日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

文科省のセンター試験ミス対応に、「不公平感」を“是”とする官僚文化を見た

2012-01-19 | ニュース雑感
先週末実施の大学入試センター試験において、試験問題の一部配布ミス等により大量の受験生が再試験になるという事態に陥り、昨日は平野文科大臣までもが謝罪会見をおこなうという異例の事態になっています。私は、一期校・二期校時代最終年度からセンター試験の前身である共通一次試験への移行期に複数回の大学受験を経験したのですが、大学受験では人一倍苦労をしてるだけに、この一件への文科省の対応については、受験生の立場の考えれば少々納得のいかないものを感じています。

我が国における大学受験は、世界的に見てちょっと特異な位置付けにあります。昭和の高度成長の時代から脈々と続く、官僚主義的学歴偏重。偏差値重視の学歴社会は私が就職をした時代に比べれば徐々に変化が出てきているとは言え、大企業を中心として依然として出身大学の偏差値によってその就職の有利不利が決まってしまう、もっと言えば、一人の人生が大学受験の結果如何によって大きく左右されてしまうこともあり得る、という状況の存在は今も否定できないと思うのです。

さらにその人生を左右する大学の入学試験は、基本的に今も昔も基本受験者の試験得点の相対評価によってその合否が決められます。であるなら、この手の試験において何より重要なことは、「公平性」の確保に他ならないのです。試験主催者側の落ち度によらない「不公平感」の発生(例えば天候や交通機関の事故等によるもの)であるなら、主催者側の可能な範囲の配慮(試験時間の開始遅延措置等)をおこなうことでの対応でやむを得ないかとも思います。しかし、今回のような、明らかな主催者側の人為的落ち度による場合にはどうなのでしょう。

文科省は今回の対応について、いとも簡単に「未受験等のあった受験生に対しては再試験を実施する」という結論を導き出していますが本当にそれでいいのか、いささか疑問に感じているところです。再試験は当然前回のセンター試験とは別の問題で実施されます。一般的には、再試験を想定して何種類かの試験問題は用意をされているようですから実施には支障がなく、この方法を選択したのだと思います。ただあくまでこの判断は、実施者側のご都合であり、受験生からみた「公平性」を考えるのなら、科目平均点が年ごとに上下することからも明らかなように、問題難易度の点から二回に分けて実施される試験の「公平性」を確保することは非常に困難であると言わざるを得ないのです。

ではどうするべきなのか。現実的ではないと言われるかもしれませんが、受験生の「公平性」を確保することを第一に考えるのなら、未受験が発生した当該科目の受験者全員に対して再試験を実施するべきではないかと思います。試験における事故発生の際のルールとして、今回のような措置は事前に決められたものであるのでしょうが、少なくとも主催者側の一方的な落ち度による今回のような事態では、「不公平感」が残ることの重要性を、もっと真剣に考え議論をしてもしかるべきであろうと思うのです。人為的な落ち度により発生した非現実的な「不公平感」という不具合には、一見非現実的であると思われる対応であろうとも責任をもって対処すべきではないのでしょうか。

受験生たち一人ひとりは、今目の前にある受験の難関を乗り越え大学生活を経て社会に出、明日の日本を支える重要な国の“人財”です。“お上”自ら民主主義における「公平性」の重要さというものを疎かにすることを「是」とするようなやり方を、自身の人生前半における重要な局面において彼らに見せつけることは、大袈裟に言うなら大切な“人財”の今後の人間形成への悪影響すら考えるべき問題であると思うのです。自己の責任における「不公平感」の発生を何とも思わないエリート官僚たちの至って事務的と思われる今回の対応には、あるべき官僚の意識改革の根本にもつながる問題として強く警鐘を鳴らすべきであると感じています。