POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 今回の家族旅行の計画で、夫にあっけなく訪れないことにされてしまった「ダラット」について備忘録のつもりで書くことにしました。

 私たち観光客は、靴をカバーで包んで観光の目的の建物の中に入ることを要求されます。建物が傷まないようにとの配慮からです。日本でなら、靴を脱いで建物に入るのでしょうが、フランスの影響を強く受けたベトナムでは靴を脱いで入るという発想がないのでしょう。



 ダラットでは、フエ王朝の最後の皇帝バオダイ帝(Bao Dai、Nguyen Phuc Thien)の別荘が公開されています。松林に囲まれた素敵な場所でした。ダラットは山麓の熱帯林からだんだん高度を増すごとに温帯林へと植生が変わっていき、ちょうど松林になったところにある避暑地なのです。



 家の中には当時の家具や内装が再現されています。



 1945年3月、ベトナムでは、日本軍がフランス軍を武装解除すると共に、バオダイ帝に独立を宣言させました。日本は敗戦を見越し、親日的なバオダイ帝を利用して、『西欧の植民地主義と戦い、「解放戦争」を指導した日本』という体裁を作ろうとしたとも言われています。日本の軍国主義は、ここベトナムにも見られました。

 1945年8月、日本の敗戦でバオダイは退位し、これによって阮朝は幕を閉じることとなります。

 ダラットはもともとは山岳少数民族が点々と住んでいた場所でしたが、フランスによる避暑地の開発とともに都市へと変貌しました。少数民族には、バスツアーなどに参加すると会うことができます。



 少数民族の悲哀とでも言うのでしょうか、この地方では多数派であったはずの人たちがベトナム全体の多数派キン族に政治経済の実権を握られ、観光の具にされる。私たちの観光というのはそういう側面を持ったものでもあるのです。

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