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No240「飢餓海峡」~百戦錬磨の男を慟哭させたもの~

この映画の凄いのは、時代を感じさせること。
昭和22年、戦後の混乱期で、ひもじくて仕方がなかった時代。
そして、その10年後。
人物造形の凄さとともに、まるっと時代のようなものを考えさせられる。

元刑事の伴淳三郎が、牢の中の三國連太郎と話をした後、
「ある砂」を置いていく。
これまで虚勢をはってきた三國は
その砂を目前にして、自分のしでかしたことの愚かさをつきつけられる。
やおら、ありったけの力で、床を掌で何度もたたきつけ、嗚咽する。
その音のなんと悲しいこと。はらわたまでしみるようだった。
とりかえしのつかないことをしてしまった後悔と腹立たしさが、
彼の心をかきむしる。

函館の老刑事を演じる伴の、渋く、厚みがある存在感に圧倒された。
彼がいるだけで、なぜか画面から、緊張が伝わってくる。
伴の読むお経も、朗々として、味わいがあり、最後に読まれたときは、
なんだかしみじみと感慨がこみあげてきた。

伴の家族もいい。
父親の苦労は報われず、事件の責任をとって失業、家族は赤貧の暮らし。
10年経って、またもその事件のために舞鶴に行く父に、
息子はあきれ、父の旅費に出せるような金の余裕はない、と言い切る。
しかし、父が出て行った後、弟に
親父、うれしそうに出て行ったか?と尋ね、うなずかれると、
少し考え、黙って財布からお金を出し、渡して来てくれ、と頼む。
じっと嬉しそうに息子をみている母。照れながらも少し微笑む息子。
家を飛び出した弟は、「親父!」と手を振り、父親のところに駆け寄っていく。

この映画のもう一人の名優、左幸子。
三國にもらったお金の包みを大切にひろげ、
あなたのおかげで、父の病気もなおり、東京に来ることができた、
あとは、つかわずに、この上に、どんどんお金がたまるよう一生懸命働きます、と
ひとりごとを言う姿の、なんと悲しく、けなげなこと。

やっとの思いで雇い先を見つけた左が、
おかみの沢村貞子に「明日から早速、来ておくれ」「交通費はあるかい?」と
優しい言葉をかけられ、ほろりとする。
帰ろうと履物を取ろうとして、そのまま突っ伏して泣き出してしまう。
「ここで雇ってもらえなかったら、どうしようと思っていました」
優しさと清らかさがしみいる。

伴の
「本当に貧しい思いをした者にしか、この気持ちはわからんのじゃないでしょうか。」という言葉が重く心にのしかかる。
最後の海の景色は、ただもう悲しく美しい。
日本映画史に残る名作というのを実感した。

満足度★★★★1/2(星5個で満点)
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