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No626-2『私は猫ストーカー』鈴木卓爾監督語る~京都映画祭~(その2撮影のことなど)

冒頭、星野さんが猫を追いかけて
商店街を蛇行しながら歩いていく。
その歩き方、テンポをみて
このテンポでつながれば、映画ができるなと安心した。

ラストも、猫が坂道を走っていく走り去り方をみて
ここで終われるなと思った。

人間の芝居の中に猫を登場させようとして
猫が出てくるのを待つと時間がかかる。
けれど、これは猫本位の出たとこ勝負の映画で
意外に撮影に時間はかからなかった。

現場には小さいモニターしか置かなかったので
星野さんの表情はよくはわからなかったが、
ラッシュで観て、一つとして同じ表情がなく、
おもしろかった。
星野さんには、
大事なシーンについて事前に感情の話をしただけで
あとは「自由にやってください」とまかせていた。
星野さんが猫に小声でささやきかけている声は
現場では聞こえず、とても自然で、彼女のアドリブ。

猫を相手の撮影なので、もたついているとだめ。
パッと撮る。
人間もトーンが変わるので、パッと撮る。
猫を撮っていくのと同じリズムで、人の芝居も同じ。

ハルの動きを想定して
カメラ、ハル、猫をAフォーメーションとすると
カメラ、猫、ハルをBフォーメーションと呼んで
カメラ隊は、タムラさん、鈴木監督含め3、4人。
走らない、騒がないを徹底した。
本隊は少し離れたところでカメラ隊を追う形。

音響設計の菊池信之さんが
見えない猫の声を上手くつかって
映っている猫の数倍の数の猫が
いるような画面にできた。

爆音映画祭で上映したい。
ハル以外の人が、皆、途中から猫にみえてきて、
観客も自分が猫か人間か選べるくらいになれば。

宮崎将の「今日はいい天気だ」というセリフでの
枯れた言い方、ほどけ方がよかった。
ふわっとほどけて、次の展開にいける。

冒頭45分くらいは、ほとんど何も起きず、
赤い本の登場によって、物語が起きる。
あの赤い本は、実は高村光太郎の「智恵子抄」
赤い本が舞い込むのとチビトムが行方不明になるのが同時。

つくっているようなつくってないような、
芝居っぽいようにみえるシーンと、
そうでもないシーンとが混在し、
不思議なタッチ感が生まれ、
夢のようなドキュメンタリーになった。

なぜハルは自分では猫を飼わずに
街で追いかけているのか、
外ではとても明るいのに、自分の部屋へ帰ると暗い表情。
過去への執着を断ち難く、
本当は忘れたいのに、ふたを開けると出てきてしまう。
古本屋の夫婦もハルも同じ。

「猫には知らない時間がある」という言葉が
原作のエッセイにあり、
原作のエッセンスを映像で、映画にできてうれしい。

NHKの中学生日記を担当していた知人に
撮影前にこの映画の話をしたら
「猫は絶対的他者だからいいと思う」と言われた。
猫にわかったような芝居をさせる映画ではなく
擬人化できないものとして、完全他者として猫を描いた。

共同作業の映画で
過去につくった作品とは作り方がちがった。

今度『ゲゲゲの女房』を監督することになり
全くちがった作風だが、
妖怪もまた完全他者であり、
基本コンセプトは同じ。

~~♪♪♪~~♪♪♪~~♪♪♪~~♪♪♪~~♪♪♪

以上です。
聞き手は、映画ライターの富永由紀さんで
とても興味深いお話でした。

新作の『ゲゲゲの女房』を観るのがとても楽しみです。
月300円と有料ながら
山田宏一さん、宇田川幸洋さん、上野昂志さん、高崎俊夫さんと
プロの映画評論家らが書かれていて、大いに参考になる
速報シネマグランプリというサイトを読んで
実は、夫婦というのが互いに絶対他者なのではないか、
と発見して、どんな世界が広がっているのか、
観るのがますます楽しみになりました。
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