日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

橋下市長が主張する「政治と行政の違い」こそ、政治は問われるべき

2012-04-10 | その他あれこれ
BLOGOS掲載の橋下大阪市長と池田信夫氏の激論を、大変興味深く読ませていただいています。両者のやり取りの中で、私が先週書き留めた「立法府・行政府」について思うところに関するポイントを、橋下市長がとても分かりやすい表現で述べているので、抜粋・転載させていただきます。

「やれることはやるのは行政だ。目の前のカネが足りないからとりあえず消費税アップと言うのは、国のかたち論、地方分権論、道州制論の本質論を踏まえないいかにも行政的な思考。これは行政マンのやること。政治家のやることではない。国のかたち論からあるべき論をきっちりと固める。その上で、喫緊の課題への対応策からとりあえずこうさせて欲しいと説明をする。これが政治だ。(BLOGOS掲載4月9日の橋下市長ツイートより抜粋)」

たまたま私は先週、「レバ刺禁止令」の話にからめて政治と行政の役割の違いの話を書かせていただきました。レバ刺を食べる習慣のない私がその禁止令に噛みついたわけでは決してなく、原発再稼働問題にも共通する問題として、行政的判断に流されたまま国民生活に係るような物事を決めるべきではなく、あるべき「政治的判断」をしっかりと働かせるのが政治の役割であるという趣旨で、立法府と行政府の役割の違いを再認識する重要性を述べたつもりでありました(レバ刺と政治の役割を結びつける違和感が一部読み手にはあったのか、レバ刺禁止令そのものをけしからんと言っているかに受け取られたお門違いなコメントまで頂戴して、正直面食らいました)。

レバ刺の問題は誤解を生むのでこれ以上触れませんが、前エントリーも含め私が今の政治に欠けているものとして常々申し上げているところは、橋下氏が語るこの部分であります。例えば被災地復興や原発再稼働の問題について政治は、「政治的判断」の意味を正しく理解した判断をしっかりと行うべきであると思うのです。すなわち、被災地復興の具体策を検討する前に、原発再稼働の是非を戦わせるその前に、必要な「政治的判断」とはいかなるもので「行政的判断」とどう区分けされるのかというしっかりした定義付けをおこなった上で、政権はあらゆる国民生活に係る重要事項に関して確固たる「政治的判断」を提示するべきであるということです。

「政治的判断」が立脚すべきは、橋下氏が述べる「国のかたち論からあるべき論をきっちりと固める」ことであり、これはまさにビジョンの提示に他なりません。企業経営においても自社の将来をどうしたいのかを、トップが社員に対して提示することは、企業を正しい成長過程に導く必須条件であります。今の政権にはこの部分が全く抜け落ちてしまっている。震災復興の問題に関してなら、復興後の日本をどうしたいのか、原発再稼働の問題に関してなら日本のエネルギー政策の将来像をどうしたいのか、そういった各国民生活に係るビジョンを明確に提示した上で下す判断こそが「政治的判断」であり、それこそがまた国民を引っ張っていく政治の在り様であるはずです。

今の政治は、ビジョンが抜け落ちた行政の延長に他ならず、このことがまさしく「官僚の言いなり」と言われる所以でもあるのです。橋下市長の個々のビジョンが正しいが否かの問題は別として、氏のコメントは政治と行政の違いを全国民が強く認識し政治に何を求めるべきかを十分理解した上で厳しい目を向けるべきであるということを強く訴えるものとして、とても意義深いものであると感じた次第です。