日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ6~「2代目がダメにし、3代目がつぶす」は本当か?

2007-09-27 | 経営
「組織経営者に求められる“ふたつの顔”」に関する応用編の話をひとつ。
「2代目が会社をダメにする」という通説について考えてみます。

自身は「カリスマリーダー」として、「社員の代表」たる“ナンバー2”との見事な分業で会社を育てた創業者ですが、跡を継ぐ2代目は、創業者が偉大であればあるほど、またカリスマ性が強ければ強いほど、「先代にはかなわないから別の手段で会社をまとめよう」と考えるようになります。すなわち「カリスマリーダー役」は先代に任せ、社長就任前の専務、常務の時代から皆に気を遣い「社員の代表」として社内の支持を集めようし、そのまま社長就任となるケースが多いのです。

そうなると、どういうことが起きるか?まさに「絶対的リーダー不在」、さらには先代が作ったナンバー2との役割の“カブリ”が生じます。最悪のケースは、ナンバー2が役割の“カブリ”を察知し、「私の役目は終わりました」と辞任してしまうケースです。残されたのは、旧ナンバー2よりも未熟な「社員の代表」で、かつ「カリスマ性」や「牽引力」のないトップのみ・・・。経営者が持つべき「ふたつの顔」のうちのひとつが失われ、もうひとつも弱くなる。組織運営には大きく暗い影を落とすとことになります。

何となく、「ぶち壊し屋創業」の小泉内閣の後の安倍内閣にも通ずる話ですね。言ってみれば、内閣は中小企業みたいなものですからね。

先代が会長職等で残っていれば、まだ2代目との“分業”での体制は当面保てますが、それも長くは続きませんから(異様に長い場合もありますが・・・)、早々に役割の入れ替えを検討しなくてはいけなくなるでしょう。2代目に譲ると決めた段階で、先代が2代目に教えるべきことは、いかにして「牽引力ある経営者になるか」というとこにつきます。そればかりは、ナンバー2に任せるわけにはいかず、社長自らがしなくてはいけないことですから。昔からよく言われる「帝王学」とは、まさにこのことなのです。

「院政」をひいて社長を譲った後も、「カリスマ」として君臨する創業者をよく見かけますが、これは結果的に「牽引力ある」2代目が育たず、将来にわたり徐々に企業体質を弱めていく原因になるということを認識しなくてはいけないと思います。

少し余談。
「うちは代々サラリーマン社長で、誰がトップに立っても全然牽引力も感じない代わりに、会社が弱っているという心配もないよ」ということを話す人がいます。
これは大企業やそれに近い企業などのケースでしょう。既に確固たる組織ができあがっている企業では、「経営者の牽引力」の有無が大きな問題にはならないのです。逆に、サラリーマン社長の大企業では、カリスマ的牽引力はない「社員の代表」的トップが代々続くのは普通のこと。むしろ、そんな企業に「カリスマ」的社長が現れると、それが転機になって会社の体質を一層強くすることがあります。稀に起きる大企業経営における「経営者のふたつの顔の実現」です。SONYの出井前CEOなどは、SONYの企業風土にも後押しされたそんな稀な例ではなかったでしょうか。企業のサイズに関係なく、「ふたつの顔を持つ経営」はやはり企業経営には大きく貢献する要素なのです。
たいていの場合大企業では、「カリスマ」が現れるケースは少数で、通常はより強い「社員の代表」権争いが生じ、いわゆる“派閥抗争”が起きやすくなるのです。“派閥抗争”が激しくなりすぎると、「社員の代表」権が分裂し実際にはトップが“社員を代表していない存在”に成り下がり、確固たる組織が出来上がっているにもかかわらず、企業が迷走し存亡の危機を迎えるようなケースもあるのです。

話を戻します。
大企業と異なり中小企業では、カリスマ創業者から「社員の代表」であるが「牽引力のない2代目」へのバトンタッチは、命取りになりかねません。運よく「牽引力のない2代目」が持ちこたえても、それを見て育った次の代では、さらに弱い経営者になる可能性が高くなります。2代目が「社員の代表」役のみを務めていたとすれば、3代目は「ふたつの顔」をひとつも持てない可能性も出てくるからです。
こうして考えると、「創業社長が大きくした会社は、2代目が会社をダメにし、3代目が会社をつぶす」とよく言われる話は、けっこう真実味があることであるとお分かりいただけると思います。

会社は人が作るもの、組織は人が動かすものですが、生き物であり本当に難しいですね。
経営における「人」と「組織」のバランスの問題は、会社の生死にかかわる企業経営の永遠のテーマであります。


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