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映画の合間に~夏の夜を彩る花火…~

4日の土曜日、夕刻地下鉄に乗ると、
浴衣姿の人が目立ち、今日は淀川花火があると思い出した。
スカイビルのリーブルでのワイズマン監督作品は、
人の多さが思いやられて延期。
テアトル梅田で新作を見て、次のレイトを待つまでの間、
花火の音につられて、外に出た。
何年か前、プラネットでの映画の合間に、
少し北の大通りまで出ると、
近所の家族連れとかがいっぱいいて、
通りの向こう、ビルの谷間に花火が見えたのを思い出した。

とにかく北に行こうと、ロフトから新御堂を少し歩いてぶつかった、
大きな通りを西に行くと、予想どおり花火がちょうど通りの向こうに見えてきた。
阪急インターナショナルホテルの正面玄関の交差点のあたりまでいけば、
少し隠れてはいるものの
ビルの合間に、ちょうどきれいに大きな花火を観ることができた。
私のような、通りすがりの人たちも立ち止まったりして、
歩道は、まあまあ人でいっぱいになった。
とはいえ、多すぎるわけでもなく
若い女の子たちが、時折歓声をあげたり、
男の子たちが、仕事帰りの仲間を呼び出しているのを聞いたりしつつ、
ゆるゆるの感じで、結局、映画までまだ時間もあり、
最後まで30分くらい一人で花火を観ていた。

阪急列車が行きかい、信号の向こう、
明るいネオンが灯るビルの向こうに、
大きな花火が轟音とともに打ちあがる。
実に大きく、連発だったり、
まさに光の洪水で、
思わずまわりの歓声にまぎれて、一緒に叫んでしまった。

ちょうど数日前20年ぶりくらいに
大阪市郊外の花火を友達と観に行った。
市内で腹ごしらえをしてから私鉄に乗って行くと
車内の窓から、いきなり大きな花火が、窓いっぱいに見えて驚いた。
鈍行しか止まらない小さな駅で降りて、住宅街の中を少し歩くと
いきなり家がなくなり、ずっと開けたところ、池の続く向こうに、
ちょうどきれいに花火が見えた。
一本道には、いっぱいの人、人、人。
郊外とあって、なんとなくのんびりした空気で
近所の家族連れ、おばちゃん仲間、若い女の子たち、アベックもいる。
近くに子どもを背負ったお父さんもいた。

真っ暗な夜の闇の向こうに広がる光の数々。
一緒に行った子の歓声に耳をすませつつ
缶ビールを飲んで、光に浸った。
本当に花火は久しぶりで、あまりのきれいさに
「たまや~」とか「かぎや~」とか叫びたい気持ちになった。

ずっと向こうに見える花火の煙の臭いがかすかに漂う。
一瞬の光のせつなさ、
輝きの後の闇の深さを感じるなら、
やっぱり郊外の花火だ。
花火が消えた後の、真っ暗な夜空。
満月に近いお月様も雲の中に隠れ、
いっとき、煙で一部しか見えなくなった花火も
風が吹いて、きれいにみえるようになった。

ちょっとどきどきしたのは、
花火って、皆が同じ方向を向いて、遠くを見て、立っていること。
遠くを見つめる瞳は、皆平行線。

音と光の饗宴。
緑の花火、赤紫の花火と色とりどりで、
きらきらと金の輝きが散りばめられては、
すうっと溶けるように消えていくのも奥ゆかしい。
清少納言なら、きっといろんな形容詞で、花火の美しさを表現するのだろうか。

静かな空間に、花火の地響きが直接身体に伝わる忘れられない体験だった。
一生ものの思い出。

最近、映画関係の知人で二人の訃報がいきなり届いた。
一人は、別にすごく仲がいいわけでもないが、
映画館で見かけたら、なんやかんやとしゃべったりして、
本当に元気にされていたのに、人間、明日何があるのかわからないと思ったりする。
花火が見れるのも今年最後だったらどうしようとか
そんな思いが脳裏をよぎったりしながら、みたりして、よけいに胸が熱くなった。

もともと名古屋市外の田舎で育った人間なので、
今は便利ついでで、大阪市内に居を構えているが、
やっぱり、少しでも空気がきれいで、空が広い郊外の方が
性に合うだろうなあと、郊外の空気が懐かしくも思えた。

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