日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

オリンピック誘致と尖閣問題に見る石原慎太郎氏活用の良い例、悪い例

2013-09-10 | 経営
東京オリンピックが正式決定し、今日本は久々に明るい話題に溢れていると思います。景気動向には心理効果の影響が大変大きいので、日本にとってこのオリンピック誘致成功はいろいろな意味でプラスが大きいと思います。

思い起こせば東京オリンピック誘致を言い出したのは、時の石原慎太郎都知事。良い悪いはひとまず置いておくとして、この人の発言力の強さと場面場面では強引とも思えるほどの行動力にはそれなりの評価をしてもいいのではないかと思います。氏のオリンピック誘致に賭ける情熱と行動力なくして、今回の東京オリンピック誘致はなしえなかったという点においては異論のないところなのではないでしょうか。

しかし、このタイプの人はほおっておくとドンドン独善的な方向に行ってしまいあらぬトラブルを巻き起こしかねないので、周囲は注意も必要です。私のクライアントであるオーナー系の企業経営者にも氏に似たタイプの経営者が何人もいました。独善的になる兆候を感じたら途中で無理やりにでもバトンを奪って、周囲の力であるべき方向にもっていくことが肝要と実感させられる場面にもよく出くわしたものです。

東京オリンピック誘致と並んで、氏の都知事時代にその言動をきっかけとして大きく社会が揺れ動いた問題と言えば何をおいても尖閣諸島問題がアタマに浮かびます。尖閣問題は東京都が島の領有権を守る観点から、都が買い上げると突如「宣言」します。怒り狂う中国を尻目に国を巻きこんですったもんだした挙げ句、突如バトンを取り上げた時の国のリーダーであった野田総理大臣は、混乱の情勢下でいきなり尖閣を国有化するという、言ってみれば中国にとって“火に油”の手立てをとったのでした。

尖閣国有化そのものの是非の問題をここで論じるつもりはありませんが、国が東京都に出し抜かれてなるかというプライド優先ともとれるあまりにも性急な判断は、日中間の外交に大きな溝をつくると共に日米間の信頼関係にもヒビを入れかねない状況をもたらしたと言っていいでしょう。我が国の領土の正当性について、胸を張って主張することは国としてあるべき行為ではありますが、怒っている相手に横からパンチを食らわすようなやり方は、国をより大きなリスクに晒したり、国際社会からの孤立をも招きかねず、決して得策ではないでしょう。石原氏のような気性の勝ったリーダーから、バトンを引き継ぐ際の難しさを象徴するような事件であったと思います。

今回のオリンピック誘致は、結果的に道半ばで他により関心の高いものができた石原氏が投げ出したバトンを、後を受けた猪瀬氏が上手に拾い前任者の独善性を排除しつつ日本の国際的融和性を強調しながらゴールにまで運び込んだと言っていいでしょう。仮定にすぎませんが、もしあのまま石原氏に東京オリンピック誘致のバトンを持たせて走らせていたなら、こううまくことが運んだか否か。私は難しかったのではないかと思っています。尖閣の問題をひきずったままの誘致は日本の右傾化を懸念する国際世論の論調への悪影響も懸念され、存在感があり過ぎる氏の言動の一つひとつにおけるリスク管理が格段に難しかったであろうと思われるからです。

猪瀬氏は、東京という世界有数の大都市の知事という立場の存在感を敢えて極力おさえるという、前任のスタイルを全く受け継がないバトンリレーが功を奏したと思います。メディア取材の落とし穴に引っかけられたとも思えた失言事件が国際的に報道された場面でも、逆ギレや開き直りすることなく真摯に対処したのはその象徴でした。注目度が高い立場故の言動面での前任の失敗を副知事として数多く目の当たりにしてきた、氏ならではのバトンリレーであったのではないでしょうか。

私は、今回の東京オリンピック誘致成功は尖閣問題への対処との比較において、組織運営における独善的リーダーの上手な活用法と失敗しないバトンの受け方を学ぶ格好のケーススタディであったと思っています。

“ドコモiPhone決定”と今後の注目点

2013-09-06 | ビジネス
「当社がアップル社の「iPhone」を発売する旨の報道がありましたが、当社が発表したものではございません。また、現時点において、開示すべき決定した事実はございません。」

NTTドコモが、本日未明の報道各社による「ドコモがiPhone取り扱い」報道を受けて発表したコメントです。報道各社のニュースソースは「関係者」。最初の報道は午前2時の日経のようですから、恐らく“裏取り”の必要ない限りなくトップに近い人物への、夜討ち取材で引き出したコメントを元にしたものかと思われます。新聞各社とも関係者取材により「どこかが書けば」という“確信”状態にあったのは間違いなく、日経の一報を見て一斉報道になった模様です。

ドコモ広報のコメント見てもお分かりの通り、どう読んでも「決定」と言っているようなものです。もし違うのなら、「事実と異なる」「事実はなく」の如き表現で否定するはずであり、「当社が発表したものではございません」は、あきらかにアップルに怒られないための言い訳であるのがアリアリ。しかも「現時点において、開示すべき決定した事実はございません」は、「決定した事実が仮にあっても、現時点で開示すべきものはない」と言っているに過ぎず、これも10日にアップルから正式発表された時に周囲から「嘘つき」呼ばわりされないための、予防線的発言にしか見えません。

これで、通信キャリア3社の競争条件が整って、三者のMNP合戦はいよいよ新局面に入ります。もちろん、ソフトもauも契約の縛りがあり「ドコモiPhone取り扱い→即MNP」とはならないので、当面はドコモからの契約者の流出ストップと契約縛り満了利用者の流入に留まり、さほど大きな動きにはならないでしょう。しかし、ソフト、au陣営が強力な引き留め策を講じないなら、規模の利益でジリジリとドコモ陣営に顧客を奪われることになるのではないでしょうか。ソフト、au陣営がいかなる次の一手を打ってくるのか、楽しみではあります。

ドコモ側とていいことばかりではありません。iPhoneはご存じのように、ドコモ独自のサービスが相乗りできずコンテンツビジネスを新たな柱に据える同社にとっては極めて不都合な商品であります。コンテンツビジネス収入までを見込んだ1台あたりの収益を考えるに、恐らく他社端末に比べて約半分程度になるのではないかと言う話を以前関係者から聞いたことがあります。今回の両社間での販売ノルマの合意点は、これまでの報道から恐らく販売台数の4割程度と想像できます。4割が即座に全契約の4割になるわけではありませんが、国内におけるiPhone人気が続くならば、ドコモにとっては収益率の面でボディーブロー的に効いてくるハズです。

この問題はどこに影響が出るのかと言えば、一番は販売店運営でしょう。これまで2社に比べて圧倒的だったドコモの販売店支援費の面で少なからず影響は出るはずですし、この先機種変更やNMP効果でiPhoneのシェアが高まれば高まるほど支援費への影響は避けられない状況になるでしょう。販売店にとってはiPhoneを扱えるのはありがたいものの、あまり売れすぎても収益性の面で自分を苦しめることになる、手放しでは喜べない状況にあるのです。

ドコモはこれまでも、仮に扱うとしてもiPhoneはあくまで「品ぞろえ」としての位置づけを強調してきていますが、販売台数の4割のシェアを持ち徐々に全契約数におけるシェアも高まっていくのならそれはもはや「品ぞろえ」では済まず、まさしく“ドカン屋”への道をまっしぐらになりかねないわけです。iPhone取り扱いスタート後こそが今後の日本の携帯ビジネスのあり様を左右する本当の正念場になるように思います。ドコモのiPhone取り扱いによって注目すべきは通信キャリア3社の顧客争いばかりでなく、国内携帯電話の約5割を占めるドコモのiPhone後戦略こそ大注目ポイントではないのかと思っています。

元銀行員が語る「半沢直樹」もうひとつの見方

2013-09-03 | 経営
TBSドラマ「半沢直樹」が大変なブームです。昨日の放映では遂に関東圏でも視聴率30%を超えたとか。銀行が舞台の勧善懲悪ドラマがここまでウケる理由は何か。周囲の人たちに尋ねてみると、銀行の内部を知らない人からは「こんなにドロドロしているのか」と興味本位な関心が示され、銀行関係者からは「あり得ない描写はあるものの、銀行の内情をリアルに描いていて、嫌な上司がやっつけられる爽快さがたまらない」と、ストレス解消的な関心が高いようで。いすれにしましても、思いもかけず銀行と言う企業に対する世間の注目度が高まっているようです。

元地方銀行マンの私から見て一番気になるのは、このドラマはあくまでメガバンク、すなわち都市銀行のお話に過ぎないと言う点です。すべての銀行がここに見る東京中央銀行のようなものではないということ。もちろん都銀であろうと地銀であろうと銀行と言う企業に巣食う文化に大差はないのかもしれませんが、特に中小企業経営者の方々には、都市銀行と地方銀行の違いをこの機会に一応認識をしておいていただいた方がいいのかなと思うわけです。

銀行法上のくくりとしては店舗の出店地域に対する違いこそあれ、都銀と地銀ではおこなえる業務にその差はありません。時代は変われども、銀行の基本は預金を集めてその資金を貸し出し、その利ザヤで商売をする、これが銀行の本分でありこの部分の基本的な機能については都銀も地銀も大きな違いはないのです。ではその一番の違いはどこにあるのでしょう。

そもそも主要マーケットから見た銀行の区分けでは大きく2種類に分類されます。ひとつがホールセールバンキング、もうひとつがリテールバンキングといわれるものです。ホールセールとは卸売のことであり、リテールとは小売の事です。ホールセールバンキングの定義はと言えば、大企業、政府および公共団体、大資産家などの大口預金・貸金や証券投資を業務の主対象とする銀行。リテールバンキングは、中小企業、一般個人を主な取引先として同様の業務をおこうなう銀行であるわけです。

日本で代表的なホールセールバンキングは旧長信銀(興銀、長銀。日債銀)や信託銀行ということになりますが、いまでこそリテールバンキングを公言してはばからない都市銀行も、そもそもは全国展開する大手企業を主な取引先とするが故に全国的な店舗展開をその基本要件としていたわけで、その文化は二択で言うならホールセールバンキングに相違ありません。一方の地方銀行は、根っからの完全なるリテールバンキング。この文化の違いこそが実は大変重要なことなのです。

しかし、ちょうど私が銀行に入った30年ほど前から、都市銀行は押し寄せる自由化の波の中で収益重視を旗頭として、それまで相手にしなかったような中小企業にまで積極営業をかけまた一般個人向けの住宅ローンにも力を入れるようになります。一方の地方銀行は、都市銀行との競争激化を何とか勝ち残りを賭け逆差別化をされないがために、国際業務、証券業務にも力を入れて“ミニ都銀化”を目指すようになります。それによって何が起きたのかと言えば、利用者から見た際の都市銀行と地方銀行の同質化であったわけなのです。

しかしながら、都市銀行と地方銀行の文化の違いには今も歴然たるものがあるのです。ここが決して間違えてはいけないところです。何が言いたいのかといえば、「半沢直樹」活躍の場東京産業銀行は都市銀行であり、ここを舞台に展開されるストーリーは都市銀行のそれであるということ。主人公の父が約束の融資を一方的に断られた場面、銀行経営を左右する一社で1000億円を超える引当金が求められるような巨額融資態勢、取引先にまで影響が出る合併行特有の社内派閥抗争…、これらは皆ホールセールバンキング文化に根差す都市銀行の姿であるのです。

もともと都市銀行は大企業のための銀行、中小企業にとってはそこに落とし穴が潜んでいます。言ってみるなら、中小企業マーケットにおける都市銀行は一本釣りの狩猟民族でありうまみがなくなれば去っていく。半沢直樹の父はそんな都市銀行の犠牲者だったのかもしれません。原則論ではありますが、地方銀行はどこへも逃げ道のない農耕民族。中小企業を育て最後まで面倒を見てくれるのは地方銀行、ということになります。もちろん、例外はいくらでもあります。ただ、こういった基本は知っておいて損はないでしょう。

私はドラマ「半沢直樹」に映し出される銀行の姿は地銀のそれとは違うと、それだけは元地銀マンの立場から言っておきたい気がしています。全国銀行協会で都市銀行の連中と二年間同じ釜の飯を食べた経験からも、ハッキリとその違いは断言できます。ドラマですから行き過ぎた演出はあるでしょうが、都市銀行の基本文化は「半沢直樹」にみる銀行の姿と思って間違いないのです。あれを見て少しでも怖いなと思われた中小企業経営者は、メインバンクを地方銀行に変えられることをお勧めいたします(確率の問題に過ぎないかもしれませんが)。

繰り返しますが、中小企業マーケットにおいて都銀は狩猟民族、地銀は農耕民族なのです。安い金利や、付随業務の豊富さや、都銀をメインバンクにするプライドで動かされるのは危険なことです。金利ばかりに動かされるのは愚の骨頂、高度な国際業務や市場業務サービスが欲しいのならサブメイン銀行として付き合ってその部分だけを利用させてもらえばいい、メインバンクが都銀なんていうのは経営者のつまらない自己満足に過ぎませんから。

最後にもうひとつ、仮に銀行に突然掌を返されても、「倍返し」は絶対にできないことだけは確かです。