映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No795阪本順治監督のトーク【後半】
【前半の続きから】
◎『ビリケン』のこと
ビリケンの像は、今まで通天閣で写すときは、
景色のみえる一番いいところに置いてあって、邪魔になるので、
撮影中はいつも倉庫に持って行ってもらっていた。
新世界三部作目をつくるに当たって
今まで撮ってなかったものを撮ろうと考えた時、
それがビリケンさんだった。
ビリケンを擬人化して撮ろうと思い、
最初、勝新太郎にオファーしたが、自分の役ではないと断られ、
杉本哲太にオファーした。
初日に「てった、たって」(前から読んでも後ろから読んでも同じ!!)と言って
通天閣の一番上に、腕組みして立ってもらい、
ヘリコプターで空撮するシーンを撮影。
何かあっだとしても、初日なら役者を変えられるし、と冗談のように
微笑みながら真顔でいう監督は、トークの中でも、微妙にダジャレをしのばせたりして
とても楽しかったです。
(このシーン、確かにすごいです!杉本さん、何にもつかまってません)
ビリケンはいわば神さまで、
現世に現れるとしたら、どこからがいいのか考えて、
てっぺんになった。
ヘリを含め空撮30万円分は、スタッフの東京―大阪間の移動を
新幹線を使わず車にすることで捻出。
撮影中、杉本さんを見て「おれのツレや~」と言って
やってくる地元のオッチャンがいて
そういうオッチャンを展望台の中に入場させてしまうところが、
通天閣ならでは。
『どついたるねん』の撮影の頃は、
新世界界隈は、ガラガラで、人もおらず、現場にも寄ってこない。
『ビリケン』の時には、もうあちこちから人が集まってきて
むしろスタッフ側から、声をかけるなりして、
地元のおっちゃんたちも、巻き込んで、一緒につくっていった。
◎『新世界』のこと
埼玉国民文化祭でつくったビデオ作品が『新世界』(‘01年18分)。
フィクションでありつつ、
主人公の原田芳雄さんが、
新世界に住むフラメンコの元ダンサー、
通天閣で働く人たち、
旅芸人の小屋とか、あちこちインタビューする
ドキュメンタリーの場面もある。
最後は、原田さん自身がイラクに派遣されるという役。
主役のたたずまいがみえてこれば、大阪でもぜひ新作を撮りたい。
◎『大鹿村騒動記』のこと
『大鹿村騒動記』は、
原田さんに「お前と一本もやったことがない」と繰り返し言われ続け
荒井晴彦さんの脚本をベースにつくった。
監督は、しょうもないギャグ、笑えないギャグを担当(笑)。
「俺には時間がないから」と原田さんはよく言っていたが、
主役と監督の関係がこんなに厳しいものかということを痛感した。
原田さんは、型にはめられたとおりの演出を何よりも嫌い、
たとえば、その日のセリフを持っていくと、
「そのセリフは要らないよ」「そのセリフは言わないから」と答えられて
監督としては、命がけでやっていた。
いわば、「背伸びをして監督を演じていた」感じ。
でも、原田さんは、命がけでなくても、ちゃんとできるところがすごい。
これからやりたい役として
おかまの役、股旅ものの時代劇、ライブもやりたいと言っていて、
映画での役者が「どれだけはみ出るか、どれだけ真剣に遊ぶか」に対し、
歌舞伎では、立ち位置はもちろん、
決められた型どおり、忠実にやらなければならず
はみ出ることはできない。
でも、原田さんは、そういうのも、おもしろいと感じたようで、
喜々としてやっていた。
2週間という短期間で撮った作品だが、
プロの役者たちが集まったおかげで、条件のわるい現場をカバーしてくれ、
急いで撮ったとは感じさせない仕上がりになった。
登場人物のおかしみと、
いい大人が真剣に遊んでいる姿を堪能してほしい。
遊び満載の映画。
原田さんは亡くなってしまったけれど、
スクリーンの中では原田さんに会えるし、会ってほしい。
~~~~~~~~~~~~~~~
トークの内容は、以上です。
当日は、満席どころか、立ち見で会場に入りきらないほどのお客さんが集まり
阪本監督のユーモアをまじえた撮影現場の話や、
原田さんへの愛惜のこもったお話に、思わず胸が熱くなりました。
新世界3部作も、もちろん3本観ました。
思った以上に、すごくおもしろかったです。
※トークの内容につきましては、当日とったメモを基にしています。
もし、勘違い、聞き間違い等ありましたら、どうぞご指摘くださいませ。
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