日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

日本板硝子外国人社長辞任に関する件

2012-04-19 | 経営
昨日、日本板硝子の外国人トップであったネイラー社長が辞任し、同日付で日本人トップに交代するという出来事がありました。

日本板硝子は「小が大を飲んだ」と言われた06年の英ピルキントン社買収以降、経営の国際化路線を進めており、ネイラー氏の前任も英国人のチェンバース氏がトップを務めていたものの「家族の事情」で1年余りで退任。今回のネイラー氏も2年弱での退任ということもあってか、日本板硝子の企業体質を問題視するかのような声も聞かれています。

もちろん、そのあたりの真相は内部事情に詳しい人間でないと分からないので、正確には何とも言えないところではあります。しかし私は、今回本人・会社双方が認める辞任理由が「取締役会とCEOの経営に関する意見相違」であるという点に注目し、委員会設置会社における代表取締役と取締役会の関係のあり方として双方が期待される機能を果たした結果であり、むしろ企業統治の観点からは評価すべき事例ではないかと思っています。

旧来の日本的企業経営では、代表取締役は形式的に取締役会の互選で選出されるものの常に取締役会を牛耳る立場にあって、仮に取締役会との意見相違があろうとも基本的には代表取締役の意見が優先され“独裁権”が暗黙のうちに行使されるという、ある種の“独裁民主制度”というおかしな組織統治が厳然としてまかり通っています。

今回のネイラー氏の辞任は、取締役会の大勢意見と自身の方針が相違したものの、独裁的な指揮権を発動したり、自らの保身から取締役会に媚を売って延命をはかったりすることなく潔く身を引くという身の処し方であり、世界に冠たるデュポン社副社長を務め経営のグローバルスタンダードを知る氏であればこそとりえた選択であったと思われます。その観点からすれば、日本の大企業経営のグローバル・スタンダード化に一石を投じたと言っていい“英断”ではないかと思うのです。

本件の裏にオリンパスのような不祥事の存在や日本的ムラ社会文化によるトップ追い出しはなかったということが大前提とはなりますが、今回の同社トップの取締役会との意見相違による自主退任は、ソニーのストリンガー氏の取締役会による“実質解任”事件とともに、我が国の国際化路線大企業における企業統治のグローバル・スタンダード化において重要な布石となる出来事であり、メディアからはそのようなトーンでのしっかりとした評価を聞きたいところであります。

今モノづくり日本がぶちあたっている低迷を乗り越えるためには、マネジメントのグローバル・スタンダード化という問題も大変重要な位置を占めています。メディアもスキャンダラスなネタ探しにばかり目を奪われるのではなく、国際的なマネジメント水準の観点から評価すべき点や指摘すべき点を的確に論じて欲しい。日本企業のマネジメントにおける国際的水準の向上は、国内メディアもまたその責任の一端を担っていると思っています。