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No136「愛についてのキンゼイ・レポート」ビル・コンドン監督

~キンゼイ博士、体当たりの人生~

センセーショナルな話題で一部マスコミに取りあげられていたが、
真面目で、研究心にあふれた動物学者キンゼイの人生に迫った、硬派な力作。

~「キンゼイ・レポート」とは、
50年前、性について語るのもタブーだった、キリスト教社会のアメリカで
1万8千人にセックスについてのインタビューを行い、統計的にまとめて、
48年に「キンゼイ・レポート 男性版」を出版。学術書としては史上初の20万部を売り上げ、大センセーションを巻き起こした。
5年後に「キンゼイ・レポート 女性版」を発表するが、まだ女性の性を受け入れる準備が社会的にできておらず、
非難の集中砲火を浴びて、以後、冷遇される。~

キンゼイは、もともと動物学者で、タマバチの研究家。
学生の要望で開いた「結婚講座」をきっかけに、「ヒト」の性について研究を始める。
インタビューだけでなく、自ら助手ともゲイ・セックスを実験するなど、
どこまでも研究を極めようとしたから、驚きだ。
ある意味、相当の研究オタクといえるだろう。

そんなキンゼイの熱意あふれる姿を、
コンドン監督は、敬意を持って、優しい目線で、丁寧に描いていく。
ファーストシーン。
いきなり、インタビューの仕方を、細部にわたって助手に指導するキンゼイの情熱的な表情を
アップで映し出すところからも、監督の思いが伝わる。

「女性版」の発表後、
研究資金を打ち切られ、「赤狩り」の標的にまでなり、追い込まれていくキンゼイを献身的に支える妻クララの姿に、心暖まる。
最後のインタビューで、老女が、自分の人生について語り、感謝の思いを伝えるシーンは、すばらしい。
キンゼイの偉業を、こんなふうに、一人の人間の言葉として描いたところに、監督の粋を感じる。

映画の最後に、キンゼイ夫婦は森を訪れる。
大地にしっかり根付いた大木を見て、二人が心癒される姿は感慨深い。
最後まで研究への意欲を失わないキンゼイの背中が痛々しい。

キンゼイを演じるリーアム・ニーソン、クララを演じるローラ・リニーとも
この役を引き受けるには、相当の覚悟が要ったと思われるが、見事な熱演だった。

蛇足ながら、
マスコミで騒がれた「問題のシーン」は、講義のスライドとして、画面に登場した。
ちょっとびっくりしたが、医学の教科書の写真のようで、
ここにぼかしを入れるほうが、逆に問題じゃないかと思った。
それよりも、旅先のホテルで、妻と電話で話しているキンゼイが、
全裸になってシャワーを浴びに行く助手クライドを、一瞥するシーンがある。
ここで、映倫は、クライドの「姿」にぼかしを入れた。
キンゼイが、クライドに魅かれ、同性愛を実験しようとするのを暗示する重要なシーンだと思うのだが・・。

満足度 ★★★★★★(星10個で満点)
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
ぼかしの意味 (シカゴ)
2005-09-09 12:52:05
ぼかし・・私も同感です。



あそこの場面で、ぼかしを入れたら

だめですよね。

ぼかしを入れたことで

キンゼイがなぜ突然ゲイに目覚めたのかが

よくわからなくなりました。
 
 
 
シカゴさんへ (パラパラフィン)
2005-09-11 23:58:21
パンフレットによりますと、キンゼイは、

ゲイ・セックスを実験しただけにとどまるらしく、

目覚めたわけでもないようですが、

なにぶん、真実は闇の中ですね。
 
 
 
なるほど・・ (シカゴ)
2005-09-12 12:57:42
ありがとうございます。



なるほど・・ゲイに目覚めたわけでは

なかったのですね・・好奇心というか責任感からキンゼイは「実験」してみたというわけですね



何事かを成し遂げるためには、

返り血を浴びてでもっていうか、

自分の身体を張らないとだめってこと

なんでしょうか、やっぱり。
 
 
 
シカゴさんへ (パラパラフィン)
2005-09-13 00:58:50
というか、彼にとっては「実験してみたい」というのが、自然な、思いの発露だったのだと思います。

実験せねば、とか、力んだものではなくて、

ただ、ただ、学問として掘り下げたかっただけで、

返り血を浴びても、とか、そこまで覚悟していたかは

わかりません。

「極めたい」という気持ち一筋なんです、きっと。
 
 
 
自然な思いの発露 (シカゴ)
2005-09-13 09:47:11
学問的な自然な思いの発露

だとしても、やっぱり

キンゼイにとって

男と交わるのは

相当な勇気と決断が

いったでしょう。



その意味では

相当の覚悟がいったでしょう。



でも、やはり、パラパラフィンさんが

書かれていたように

キンゼイはクラウドに「魅かれて」

いた―だからこそ、「極めたい」という

気持ちが、「実験」という行為に

結びついたのではないでしょうか。



心が動いた、ということなんでしょうか。
 
 
 
シカゴさんへ (パラパラフィン)
2005-09-16 00:10:47
確かに、

映画を見る限りでは、

キンゼイは、クラウドに心が動いていたのは

間違いないですね。



一緒に農作業をしている様子も

とても楽しそうでした。



単に「実験」と割り切れるものでもないですね。

 
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