映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
日野原重明先生のこと~山積みの新聞から7~
さりげなく切り抜いて積んであった新聞記事。
聖路加国際病院理事長をされていた
日野原重明さんの「101歳、私の証 あるがまゝ行く」というエッセイ。
まだまだご存命と思ったら、
2017年7月18日に105歳で亡くなっておられました。
切り抜きも、よく見れば、6年も前、
2013年1月5日の朝日新聞の日曜版でした。
とても元気の出る文章なので、
長いですが、全文、引用してご紹介したいと思います。
副題は「宇宙にラッパを吹き鳴らす気持ち」。
「今年の10月、私は満102歳を迎えることになります。
考えてみれば、「100歳を迎える」というかつて抱いていた夢が、
2年もふくらむことになり、うれしい限りです。
今の私の気持ちは、春風に乗ってスキップする少年の姿のイメージです。
私が幼稚園の時に覚えた、このスキップの心地良さを思い出し、
102歳という新たな目標に向かって進む中で、
再びそれを心の中に抱けることに、
私はどう感謝してよいか分かりません。
私は2000年に「新老人の会」を発足させました。
「世界で一番早く長寿国となった日本の高齢者こそが、
世界のモデルとなるべく、
健やかで生きがいを感じられる生き方をしよう」。
そんな理想を掲げて始まった運動です。
高齢になっても自立し、
これまでの人生で培った知恵や経験を社会に還元できる。
それが会の目指す「新老人」の姿なのです。
この会は、三つのスローガンを掲げています。
「愛し、愛されること」
「新しいことを創(はじ)めること」
「耐えること」。
それを呼びかけ続けて12年余。
1万2298人(先月下旬現在)まで会員を増やすことができました。
務めなければならない使命もたくさんあります。
11年3月の東日本大震災と津波、
それに伴う福島県の原発事故の被害は今も続いています。
亡くなられた方々のこと、身内や親しい人を亡くし、
けがや病気、精神的ショックに今なお悩まされておられる多くの方々を思い、
今年は一層、被災地の復興に力をお貸ししたいと念願しております。
「医学は科学に基礎を置くアート=技である」と、
私の尊敬する米国のウィリアム・オスラー博士は語ってします。
ならば私には、まだまだできることがあります。
たとえば日本音楽療法学会の理事長として、
言葉では伝えられない癒しを音楽という技を使い、
傷ついた方々に届ける機会を提供することが可能です。
医学も音楽も、誰かの幸福に結びつく技、アートであると私は信じています。
「ようし、今年もこの調子で行くぞ!」
宇宙に響き渡るほどのラッパを吹きならすような気持ちで、
きっと皆さんからもたくさんのお力添えを頂けると信じて、
私は新しい年を迎えた今、自分自身を大いに鼓舞しています。」
以上です。
なんと若々しい文章でしょう。
写しながら、はるか年下の私の方が、大いに奮起したい気持ちになりました。
自分にできることを、こつこつしていくこと。
亀の歩みのようにのろくても、
そこにしか道はないのでしょう。
この3つのスローガンも、
とても感慨深く、
先日観た『リメンバー・ミー』という映画の、
消えて行く老人を思い出します。
老いて、身体も自由が効かず、痛みや辛さと隣り合わせでも、
新しい世代の若い人たちのために、
今、自分ができることをして、挑戦を続ける…。
ちょうど、昨日ご紹介したヤマザキマリさんの記事も
「地球を見よ。悩みは小さい」というタイトルでした。
〈地球サイズで見れば、悩みなんてハナクソ〉だそうです。
日野原先生も
「宇宙に響き渡るほどのラッパ」と書かれています。
俯瞰ショットで考えるというのは、
思い悩んだときほど、大切かもしれません。
ヤマザキさんは、
北海道で育ち、昆虫が好きだったせいか、
どこかでこの地球の営みを俯瞰する習慣があるとか。
イタリアという異国で、
夫(イタリアの詩人)の始めた商売で
高利貸しの取り立てにあいながら、
切迫流産の危険の中で、子どもを産んだとき、
アマゾンやサバンナでも子は生まれる、
それに比べたら贅沢だ、自分は大丈夫と
自分を励まして、新しい命を抱きしめた瞬間、
自我がつるりとむけて、
優先順位第1位は息子。
もう詩人とか言っている場合じゃなく、
シャッターがガラガラッと落ちてきたみたいな感じで
別れて、日本に戻って、
生きるために得意な絵と文章を生かして
漫画家になられたそうです。
なんでもものは考えようですね。
(注:新聞記事は、読みやすいように改行しています)
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