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No1179『ホドロフスキーのDUNE』~ホドロフスキーという“活性化剤”~

「人生の目的とは、
自分を魂として昇華させること。
私にとって映画は芸術だ、
ビジネスである前に。」
by ホドロフスキー

見た目はただのおじさんである。
でも語り出したらすごい。
80を超えてなお、あんなに熱く、
“志”を持ち続けることが大切だと
語れる人を私は知らない。

「私は300歳まで生きたい。
最高に芸術的な映画を作りたいなら、
作ればいい。
失敗しても構わない。
挑戦するんだ。」

芸術を生み出すには、クリエィティブであるには、
1%の狂気が同居している、みたいな言葉もあったように、
壮大な物語の映画化を図るには、“狂気”も必要だったかもしれない。
でも、企画を実現させるまで粘り強く辛抱するのは、
やっぱり、
自分を信じる力と、
自分の志すものを一緒につくる、仲間の力を信じる力だ。

ホドロフスキーは、自らの夢を語り、
映画に必要な人たちを結び付け、
触媒のようにその才能を引きだしていく。
ホドロフスキーといういわば“活性化剤”みたいな存在が
巻き起こしたもの、
それが『DUNE』だったのかもしれない。

本作は、1975年、
ホドロフスキー監督が46歳の時に
『DUNE』という映画を企画したが、
頓挫してしまい、幻に終わったという顛末を、
監督だけでなく、
一緒に映画化を進めたスタッフたちが
インタビューに応じて語り、
当時つくったキャラクターやイメージ図を
見せてくれるというもの。

正直、ここまでおもしろく、刺激的とは思わなかった。
何よりホドロフスキー自身が、
とても魅力的な“じいさん”なのだ。
絶大な自信をもって、自分の夢を、自分の企画を語る。
その目は、少年のようにきらきらとしていて、魅力的。
語りが尽きることはなく、
思わず引き込まれてしまう。

「『デューン』とは、
芸術と映画の神の降臨だ。
とても神聖で、自由で、
新しい視点から精神を解放させるものを作って、
世界中の人々の意識を根本から変えたい」

こんなことをいえば、新興宗教の教祖とか、
ただのペテン師、ほらふきに思われかねないところ、
そうならないのは
監督が、実際に、全身全霊を注いで映画化に挑戦し、
企画が頓挫して、
どうしようもない挫折感、自己喪失感を味わい、
どん底を見てきたから。
それでもなお、
「失敗をしてもかまわない、それも一つの選択なのだ」
と語る強さ。
その表情に嘘は決してなく、力強さと、夢を託す気持ちが伝わる。

この映画を観た多くの人が、
思わずツイッターで次々とつぶやく気持ちがよくわかる。
誰もが、ホドロフスキーの言葉に、エネルギーに
刺激され、感化され、勇気づけられるのだ。

映画化を試みたのは、『デューン/砂の惑星』というSF小説。
監督自身が、中身はなんでもよかった、
ドン・キホーテでも、という言葉には、
思わず、自分自身が、ドン・キホーテ的な存在であることを
自覚してるのかなと思わせ、微笑ましかった。

この『DUNE』の絵コンテ本(ストーリーボード)の分厚いこと。
緻密に書き込まれた絵コンテが並ぶ、
カラーで立派な絵コンテ本は、ハリウッドの各映画会社に
送られたそうだ。

メカのデザインもすごいなら、
私が一番圧倒されたのは、H.R.ギーガーによる
悪役ハルコンネン男爵の白のデザイン画。
これはもう芸術としかいいようがない不気味さで、
この人が、後にエイリアンを生み出すというのも納得である。
ホドロフスキーいわく
「君は魂の奥底に潜む深い闇を探求している。
それが君が創る芸術だ。
君の作品は邪悪な芸術だ。
ハルコンネン男爵に必要な病んだ芸術だ」

オーソン・ウェルズにこのハルコンネン男爵を
サルバドール・ダリに銀河帝国の皇帝を演じさせ、
ミック・ジャガーにも出演してもらい、
音楽はピンク・フロイドというから、
あまりに錚々たるメンバーで驚く。
映画会社が、その企画の壮大さから、映画化に踏み切れなかったというのも
わからなくはない。

そうして、幻に終わった『DUNE』の魂は、
形を変えて、
他の監督によってつくられる新しい映画に
受け継がれていく。

「『DUNE』はこの世界では夢だ。
でも、夢は世界を変える」
というホドロフスキーの言葉に胸打たれる。
「夢」という言葉について思わず考えさせられた。 

「」は、映画のパンフレット、リーフレットからの引用です。

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