中田の言葉だが、どうもこの言葉には違和感がある。
同じような言葉に「本当の自分」というのもある。
どちらも「紋切り型辞典」にでも載りそうな言葉だ。
それに対して「本当の自分という病」と言ってる人も
いる。
これは、確固たる本当の自分(理想化された自分)と
いうものが存在しているという前提の、ある種の幻探
しではないかと。
それだけ今の自分がしょうもなく、そこから逃げたい
がためのめの方便、それを美化した言葉ではないかと。
そうなのだ、変に美化するから自己陶酔的いやらしさ
を感じるのだそれらの言葉からは。
最初から現実逃避したい、と言えばすっきりする。
表向きは甘いなどと言われるかもしれないが(心の底
では羨ましいなどと思っているはず)。
アイデンティティーという言葉も同じだが、いつから
それらの言葉で表されるものが実際にあるということ
になったのだろう。
「本当の自分」などと考えてる自分も本当の自分の一
部だし、大体嘘の自分というものがあるのか。
そもそも嘘と本当というのははっきり分けられるもの
なのか。
つまり、元々曖昧なものなのだから、それをすっきり
させようとすること自体無理があるのだ。
心理学は多分そういうことを解明したいのだろうが、
どうしても「血液型占い」と同じように、単純化類型
化の限界が、いかがわしさを伴って露呈する。
同じような言葉に「本当の自分」というのもある。
どちらも「紋切り型辞典」にでも載りそうな言葉だ。
それに対して「本当の自分という病」と言ってる人も
いる。
これは、確固たる本当の自分(理想化された自分)と
いうものが存在しているという前提の、ある種の幻探
しではないかと。
それだけ今の自分がしょうもなく、そこから逃げたい
がためのめの方便、それを美化した言葉ではないかと。
そうなのだ、変に美化するから自己陶酔的いやらしさ
を感じるのだそれらの言葉からは。
最初から現実逃避したい、と言えばすっきりする。
表向きは甘いなどと言われるかもしれないが(心の底
では羨ましいなどと思っているはず)。
アイデンティティーという言葉も同じだが、いつから
それらの言葉で表されるものが実際にあるということ
になったのだろう。
「本当の自分」などと考えてる自分も本当の自分の一
部だし、大体嘘の自分というものがあるのか。
そもそも嘘と本当というのははっきり分けられるもの
なのか。
つまり、元々曖昧なものなのだから、それをすっきり
させようとすること自体無理があるのだ。
心理学は多分そういうことを解明したいのだろうが、
どうしても「血液型占い」と同じように、単純化類型
化の限界が、いかがわしさを伴って露呈する。
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