かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

限界はある、しかしたどりつけない

2006年01月29日 21時59分58秒 | 雑談
極限の計算なんかでよくそういうことが起こるのだが、論理構造そのものにも同じことが言える。
そう。どんなに慎重に公理を選んだとしても、やっぱり白黒つけられないものが出てきてしまうのだ。有名なのが一般連続体仮説である。これを公理に追加しても、これの否定を公理に追加しても、全く問題が起こらない。
かのヒルベルトはどのような命題にも明確に答えを出せる体系を作ることができると信じていたという。それが彼の美学だったようだ。でなければそんな問題を後世に向けて提示したりはしないだろう。もっとも、この問題は知られているようにゲーデルが否定的に解決したわけだが。
数学というと、厳密さという印象があるだろうが、どんなに厳密でもやっぱりほころびを消し去ることはできないということである。つまり、絶対に正しいという真理を積み重ねたとしても、完全に正しくあることはできないのである。
どんなに正しいという立場にあろうと、ずっと正しいなどということはあり得ない。永遠の正義など幻想の果てにしかないのだ。