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No345’どこまで続くオリヴェイラ

何度でも観れるのは、物語があるとはいえ、
どのシーンも余白いっぱいで、
何度観ても、発見に満ちているから。

何を映すのか、何を画面にとらえるのか、
監督の意図するところはあるはず。
しかし、私にはよくわからないことも多い。
わからないままでも、妙に心地よく、
何度でもその世界に浸りたくなる。

風景を眺めるおもしろさ、
銅像のものいわぬ顔を見つめるおもしろさ。

オリヴェイラ監督はクラシックをつかうことが多く、
ショパンや、パガニーニなど
とても効果的で、思わずその音楽に酔ってしまう。
音楽に酔う快感も魅力の一つ。

『クレーヴの奥方』のラスト、
修道女が手紙を読んでいる時、鐘が鳴り、
ふと顔をあげる仕草の美しさ。
手紙を机の上に丁寧に置く時にはカットが変わり、彼女の顔はもう映らない。
手だけが映り、灯りを消して、席を立ってから
窓の奥のほうにみえている通路を
修道女達が灯りを手にいそいそと歩いていくのが見えるまで
ワンカットの美しさ。

『家路』のラスト、
ピコリ演じるおじいさんが手すりにつかまり、
疲れた体をひきずるように階段をのぼっていくのを
孫の少年が見つめる。
その顔のアップの意外に長いこと。

『家宝』のカミーラの顔の笑顔が
最初の登場シーンから、既に聖女のようにもみえ、
悪女のようにもみえ、
なんともつかみかねること。

前回までに書いたことで、幾つか間違いもあり修正しました。
どうも記憶が不確かで
頭の中で勝手に脚色していたようで、ご容赦のほど。
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