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No139「娘・妻・母」1960年成瀬巳喜男監督(成瀬特集その6)

~何気ない動作からうかがわれる決意~

ラストシーン、ふいにこみあげてくる涙に、戸惑いながらも止めようがなかった。
物語にはっきりした結末は要らない、とまで思わせてしまう成瀬。
母の行く末がみえないまま、唐突に物語は終わってしまう。
しかし、なんとかなりそうな明るい未来を予感させるから、映画は不思議だ。

舞台は、山の手の中流家庭。母(三益愛子)と三人の娘、二人の息子。
母と同居している長男夫婦に森雅之、高峰秀子。夫に急逝され実家に帰されたばかりの長女に原節子。嫁に行った次女に草苗光子。草苗と同居している姑に杉村春子。
当時の東宝の第1線で活躍中の女優たちを集めたオールスター映画。
原の再婚話や亡夫の保険金、草苗、杉村との嫁姑の確執など、穏やかに展開していた物語が、
後半、借金の形に家を売るはめとなり、急展開する。
家族会議で、母の引き取り手をめぐって、赤裸々な本音をぶつけあう次女や三女、次男たち。
その場にいたたまれず、孫が入ってきたのを機に座を立つ母。

深夜、寝静まった暗い廊下に原が立ち、
母の眠る部屋から漏れる明かりに、ふすまをそっと開ける。
寝付けない母に、再婚先に一緒に行こうと持ちかける娘の優しさ。

見事なのがラスト。
高峰が、郵便物の中に老人ホームからの封書を見つける。
このホームの名前は、杉村が癇癪を起こして、行ってしまったホーム名であることを観客は知っている。
そこで、ふと思い出されるのが、
三益と杉村が肩を並べて歩いていた老人ホームからの帰り道のシーン。
三益は、草苗に頼まれて、杉村を連れ帰すのを手伝ったにすぎない。
下町の狭い家に住む杉村に比べ、
夫の残した広い家に住み、子供たちに還暦を祝われた三益が、こんなホームに来るはずがない。
にこやかに歩く幸せそうな姿が脳裏に浮かぶからこそ、今の三益の運命が残酷に感じられてならない。
話を元に戻そう。
どうしようかと考えながら、高峰は母を捜してあちこちの部屋をのぞく。
縁側では、子どもがおもちゃの自動車をぶうんぶうんと鳴らしながら遊んでいる。
暗い家の中で、義母を探す高峰と、明るい日向で遊ぶ子どもの姿がうまくカットバックされて、どこかただならぬ気配が漂う。
高峰は、思わず手紙をくしゃくしゃと丸めてエプロンに入れてしまう。
そして、台所で洗い物をして、背中を向けている原節子に
「やっぱりお母さん、私たちがひきとろうと思うの」と言う。
「いいえ、お母さんは私が京都(嫁ぎ先)に連れて行くことになっているのよ」
にっこり笑う原の屈託のなさ。
「でも、今までもそうだったし、やっぱりそれが自然だと思うの」
逆光で映し出された原の笑顔が美しい。

二人の会話が終わらないうちに、カメラは、話題の人、母自身をアップで映しだす。
公園のベンチに座ってハンカチを取り出し、汗をぬぐっている。
笠智衆が、乳母車をひいてやってくる。近所の老人という設定で、あの持ち味のままだ。
お孫さんですか、と聞くと、小遣い稼ぎのために子守りをしているんですわ、と答える。
ほんの立ち話をして、別れ、家に帰ろうと歩き出した三益は、赤ん坊の泣く声にふと振り返る。
画面には映らない笠の様子を心配そうに見守りつつ、行きかけては、迷い、何度も振り返る。
カメラは、三益の様子をじっととらえ続ける。
とうとう、こらえ切れなくなって、一歩踏み出し、走り寄って行く。
今度は遠景で、三益がいそいそと赤ん坊を譲り受けてあやす姿が映し出される。
なんということもないシーンだが、このラストシーンがなぜかよかった。
絶妙の間というのだろうか。
三益のその後はわからない。しかし、赤ん坊をあやす姿をみていたら、
きっと強く元気にやっていくことだろうと安心に思われるのだ。
あの何度も振り返る姿をしっかりとらえた成瀬の凄さを感じる。

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本作でも、早苗の友人を演じていた中北千枝子さんが、
13日に亡くなられたそうです。
成瀬映画の名脇役として、独特な存在感は忘れることができません。
心からご冥福をお祈りいたします。
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