

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前の会社

1998年11月13日 | 会社・仕事関係

 前の会社の奴らと、今夜飲みました。
 大変なことになっているようです。
 そのことをこまかく書いたってしょうがないので、書きません。
 2年前の今頃まで、あの会社は大変な忙しさで、みんな燃えていた。その頃
はどうしょうもなく忙しく、てんてこ舞いでした。あの頃が懐かしいです。
 ああ…、あれも青春だったな、という気分です。40歳からの…。
 ちゃんとした経営者がいたら、こんなことにはなっていないはずなんだけど
な。
 いまさら、何をいってもせんないです。

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淀川長治さん

1998年11月12日 | 健康・病気

 私が、最初に淀川さんを見たのは、小学生の頃です。「ララミー牧場」とい
うテレビの西部劇の最後に出て、いろいろお話していた。
 一度お会いしたことがあります。そういったって、むこうは私を知りませんが。
 京橋フィルムセンターに、ある映画を観に行ったときです。なんの映画か忘
れました。
 映画の前に、淀川さんがその映画の解説をし、話し終わってステージから降
りてきて、私の前に坐って一緒に観た。もう、22、3年前のことです。
 私はスクリーンより、映画を観ている淀川さんの後ろ姿ばかり見ていました。
 淀川さんに、映画の観方、人間の生き方などいろいろ教わりました。
 さみしいです。

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会社が消える

1998年11月10日 | 会社・仕事関係

 私が勤務していた以前の会社の第1事業部が、今年いっぱいでなくなる、と
いうメールが友人から昨日あった。
 全員(100人ぐらい)解雇になって、新会社に半分ほど採用されるらしい。
 ああ…、ついにそうなったか、という想いです。
 自分の予想が当たった痛快さと、卒業した母校がなくなるような寂しさを感
じて、昨日は眠れませんでした。

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11月8日

1998年11月08日 | 暮らし

 もう8日になってしまいました。
 この日は、何をかくそう(そんなたいそうは話ではない)、私と女房が初め
て会った日です。20年前のことです。
 考えれば不思議です。あの日、あんなのに会わなければ、私の人生はずいぶ
ん様子が違っていたでしょう。
 私たちは、結婚式をしてないので、11月8日がなんといっても記念日です。
 今もそうですが、そのときも貧しくて、結婚式なんて挙げられなかった。な
にしろ金がなかった。
 結婚式なんてやらなくても、神や仏に誓わなくても、なんとかこうして夫婦
でいる。
 これから二人が会ってから、21年目に突入します。
 どういうことがあるか…、複雑な気分です。

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