日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

東電「総合計画」の承認は、政府の“やってはいけない”

2012-04-26 | ニュース雑感
27日に経済産業大臣宛提出予定の東電の再建計画である「総合計画」の全容が、本日の日経新聞に掲載されています。

一利用者の立場でこの計画を見た場合、やはり一番気になるのは家庭向け電気料金の値上げの項目です。東電の再生に向けて値上げという“国民負担”を強いることに関し国民の理解が何ら得られていない現状下で、シラッと「料金改定」として「3年間10%程度の値上げ」などと記されていることに、大きな違和感を感じざるを得ません。

日経新聞の記事によれば、東電のこの値上げによる増収効果は6500億円で、これは12年3月期の赤字見込額6950億円のかなりの部分をカバーできることを想定していると言います。さらに計画には柏崎刈羽原発の再稼働も盛り込まれ、この部分での燃料費の圧縮を750億円見込んでいると。すなわち、国民負担6500億円と担保されない国民生活の安全性と引き換えにした750億円で東電の赤字の埋め合わせをして、再建をはかろうという計画なわけです。これで国民の理解が得られるとお考えなのでしょうか。

なぜ国民負担を強いてまで無理な黒字化計画を立てているのか。東電は13年3月期、14年3月期2年連続の赤字決算は既に決定であり、問題は15年3月期が黒字化するか否かという点にあります。これは何か。東電が3年連続赤字決算となれば、取引銀行は東電向けの貸付金を「分類債権」として“不良債権”扱いし膨大な引当金を手当てしなくてはいけなくなるということです。そうなれば銀行は当然収益に大きな影響が出るわけで、今回の追加融資1兆円の協力にしても、不良債権化することが見えているお金を貸し出すわけにはいかない、という銀行サイドの論理があるのです。

簡単に言えば、この計画は銀行を損させないために国民負担を強いるということ。今回の総合計画を国が認めすんなり受理されるなら、7月に予定されていると言う家庭向け電気料金の値上げ申請を政府が認めたも同然というわけで、この計画の国の承認の可否こそ銀行負担よりも国民負担を優先した政府判断が下されるか否かの瀬戸際であると言ってもいいのです。まずは我々は今、「総合計画」の内容こそ生活に直結するかなり重要なものであると国民レベルで認識をしておきたいところです。

これまでも東電の再建の問題では何度も申し上げていますが、東電の処遇に関しては国民負担の前に株主責任および貸し手責任を問うのが正しいやり方であるはずです。すなわち、貸し手責任を明らかに後回しにせんがためのこのような計画は、絶対に認めてはいけない。まさしく、国民生活を第一に考えるべき政府の“やってはいけない”なのです。

今政府がすべきは、とりあえず値上げによる6500億円と加えて原発の安全性が担保されないなら原発再稼動による750億円は、一層の経費削減等によりねん出する計画に再構築させるべく、計画の出し直しをさせることです。結果、一層の削減による黒字化原資ねん出ができないのなら潔く破たん処理を急ぎ、株主責任・貸し手責任を問うべきでしょう。破たん処理に伴う等国民負担発生の有無はそれからの問題であるはずです。

一方東電の姿勢ですが、東電の削減がこれで目一杯なのか、こちらもいささか疑問です。詳しい計画書にどのように記載されいるのか分かりませんが、新聞報道を見る限りにおいては、削減は10年単位で金額を表示して無理やり金額を大きく見せようとしているかのようなやり方に、かなり恣意的なものを感じますし、その意味ではまだまだ組織風土として危機感が足りないのではないかと思えます。逆に誰が見ても「これ以上は無理だ」と思えるようなより具体性のある削減策を見せて欲しい。今回記載の給与の2割カット、人員削減1割、企業年金1000億円削減が本当に限界なのか、「やらなければ職を失う」というゼロサムの危機感を組織全員が持って、再度の削減策検討に取り組むべきであると思います。

いずれにしましても、政府は株主責任・貸し手責任追及に先立つ国民負担を認める本計画をこのまま承認してはいけないと、メディアも声を大にして訴えかけて欲しいと思っています。