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No1060『R-18文学賞 vol.1 自縄自縛の私』『横道世之介』~批評する怖さと勇気~

この冬公開された本作を、ずいぶん前になるが、
竹中直人監督の舞台挨拶つきの一般試写会で観た。

前半の会社の同僚たちのどたばたは、つまらなかったが、
最後、ヒロインが、雨の降る中、自分の部屋で、ひとり
長回しで、自分で自分を縛るシーンがあって、
雨に濡れた窓の影が映ったり、
津田寛治も同じように自分で自分を縛っている姿と、カットバックになったりして、
このシーンだけ、まるで別世界のようで
竹中監督は、これが撮りたかったのかなと思った。
似て非なるといわれるかもしれないが、
竹中さん出演の、石井隆監督『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』の
ダークな雰囲気を、思い起こさせる気がした。

だからといって、これがおもしろい映画とか、お薦めとも思えず、
このシーン以外は、吉本興業の芸人たちの過剰気味の演技が目について、
私にとってはいまいちだった。

公開前の映画について、よかった、おもしろかったというのは、
ほんのちょっと勇気がいる。
自分の意見がほかの人と同じかどうか、
それはほかの人たちに観てもらわないとわからない。
しかも、映画好きで何本も観ている人と、
せいぜい月1本程度しか観ない人では、
好みは分かれるかもしれない。

確信的に自分が好きな映画は、ほかの人がどういおうと好きな一方で、
どっちでも…と自信がない場合は、
ほかの人の意見を聞いて、もう一回観に行ったり、結構ぶれるのも事実。
そういう違いを痛感しながら、
結局は、自分を知っていくのかもしれない。

私は、べたな物語映画も、結構、好きで
最新のキネマ旬報4月上旬号で
鈴木則文監督が、『横道世之介』について
「追憶はなぜ美しいのか」というタイトルで批評文を書かれていたのは
嬉しかった。

突然聞かされるラジオ放送の衝撃は、なんともいえず胸をとらえる。
世之介の死後の映像のカットバックがあるからこそ、
私たちは、どこか、世之助の青春あふれる姿を
母のような気持ちで、頼もしく見つめている。
ラスト、余貴美子演じる母のナレーションで、
それまでの感興と、母が手紙に託した思いとが、みごとに重なる。

お人よしで、優しくて、人のたのみごとを断れない世之介が
成人して、社会に出た後、
人を助けようとして自らの命をなくす、という結末、
しかも、その事件自体は実際にあったということが、胸を打ち、
世之介の姿は、あの笑顔とともに、心に強く刻まれる…。
前半は寝ててもいいから、後半の描きぶりを、ぜひ観てほしいと思う。

ずいぶん以前、あるスポーツ新聞の映画担当の元記者さんが、
できるだけ、一般公開前に、試写をみて、
自分の意見、自分の感じたものをどんどん発表するようにと言っていた。

自分ならではの視点、言葉、オリジナルな書きぶりを見つけたいと思いながら、
悪戦苦闘する毎日です。

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