日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

ドコモの「ツートップ戦略」は戦略オプション準備である件(シンガポール・ドコモiPhone取扱誤報の件付)

2013-06-06 | 経営
ドコモの「ツートップ戦略」やら、「シンガポールドコモでiPhone取り扱い開始」などのニュースが聞こえてきております故、久しぶりにドコモネタをちょっと書いておきます。
http://rocketnews24.com/2013/06/05/336863/

まず「ツートップ戦略」とは何であるのかです。ドコモはこの春のキャンペーンから、スマホの売れ筋2機種を割引優遇機種としてバックアップし、ソフトバンク、auのiPhoneに対し強力な対抗措置を講じようという姿勢を打ち出したものです。

今回のツートップは、サムスンのギャラクシーS4とソニーのエクスぺリア。この戦略はどんな事態を招くのかと言えば、目新しさに欠けてきたiPhoneに対してまずはある程度は狙い通りに、ドコモの巻き返しが狙えるかとおぼしき流れ。もうひとつは、売れ筋商品に一層の傾斜資金配分をおこなうことで、その他の機種との優勝劣敗がより一層明確になるであろうということ。特に後者はかなり重要な意味合いを持っていると思われます。

この部分には、これまで拙ブログで繰り返しお話してきた、ドコモの置かれた立場としての、ガラケーを共に作り上げてきたIT家電大手を守る使命に根差す行動姿勢への変化が明確に現れてきたと言えるでしょう。その変化の理由はいくつかあると思います。NECの携帯事業撤退報道、シャープへのサムスンの出資、円安進展によるIT家電各社の財務好転等々がそれです。

いずれにしましても、ドコモの本音はお荷物化する“ガラケー仲間”をこのまま引きずって行くのは勘弁して欲しいというわけでしょうから、アベノミクス効果の化けの皮が剥がれないうちに先行き見通しの暗いIT家電各社には早期に撤退をご決断いただこうというわけで、この時期に一気に優勝劣敗を明確化する戦略に打って出たと思えます。

こうして取り扱いメーカーを減らしておけば、万が一アップルとの思惑・条件がかみ合った時には弱小メーカーへの配慮の必要もなく瞬時にiPhone導入が決断できる、というお膳立てが整うと言うというわけなのです。ではiPhone取り扱いはあるのか、と言えば、現状では依然白紙であることは間違いないと思います。

確かにギャラクシーのシェアが北米ではiPhoneを凌いでトップに立っているとの追い風もあるでしょうが、日本では依然としてiPhone人気は衰え知らずなわけです。ドコモの本音は、販売シェアの条件さえかみ合うならあくまで「品ぞろえ商品」としてラインアップに加えたいのは事実であるハズです。そうはいっても敵もなかなか条件を下げてはこないでしょうから、当面は静観による「白紙」状態が続くわけです。

ということはすなわち、万が一で可能性は低いですがiPhoneが超強力な新バージョンを開発し、再びソフトバンク、auに大きな追い風が吹くとも限らないわけで、そんな事態をも想定したリスクヘッジ的な戦略オプションを用意するためのベースづくりであろうというのが、今回のツートップ戦略の裏側にあるドコモの狙いであると思うのです(もちろん、ドコモはコンテンツビジネスを一部放棄するこの戦略オプションは、できればとりたくないわけですが)。

次に冒頭のロケットニュースの「シンガポールドコモでiPhone取り扱い開始」の報ですが、ドコモは単にシンガポールの通信会社StarHubの代理店だそうですから、このニュースは「誤報」であり、これをもってドコモがiPhone導入に動き出したとするのは大きな間違いであると思われます。したがって、繰り返しますが現状はあくまで依然「白紙」。単にヘッジ・オプション的な戦略を講じただけと見るのが正しいのではないでしょうか。

最後に余談ですが、これまでも私がドコモのiPhone導入を望んでいるかのように受け取っている方がいるようですが、それは全くの誤解です。あくまで企業戦略分析の立場で見た場合、携帯ビジネスを巡るマーケットは本当に興味の尽きないマーケットであり、時々刻々変化する経済と企業の状況の中で、ドコモが何を考えどのように微妙に戦略を変化させてきているのかに関心をもって個人的な感性で読み説いているにすぎません。悪しからず。

渡辺美樹氏の言い訳では償えない「未必の故意」という罪

2013-06-03 | 経営
ワタミの渡辺美樹氏が自民党からの参院選出馬を前に、「ワタミはブラックじゃない」という弁明をネット上でしたそうです。これは氏が予定している参院選出馬をにらんで少しでもイメージを向上させておこうという狙いがミエミエではあるのですが、どうも何か違和感を覚えずにはいられないものでした。
http://blogos.com/article/63429/

そもそもが「ブラック」の定義そのものが決まりきったモノがあるわけではなく、あやふやな状況下での言い訳に過ぎないわけで、あくまで渡辺氏個人の基準に照らしての弁明。かいつまんで氏の弁明の要旨を記すと、①離職率は同業平均以下であり問題ない、②年収は同業平均を上回っており問題ない、③時間外労働は36協定の範囲内であり問題ない、④メンタル面理由による休職・退職者も多くなく問題ない、というものです。

それぞれに対していちいち細かい指摘をするつもりはありませんが、この4つの言い訳が正しいモノであったとしても、これをもって「ブラック批判」に対する抗弁とするのはいかがなものであるのかと考えさせられてしまうところです。

個人的にはそもそも「ブラック批判」というものは、法令違反であるか否かを問われているのではないと思っています。もちろん法令違反があるのなら、それはもうその段階で完全アウトであり、法令違反がないという前提においてなお企業経営としておかしいと言うモノに対して今「ブラック批判」が起きているのではないでしょうか。

さらに言えば、なぜワタミやユニクロが「ブラック批判」のヤリ玉にあげられているのかと言えば、それは上場企業であるからに他ならないわけです。法令は上場企業であろうが、大手企業であろうが、中小企業であろうが同じように同じ法令を守る必要があるわけですが、企業モラルという観点からは企業の置かれた立場によって求められるモノは自ずと違ってくるはずなのです。

すなわち、上場企業や大手企業が中小企業と同じ感覚で「法令さえ守っていれば問題ない」とするのは、企業モラルからから言って明らかに間違った判断であると思います。その意味で言えば、渡辺氏の言い訳は中小企業レベルでは通用するものであっても、上場企業、業界を代表する大企業のリーダーが申し述べるモノとしては、いささか物足りないものであると言わざるを得ないでしょう。

ワタミやユニクロがなぜ「ブラック批判」を受けているのか。よく考えてください。立場的に強い者が、大幅な残業をしなくてはこなせないだけの大量の業務を与えながら、残業に対する制限を加え(評会と言う形である場合を含みます)、実質労働時間と賃金のバランスが崩れた理不尽な労働環境やサービス残業が発生せざるを得ない状況に追い込んでいることにこそ問題があると指摘をされているのだと思います。こういう状況を犯罪などで使われる用語では「未必の故意」と言います。起きてはならないことが起きることが十分想定できるような状況にありながらそれを放置すること、それが「未必の故意」です。すなわちそれは「クロ」ですよということなのです。

渡辺氏はいろいろな場所で「夢」を多く語っているようですが、それはあくまでご自身の「夢」です。ご自身の「夢」の実現のために、それを支えるどれだけ多くの人たちが結果として無理な労働環境を強いられ「夢」を感じることなく敗北感の中で打ちひしがれていったのか。ご自身の新たな「夢」の実現である国会議員をめざされる前に、「ブラック」批判に対して形式的な言い訳をするのではなく、今一度胸に手を当ててご自身の組織内における従業員が被害者になっている「未必の故意」の解消に向け何をなすべきなのかお考えになられた方がよろしいのではないかと思います。