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桜の花の残した跡

桜吹雪という言葉があるように、
桜の花が散っていく様子は、
雪が降ってくるのに似ている。

桜の花びらと雪と、どちらが重いのかわからないが、
浮力と重力との狭間で、漂うように
ふわふわと落ちていくさまは、
桜も綿雪もよく似ている。

雪は、大地に届けば、たいてい溶けて消えてしまう。
桜も、どこか、そんなはかなさを感じさせつつ、
点々と、薄桃色の跡を残す。
黒々とした石碑の上、あるいは、
神社の手水舎(てみずや)の水盤の上に舞い落ちる。
水面で、きらきらと光と戯れているようで、
ずっと見ていたくなる。

地面に舞い降りた、たくさんの桜の花びらで、
一面、桜色の絨毯ができていれば、
今落ちたばかりの花びらも、その中にまぎれて、
どれがどれだか、わからなくなる。

そっと音もなく、積もっていくところも、雪に似ている。
存在しているようで、存在していないようなはかなさは
あわれにも、妖しさにも通じる。
桜の樹の下や、降り積もった花びらの下に、
死に通じるものが埋まっていたとしても、おかしくない。
むしろ、美しささえ感じるのは、
桜が桜だからだとも思える。

桜の花に、満開の見頃があるなら、
散り頃、もあるのだと、ふと思った。
桜の5枚の花弁が、一枚、一枚、
はらはらと散って、風にのって流れていく美しさ。
昨日、山崎で出会った光景は、そんな一場面だった。

小学6年生の時だったろうか。
宮澤賢治の「やまなし」という短編(青空文庫に掲載あり)を読んで、
一枚の模造紙に(愛知県ではビー紙と呼ぶ)
6、7人の子が一緒に、思い思いに絵を描くという授業があった。
そのときのルールは、
「しゃべらない」「人の絵のじゃまはしない」だけで、
あとは、全く自由で、どこに何を描いてもよかった。
まん中にいきなり描く元気な子もいれば、
端っこに小さく描く子もいたり、
絵の具や、クレヨンで、
「やまなし」に出てくる蟹の子を描いたり、
好きなものを描いていた。

大きな紙の大半が、いろんな色で埋まり、
余白がなくなり、終盤にさしかかった頃、
友達の女の子が、
いきなり、、
右手の指先に濃いピンクの絵の具をつけて、
指で、猫の足あとのように、桜の花びらのような印を
模造紙のななめ対角線上につけていった。

「やまなし」の舞台が、谷川の底だから、
桜の花びらが川を流れていくイメージだったのか。

彼女は、本好きで、想像力豊かな空想少女で、
一緒に科学館に通って星を見たり、仲良くしていたので、
その時の驚きと、
すごいと思った感嘆の気持ちは今でもよく覚えている。

その後、模造紙をめくって、裏にも絵を描き始める子が出てきたり、
絵の具のバケツを、紙の上にひっくり返したり
いろんな派手な試みが繰り広げられたが、
友達がつけた足跡を超える衝撃はなかった。

肝心の絵がどんなだったかは、まるで思い出せないし、
彼女がどういうつもりで、それを描いたのかもわからない。
でも、あのときの、赤い花びらの跡だけは、
はっきりと覚えている。

子どもだった頃で、一番楽しかった記憶は
ちょうど小学5、6年生の、自由奔放なクラスのことで、
桜は、そんなはるか昔の記憶をも
呼び起こしてくれた。

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