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「薬指の標本」小川洋子~現実から隠されたような場所~

図書館で、タイトルに魅かれて、借りてみた。

弟子丸氏という名前を見て、
読んだことがあると思い出した。
でも、内容は覚えていなかった。
2編の短編から成り、
1994年、小川洋子さんの初期の作品。

「薬指の標本」
たゆたうようなお話。

思い出の品を標本にしてほしいと
やってくる人々の受付や手伝いをする
事務員として雇われた「わたし」。

弟子丸氏は、経営者であり、標本技術士。

小川さんの小説の舞台は、
いつも古びていて、
独特の空気を醸し出している。

標本室があるのは、
取り壊しを待っているような、
すべてがくすんでいる、
かつて女子専用アパートだった建物。

そんな空間で、不思議なことが進行していく。

かつてサイダー工場で、
機械に左手の薬指の先を押しつぶされた「わたし」。

「わたし」が心にずっと抱いているのは、
薬指の先の肉片が、サイダーの中をスローモーションで落ちて、揺らめている映像。

やけどのある少女が訪れたときは、
ずっと雨が降っている。
まるで音まで聞こえるようだった。

標本室がある建物の中は、いわば、現実とは離れた異空間。
そこを司っているのは、弟子丸氏。
謎に包まれ、まるで理解できない存在。

風変わりな人物は、建物の外の、
現実味のある世界からも現れる。
歩道橋の下で靴みがきをしているおじいさん。

でも、「わたし」は、おじいさんの助言を振り切り、
決然として、ある選択をする。
その後ろ姿が、見えるようだ。

「おじいさんの手の温かみだけが、いつまでも足に残っていた。」

小説の世界と、私自身の体験がクロスオーバーしてきたよう。。。


「六角形の小部屋」

小川さんの語る物語は、場所のドラマかもしれない。
現実と離れた、あるいは、現実から隠されたような、
独特な場所。

六角形の語り小部屋にひとりで入り、
狭い空間で、話したいことを話して、
また出てくる。

この語り小部屋がある空間も、
現実からどこかはみだしたような異世界にある。

「ここまでたどり着くことが大事」と語られる小部屋に
行きつける人はごく少数。

「どんな道筋をたどろうとも、
わたしたちはただ、
あらかじめ定められた場所へ向かうしか他に方法はないのです」

行くべくして行く、
出会うべくして出会う、
そんな運命を受け入れるために、小部屋はあるのだろうか。

わたしをそこに導いたミドリさんは、
息子のユズルさんと、この小部屋を守っている、
番人のような存在。

「その物がいつもと変りなく存在できるよう、静かに見守る。
時にはちょっとした修理をしたり手入れをしたりするけれど、
形をいじったり、新しく何かを付け加えたりはしない。
祈りにも似た態度でそれを慈しむ。
その回りで時間は流れ去らず、幾重にも折り重なってゆく。
訪れる人があれば快く応じ、
見向きもされなくても心を乱されたりはしない。
ただ穏やかに視線をそこに集めている。
‥‥そういう番人だ。」

いわば現実という運命を受け入れるために、
異空間に用意された小部屋。
そんな誰にも知られない空間が、
私の心の中にもできたような読後感に満たされる。

付言ながら、
ミドリさんについて、
「特徴のない服装と髪型」をしていて、
「部屋の空気の見えないすきまを見つけて、
そこに身体を滑り込ませているかのよう」

というくだりを読んで、
小川さんの小説「猫を抱いて象と泳ぐ」の
建物と建物のすきまに閉じ込められて、出られなくなった少女を
思い出した。

小川さんの小説に出てくるのは、
こういう目立たない、すきまに入ってしまうような人たちが多い。

私の共感スイッチが入った。

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