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No1110『悲情城市』~淡々とした映像から滲み出すのは…~

1989年の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の
『悲情城市』が神戸の元町映画館で一日1回、1週間の限定フィルム上映!
友達に教えてもらって、土曜、行ってきた。
午後3時からなので、多少寝坊しても大丈夫と、
余裕で行くつもりが結局ぎりぎり。
なんと70近くの席が満席。立ち見も10人を軽く超えていた。
ひざ掛けを貸してもらって通路の壁際で体育館座り。
2時間半の長丁場、
さすがにお尻が痛くなったが、
おかげで、寝ることなく、初めて全編ちゃんと観ることができた。

ギリシャのアンゲロプロス監督の作品に似ている。
叙事詩のような叙情詩のような、
誰か一人にスポットを当てるわけでもなく、
ひとつの家族、林家が主にはなっているが、
友人やら、お客やら、たくさんの登場人物が出てくる。

日本の天皇の玉音放送で始まる1945年から1949年の国民党政府まで
台湾の政治的情勢の変化に翻弄される家族の姿が描かれる。

劇的なことは幾つも起こるが、
総じて、説明もセリフも少なく、誰に感情移入することもない。
ひどく淡々としている。
が、その淡々とした描写の奥から、
時代に翻弄される人の悲しみと、
それでも、生という営みを続けていく人の哀しみ
といった“情”のようなものが、墨絵のように、にじみだす。

シーンの転換で、山の風景などのロングショットが入るのが心に残る。
時代の空気みたいなものが、ゆっくりと、もやのように、
水蒸気のように静かに流れていく感じ。

一番、心に入ってきたのは、
最後の方の、文清と寛美の若い夫婦の姿。
二人が結ばれるまでのやりとりも愛らしかったが、
結婚して子どもが産まれ、
夜、まだ小さな子に匙でおかゆをあげる寛美。
誰かが急な知らせを告げにやってきて、夫が出ていき、
戻って妻に手紙を渡す。
寛美は、子どもにご飯をあげる手を止めないまま、手紙を読み、
とても悲しい顔をする。夫が妻の手をぎゅっと握る。
妻は泣くに泣けず、ご飯をあげ続けるが、
こらえきれず、涙を流し、夫に寄り添う。
このあたりを、ロングショットで、長回しで描くすごさ。
山に潜んでいた妻の兄の訃報だと察しがつくが、
すぐそのあと、兄たちが軍隊に銃殺される姿が描かれる。
それまでで一番、はっきりと涙が映ったシーンかもしれない。

文清たち親子が荷物を持ってプラットフォームに立つ姿、
家族写真を撮る姿と、淡々と映された後、
妻の手紙で、
遠くへ行こうとしたが、逃げる場所もなく、
家族写真を撮った後、夫が逮捕されたことが
妻の手紙の朗読で知らされる。
このあたりの、淡々とした描写が
なんとも余韻があって、じわっと心に迫ってきた。

文清の実家では、いつものように食卓を家族が囲んでいる。
この家の中の照明が少なく、暗い感じは、終始一貫していて、
エンドロールをながめながら、
すごいドラマを観たなあと、胸がいっぱいになった。
どうすごいかは、うまくいえないけれど、
映画らしい映画を観た、という感じ。
何回でも観たい。

さて、映画が終わってから、友達と集まって、
梅田の阪急百貨店の上の台湾料理ヤムチャのお店に出かけた。
ちょうど、3日間限定の箕面ビールのバルもやっていて、
店に持ち込んで小籠包をあてにクラフトビールが飲めた。
超美味しくて、大満足。

来週土曜、10月5日からは、同じく台湾映画
エドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の思い出』が、
京都のみなみ会館で、
午後4時50分から、1週間の上映があります。
今度は京都に繰り出そう!

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