映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No182「疾走」SABU監督
2006-02-02 / 映画
~少年の孤独な魂の走りぶりが心を撃つ~
まぎれもない傑作です。
SABU監督といえば、「走る」イメージ。
監督デビュー作「弾丸ライナー」の三人の男(田口トモロヲ、堤真一ら)のひたすら走り続ける姿が、
「ポストマン・ブルース」で郵便局員の堤真一が、大杉漣らと自転車で爆走する姿となり、
「幸福の鐘」で、ひたすら歩く寺島進の姿になった。
そして、「疾走」・・。
みごとな走りぶりをみた。
(以下、ねたばれご注意)
冒頭、鬼ケン(寺山進)の運転する軽トラが、
田舎の一本道をすごいスピードで突進し、近づいてくる迫力と怖さに震えた。
この軽トラの疾走ぶりが、
主人公秀次(手越祐也)とエリ(韓英恵)のランニングへと変わる。
未来を漠然と信じていた秀次の運命は、突如、とんでもない方向に回りはじめ、
秀次は、夜中に走ることで、いじめや中傷から自分自身を守ろうとする。
しかし、次々と不幸が襲いかかり、
長距離バスの駐車場で、エリを背負って、雄叫びをあげながら走る姿が痛々しい。
最後は、ナイフを持って、がむしゃらに向かっていく走りとなって終わる。
この秀次の疾走を、エリが受け継ぐ。
松葉杖をつきながら、青空の下、ゆっくりと確実に前へ進むエリの一歩一歩のなんと力強いことか。
このラストが心にしみる。
秀次の生き様が、生と死の境界線を猛スピードで駆け抜けるようだったからこそ、
「いつか走れるよ」とエリにいう最後の言葉が痛烈に響いてくる。
生きるって、先が見えなくて、怖くて、恐ろしい・・・、
けど、なにがあっても生きろ、生き抜け、という強烈なメッセージが届いたような気がした。
少年が運命に翻弄される作品としては、昨年の「カナリア」が記憶に新しい。
カルト教団の信者の子供の旅を描いた秀作だった。
「カナリア」の最後は、少年と少女が手をとりあって歩いていく場面と記憶しているが、
本作は、エリと宮原神父(豊川悦司)らの姿で終わる。
秀次は親に捨てられ、エリは親や親類に虐待までされ、守ってもらえない。
しかし、宮原神父やアカネ(中谷美紀)、鬼ケンらに出会ったことで、秀次もエリも救われた。
エリが「一緒に生きる」人を見つけたことの暖かみがラスト、希望を抱かせるし、
そういう大人がいたことが、「カナリア」とのテーマの違いでもあろう。
この大人を演じる役者たちが皆、すばらしい。
罪の意識を抱えつつ、広い心で、静かに生きようとする神父を演じる豊川、
とりわけ、ラスト、彼のナレーションが入ってからの展開は、心臓をわしづかみされるようだった。
中谷美紀の「今度、生まれ変わったら、極道はやめとこな」のセリフに、
悲しい運命を背負った女の、度量の広さと優しさを感じた。
寺島進は、出番は少しながら、男気のあるやくざ、鬼ケンの男性性を強烈なイメージで残した。
主役の二人も期待度大。
手越祐也は「NEWS」の一人で、強烈な目の力と存在感はピカイチ。
韓英恵の、ナイーブで、つっぱった感じがすばらしい。
傷ついた魂を抱えた二人の旅路の孤独さは、心に突き刺さるようだった。
脚本(SABU)もすばらしい。
最後を宮原神父のナレーションで語らせる絶妙さ。
場内は、若者が多く、高校生もかなりいた。
正面を陣取った女子高生らは、2回目の鑑賞とか。
この作品のヒットは嬉しいかぎり。ぜひ原作を読んでみようと思う。
満足度 ★★★★1/2(星5個で満点)
追記
SABU監督に興味を持たれた方には、「ポストマン・ブルース」、お薦めです。
かなり前にビデオで観たのですが、存分に楽しめ、かつ、泣けました。
まぎれもない傑作です。
SABU監督といえば、「走る」イメージ。
監督デビュー作「弾丸ライナー」の三人の男(田口トモロヲ、堤真一ら)のひたすら走り続ける姿が、
「ポストマン・ブルース」で郵便局員の堤真一が、大杉漣らと自転車で爆走する姿となり、
「幸福の鐘」で、ひたすら歩く寺島進の姿になった。
そして、「疾走」・・。
みごとな走りぶりをみた。
(以下、ねたばれご注意)
冒頭、鬼ケン(寺山進)の運転する軽トラが、
田舎の一本道をすごいスピードで突進し、近づいてくる迫力と怖さに震えた。
この軽トラの疾走ぶりが、
主人公秀次(手越祐也)とエリ(韓英恵)のランニングへと変わる。
未来を漠然と信じていた秀次の運命は、突如、とんでもない方向に回りはじめ、
秀次は、夜中に走ることで、いじめや中傷から自分自身を守ろうとする。
しかし、次々と不幸が襲いかかり、
長距離バスの駐車場で、エリを背負って、雄叫びをあげながら走る姿が痛々しい。
最後は、ナイフを持って、がむしゃらに向かっていく走りとなって終わる。
この秀次の疾走を、エリが受け継ぐ。
松葉杖をつきながら、青空の下、ゆっくりと確実に前へ進むエリの一歩一歩のなんと力強いことか。
このラストが心にしみる。
秀次の生き様が、生と死の境界線を猛スピードで駆け抜けるようだったからこそ、
「いつか走れるよ」とエリにいう最後の言葉が痛烈に響いてくる。
生きるって、先が見えなくて、怖くて、恐ろしい・・・、
けど、なにがあっても生きろ、生き抜け、という強烈なメッセージが届いたような気がした。
少年が運命に翻弄される作品としては、昨年の「カナリア」が記憶に新しい。
カルト教団の信者の子供の旅を描いた秀作だった。
「カナリア」の最後は、少年と少女が手をとりあって歩いていく場面と記憶しているが、
本作は、エリと宮原神父(豊川悦司)らの姿で終わる。
秀次は親に捨てられ、エリは親や親類に虐待までされ、守ってもらえない。
しかし、宮原神父やアカネ(中谷美紀)、鬼ケンらに出会ったことで、秀次もエリも救われた。
エリが「一緒に生きる」人を見つけたことの暖かみがラスト、希望を抱かせるし、
そういう大人がいたことが、「カナリア」とのテーマの違いでもあろう。
この大人を演じる役者たちが皆、すばらしい。
罪の意識を抱えつつ、広い心で、静かに生きようとする神父を演じる豊川、
とりわけ、ラスト、彼のナレーションが入ってからの展開は、心臓をわしづかみされるようだった。
中谷美紀の「今度、生まれ変わったら、極道はやめとこな」のセリフに、
悲しい運命を背負った女の、度量の広さと優しさを感じた。
寺島進は、出番は少しながら、男気のあるやくざ、鬼ケンの男性性を強烈なイメージで残した。
主役の二人も期待度大。
手越祐也は「NEWS」の一人で、強烈な目の力と存在感はピカイチ。
韓英恵の、ナイーブで、つっぱった感じがすばらしい。
傷ついた魂を抱えた二人の旅路の孤独さは、心に突き刺さるようだった。
脚本(SABU)もすばらしい。
最後を宮原神父のナレーションで語らせる絶妙さ。
場内は、若者が多く、高校生もかなりいた。
正面を陣取った女子高生らは、2回目の鑑賞とか。
この作品のヒットは嬉しいかぎり。ぜひ原作を読んでみようと思う。
満足度 ★★★★1/2(星5個で満点)
追記
SABU監督に興味を持たれた方には、「ポストマン・ブルース」、お薦めです。
かなり前にビデオで観たのですが、存分に楽しめ、かつ、泣けました。
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