日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

明朝、NHKラジオに出ます

2012-09-05 | その他あれこれ
明日、6日朝のNHKラジオ第一放送「ラジオあさいちばん」に生出演します。6月に引き続いて2回目の登場です。今回のテーマは、「日本一暑い街の街おこし「くま辛」この夏の成果と、今後の地域活性化策のあり様」といったところのようです。台本なしのぶっつけで臨みます。

出番予定は午前7時40分前後です。通勤途上でもラジオをお持ちでなくとも、スマホの無料アプリ「らじるらじる」で、聞くことができるそうです。

よろしかったら耳を傾けてみてください。

石原親子「都知事=首相タッグ」への懸念

2012-09-04 | その他あれこれ
再選を目指す谷垣自民党総裁が、出身派閥の代表古賀元幹事長に総裁選への協力要請をおこない断られたという出来事がありました。このことに関連して政治素人的視点で感じる部分を書いてみます。

古賀氏は谷垣氏との面談で「次の総裁は選挙の顔だ。思い切って若い人にして自民党を再建したい」と言ったそうで、報道によれば総裁選に向けて石原伸晃幹事長を支持し推していく構えとのこと。石原氏本人も総裁選出馬に意欲を見せているそうで、この流れでいけば石原氏が総裁選の有力候補のひとりになることは間違いなさそうな雲行きです。

今度の総裁選は、その後に想定される総選挙でもし自民党が勝ち民主党との議席数逆転があれば、第三極との連立を含めて自民党から再び総理大臣を輩出することになる可能性も高い選挙であり、当然それをにらんだ上で総理候補としての国民世論の動向も踏まえた慎重な人選が望まれるところでもあります。石原氏はどうなのかというと、氏の政治手腕がいかほどのものであるのかはよくは存じ上げませんが、個人的に何よりも気になるのは氏の実父が石原慎太郎東京都知事であるということではないかと思っています。

石原都知事が問題人物であるとかないとか、そういうことを申し上げているのではなく、良い意味、悪い意味を含めて他に類をみないほどアグレッシブな政治家であり、日本の首都の長であるということにおいてややもすると周囲が考える知事のミッションを飛び越えて、様々な物議をかもす言動を展開することがこれまでにも多々あったと記憶に確かなところであります。繰り返しますが、良い意味、悪い意味双方の観点から申し上げています。

現状を申し上げるなら、何をおいても尖閣諸島問題。都知事のややもすると突っ走り気味な部分を野田首相のまどろっこしいほどの慎重さがあって(野田首相の姿勢を褒めているわけではありません)、至って対応が難しい国際問題に関して暴走させずになんとかバランスをとってきたという流れがあるのも事実なのではないかと思っています。もし仮に、石原都知事の思惑に総理が政府としての言動を一致させて前に進んでしまっていたならと考えると、少しが背筋が寒くなるような事態もあったのではと懸念を感じさせられることろでもあります。

それが、今後都知事のご子息である伸晃氏がこの国の総理大臣に就任するということになったとしたらどうでしょう。もちろん政治判断に身内びいきといった個人的感情を持ち込むことは絶対にあってはならないことではありますが、慎太郎氏、伸晃氏とて人の子、血のつながった普通の親子関係である訳で、全くの他人同士の首相と都知事と言う関係で政治的な判断事項のやり取りができるのか否かは、まず疑問を持って考えるのが当然の道筋であるように思えます。ましてや、慎太郎氏が自身の著作よろしく「スパルタ教育」で伸晃氏を育ててきたとするならその力関係は推して知るべしであり、石原親子による父=都知事、息子=首相の構図は大きな懸念を感じざるを得ないのです。

あらゆる可能性のあるケースを想定しそのメリット・デメリットを事前に検討することは、一国の首相候補を選出するに際しては必要なことではないかと思っています。個人的には、国際問題を含め国政への発言力が強い立場にある首都東京のリーダーと一国のトップたる首相を、親子が務めるという構図は石原親子に限らず不安が残ることではないかと。同族会社でも、経営判断において私情が入ることが取り返しのつかない判断ミスにつながることが間々あるからです。ましてや国の運営に私情による判断ミスは絶対に許されません。自民党の総裁選においては、このような視点も候補者選びの判断材料としては加味されるべき点であろうと思う次第です。

尖閣、竹島、当面必要な対処

2012-09-03 | その他あれこれ
尖閣、竹島関連のさらに続きです。

まず、前回のエントリで「今は竹島問題を優先すべき」という話を書いたところ、尖閣の方が重要度が高いとのご意見をいただきました。小職も、尖閣の資源面、国際関係等からの重要性は竹島のそれを上回るものであるととは十分認識をしております。しかしながら、毎度繰り返しますが、なにぶん今は韓国の武力占拠と言う悪事をようやく国際的な批判の目を向けさせる絶好のチャンスが巡ってきたわけであり、ひとまずここはそれに集中すべきかなと思うのです。

この週末は、東京都の調査船が尖閣周辺を調査に行った件がニュース等で取り上げられていますが、個人的にはタイミングと言う点で感心しません。現状、これがいたずらに中国の反日運動を刺激するようなことになれば、詳細な事情を知らない国際世論に「結局日本も韓国と同じことを中国に対してしているのか」との誤解を与えかねないのではないかと。さらにもしこの先の近い将来、噂されるように石原都知事が尖閣に上陸するようなことがあれば、石原氏自身の本意ならずも韓国の李大統領がした行為と同様のものとして少なくとも中国には受け取られるでしょうし、竹島問題にからむ国際世論に対しても決してプラスには働かないと思うのです。領有権外交に関する大局的な観点から、今後の慎重な対処を望みたいところです。

次に、竹島問題に関して。何より、日本の領有権に関する正当性の主張について政府は常により具体的な理由表明をするべきであると思っています。自己主張をする際に最も重要なことはその理由を明確指し示すことです。例えば李大統領の竹島上陸の際にも、大統領宛信書受取り拒否の際にも、国際提訴拒絶の際にも、「日本固有の領土であり、誠に遺憾である」という旨の表現だけでは、全く不十分であると思うのです。竹島領有権の正統性については、日本国民にも十分に認識されているとは言い難い状況であるとも思います。まずは全日本国民に対しても、領有権の正当性を十分に認識をさせる必要があるのではないでしょうか。韓国民は幼少時代から反日教育を嫌と言うほど刷りこまれているわけで、穏健な日本人がこの問題に関して国民一人ひとりの意識の部分で負けていたのでは、到底国際世論を動かすことなどできないのではないかと懸念するからです。

具体的にはしつこいぐらいに、次の如き見解を繰り返し述べるべきであると考えます。

「竹島は、1905年の島根県への編入をもって正式に日本国の領土となったものであり、それ以前に朝鮮の一部として取り扱われたことも領有権の主張がなされたことも決してなく、このことは1951年に中立な第三国によっても公式に認められているところでもあります。このような歴史的事実にもかかわらず、1952年に韓国政府によって李承晩ラインが一方的に引かれ軍事占拠がなされ、日韓基本条約によって李承晩ラインの廃止が合意された後も占拠を続けていることは不当極まりない行為であり、速やかにこれを解き日本国の領土としての引き渡しを正当な権利として韓国政府に対し要求するものです」

日本国政府は、常にこのような我が国の領有権主張に対する具体的な理由を付した見解を述べ、メディアをも巻き込んで、日本国民の頭にも刷りこみ、韓国政府や同国国民には明確な論拠を持って訴え、国際世論に対して日本の正当性を具体的に主張する、そのような必要を強く感じるところであります。このような具体的な理由を付した見解を世界に対して発信し続けていくことで、国際世論が韓国政府の対し同様に具体的な理由を付した反論を求めることにつながるわけで、そうなれば理由なき不当占拠を続ける韓国は窮地に追い込まれるに違いありません。活字や電波に加えネットメディアが発達をとげた今、過去とはメディアの影響力にも格段の差があります。今が千載一遇、竹島を不当占拠から解く大きなチャンスであると思っています。

(本エントリは、あくまで筆者個人の考え方を示したものであり、特定の政治団体および思想団体の考えに拠って書かれたものではありません。)

尖閣はさておき、今は竹島に集中すべき

2012-09-01 | その他あれこれ
韓国話の続きです。

竹島問題と時を同じくして、というよりも韓国大統領の竹島上陸に刺激をされ中国人が尖閣諸島に上陸するという事件が起き、メディアでは竹島問題と尖閣問題はどうも近いトーンで取り上げられるケースが多いように思います。しかしながら、この2つの日本固有の領土である島を巡る問題は根本的な経緯も問題の重大性も違うので、個人的にはできれば全く別問題としての扱いを徹底してほしく思います。とりあえずその違いを再確認しておきましょう。

まず、尖閣問題。石原都知事の尖閣諸島購入宣言以来、中国もガタガタとうるさく言ってはいますが、中国政府の裏での糸引きがあるか否かは別として、とりあえず現状で世を騒がせているのはあちらの一民間人が(活動家ですが)、「尖閣は我々の領土だ」と叫んで島に上陸し中国の旗を立てたとか、まあ事件そのものはチンピラが街で騒いでるレベルの問題です。中国は国として、都知事発言やら市民活動家に対する日本の対応とかには、いちいちやかましいコメントを出してはいますが、根本的にはどうでもよろしい話なわけです。

そもそもの尖閣の所有権の問題を紐解けば、単なるイチャモン話であります。「尖閣はもともとが琉球王国の所属であり、どうみても日本国」という事実のもと、武力で無理やり日本のものにしたわけでもなく何の問題もなかったものが、諸島近海の地下資源が豊富であるという国際調査を受けて、ある日突然中国が「尖閣は日清戦争の戦後処理時に不当に日本領土化されたもの」という言いがかりをつけているに過ぎないのです。だからこそ、これは徹底無視で良いわけです。日本のメディアも、中国の反日運動等を報道するとかの際にも、そのあたりのことの経緯のバカバカしさは客観情報としてしつこいぐらいにしっかり伝えて欲しいわけです。

一方の竹島問題は全然問題のレベルが違います。一番の違いは何と言ってもその経緯。前エントリで述べた“盗人文化”の韓国が、古くから日本の島根県であった島を戦後のどさくさにまぎれて国際法を無視して勝手に武力占拠し、以降実効支配を続けているというとんでもない話であるのです。完全に盗人ですよ。というより強盗ですよね。日本も敗戦のあおりで弱っていた時代で、現行犯逮捕できなかったことがなんとも悔やまれます。このあたりの経緯の詳細はウィキペディアをご参照ください。
→ http://ja.wikipedia.org/wiki/竹島_(島根県)

しかも現時点での最大の問題は、一国の大統領が盗んだ島に突如上陸して「俺たちのものだ!」と叫んだっていう状況ですから、尖閣の場合の一民間人の行動とは訳が違うのです。尖閣の一件は先にも言った如くチンピラの勝手な乱行程度で済ますことができるのに対して、竹島はヤクザの親分自らが堂々犯罪を先導しているわけですから、これは見過ごすわけにはいかない一大事なわけです。韓国は国ぐるみで犯罪を堂々やってのけている、そんな感じがいたします。

日本が今問題にすべきは、今再び動き出した韓国の国家犯罪に対して声を大にすること。時同じくして起きた先のサムスンの“盗人敗訴”と合わせ、これまでなかなか竹島問題を国際世論に訴えかける機会がなかった日本にとってはむしろ好機なのです。ここは、メディアも歩調を揃えるべきかと思います。尖閣は一切とりあわず、犯罪を犯されてそれを見過ごされようとしている竹島問題にしぼって、“盗人文化”の国韓国の元首自らが先導する国家犯罪であると声を大にして言うべきなのだと思うわけです。

逆に尖閣の問題は、政府もメディアも今取り上げれば取り上げるほど国際世論からは竹島問題もこれと同質視される懸念が増し、韓国の本当の犯罪実態が見えにくくなるように思えてなりません。今は政府もメディアも竹島問題に焦点を絞って、韓国の犯罪を糾弾すべく国際世論を動かす努力をするべきではないかと思います。