いまひとつの作品が続き、風邪までひいてしまったので、
この際、最近見せていただいたばかりの
凄い映画のことを書いておきたい。
こんな傑作をみてしまったら、
当分、映画はみなくてもいいぐらい。
しばらくずっと、この余韻に浸り、
折にふれては、
修道士たち一人ひとりの顔を思い浮かべ、
彼らが眺めた風景を思う。
農耕作業の合間、空を眺め、風を感じて
彼らが、何を思い、何を考えていたのか。
その心のありようを反芻したい気持ちになる。
そんな映画だ。
1本の映画をみて、ずっとその余韻に浸り続けるというのこそ
本当の映画体験かもしれないとふと思った。
1996年にアルジェリアの山間の修道院で
武装したイスラム集団に誘拐された
フランス人の修道士たちの実話。
といっても、誘拐の顛末を追った話では全くない。
むしろ、事件が起きるまでにスポットを当てる。
内戦が激化し、虐殺事件が頻発し、身の危険が迫る中、
それでも、帰国せず、
留まり続けた修道士たちの内面を追いかけた、
とても静かで、内省的で、心の底に深く染みとおってくる作品だ。
とにかく、老練の修道士たちをはじめ、演じている役者たち
一人ひとりの顔がいい。
深みがあって、いつまでもみていたい穏やかな表情。
まるで一枚の宗教画になるぐらい美しいシーンがいくつもあった。
クリスチャン修道院長(ランベル・ウィルソン)をはじめ、
医師でもあり、喘息持ちの、村人たちに優しいリュック、
修道院を離れたいと主張する、畑仕事を担当するクリストフ。
(なんと演じているオリヴィエ・ラブルダンは、
マノエル・デ・オリヴェイラ監督の『繻子の靴』でキャリアをスタートさせたそうだ!)
彼が、畑仕事の合間に、遠くを見つめる表情がなぜか一番心に残っている。
7人いれば、皆、意見も違い、
とどまる、と言う者もいれば、
殉教することに意味を見出せず、帰りたいと言う者だっている。
故国に残した家族を思う者もいる。
そこに、葛藤が生まれる。
皆がそれぞれに悩み、迷いながらも、
共に祈り、共に声をあわせて朗誦する。
共に暮らす日常の姿を、淡々と映し続ける。
そこがこの映画のすばらしさの一つ。
話し合いが続き、ばらばらだった意見が一つにまとまる…。
だからこそ、同じ結論に達した全員が
最後に、共に同じ食卓を囲む晩餐のシーンが
そこはかとなく、すばらしく、しんしんと胸に迫ってくる。
言葉もなく、音楽だけが流れる。
目と目で会話する。それだけでいい。
思いを一にした、修道士達の顔、顔、顔…。
その顔からは、
強さも弱さも、覚悟も諦めも、悲しみも
あらゆる思いが、あふれてきて、涙が止まらなかった。
テロリストに命を奪われるかもしれない恐怖を目前にしながら、
どうしてそこまで強くなれるのか。
彼らの日常の営みを通じて
信仰の強さ、命の危険をも踏み越える精神の気高さが浮かび上がる。
修道院長が残した言葉に、インシャラーというイスラム教の言葉があった。
イスラム教の人々のことを思い、信仰に生きた、寛容な心を思う。
修道院長がコーランを手にしていたように
宗教は異なっても、
アッラーとキリストを慕う信仰者として、隣人だと伝わる。
争いあうこと、殺しあうことの非情さ。
そういえば、心理学者の河合隼雄さんが、かつて
キリスト教とイスラム教と仏教では
それぞれ、キリストさん、アッラーさん、仏さんを信仰しているが
この3人は、もっと上の世界で、つながっているんだということを
話されていたのを思い出した。
私にとって、間違いなく今年のベストワンになりそう。
大阪では4月上旬の公開で
まだかなり先ですが、ぜひ楽しみにしてください。