元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが55歳の若さで亡くなられました。スーちゃんネタで1本お悔やみを書ける程のファンではなかったので、昭和のガールズアイドルとは何かを振り返えることで、お悔やみに代えます。
今思えば、キャンディーズは女性グループ初のアイドルだったかなと。昭和40年代前半までは、歌手はまず歌が人並み以上にうまいことが最低条件だったので、純粋なルックスから入る“作られたアイドル”はいなかったように思います。30年代後半~40年代前半にかけての女性グループの人気者と言えば、こまどり姉妹、ピーナッツ、ジュンとネネあたりですが(他にもいましたっけ?なんかあまり思い浮かびません)、皆歌から入っていますから、その後の「ルックスありきで歌は二の次」というアイドル路線はこの時代に存在しなかったのです。
昭和40年代末期に登場したキャンディーズは、歌ではなくまず“可愛い女の子が3人”とい売り出し方をされたように思います。だから初期には歌が売れなくとも、けっこうバライティ番組に使ってもらったりとかしています。ただし音楽学院スクールメイツ出の経歴で人並み以上には歌えていたところが前時代の影を引いており、その後のアイドルとは一線を隔していたと言えます(キャンディーズは一応しっかりハモってましたね)。その後のアイドルとは「おにゃんこ」の秋元系、「モーニング娘。」のつんく系がその代表です。秋元系は徹底して素人路線。とにかく数集めた素人娘をユニゾンで歌わせて素人っぽさを魅力にする、みたいな形でした。「モームス」はオーディション系ですが、基本はまんま素人の女の子の将来性を買うみたいなノリ。いずれもプロとして育てられてプロとして管理されたキャンディーズとは、似て非なるものなのです(キャンディーズと同時代のピンクレディもオーディション出ではあるものの、完璧に造られた“アイドル(偶像)”として“非人間的”管理下で売り出されたスターでした)。
あの時代のアイドルの実態は、キャンディーズの3人が「普通の女の子に戻りたい」という名言と共に、突然自主的に「解散→引退」宣言したという流れが全てを物語っています。要するに当時は鍛えられビッチリ管理された“人造アイドル”こそがアイドルであり、睡眠時間は3時間、恋愛はご法度、プライベートはなし、いわば「アイドルはウンコしない」みたいな“非人間的”管理が彼らを苦しめたのです。それがキャンディーズ、ピンクレディの時代でした。キャンディーズの3人はそんな生活に疲れ、嫌気がさして突如「解散・引退宣言」をしてしまった訳です。
解散後の3人の芸能界復帰に際しては、「普通の女の子になるんじゃなかったのかい?」とおっしゃる方々も多数いた訳ですが、彼女たちが引退したかったのはあくまで当時の「人造アイドル稼業」であり、戻りたかった「普通の女の子」とは「普通の芸能人」のことだったのです。ですから芸能事務所がこの後アイドルの人気絶頂期での自主引退リスクを回避すべく、必要以上に造り込み過ぎず一定範囲で私生活も確保した「おにゃんこ」や「モームス」タイプに、女性アイドルグループを変質させていったのは芸能界の管理面における必然の流れであったのです。従い今のガールズグループは、キャンディーズが身を呈して“作られた非人間的アイドル”という商品を廃品に追い込んだ結果生まれたものであると言えるのではないかと思うのです(韓流ガールズグループのKARAが事務所とモメている問題は、韓国の芸能界が20~30年遅れていることを如実に物語っているように思います。今後彼女たちが日本におけるキャンディーズの役割を担うことになるのかもしれません)。
このように昭和を駆け抜けた元祖“作られたガールズアイドルグループ”のキャンディーズ。ピンクレディと共に確実に昭和芸能界のガールズ文化を象徴する存在でありました。こういう“作られたアイドルグループ”の場合、作られたものであるが故、年月を経ての再結成なんて全くのナンセンスで、もう二度と3人一緒に歌う生姿はありえないと見る側の覚悟は暗黙に決まっているものです(なので最近再結成したピンクレディが、全く盛り上がらないのは至極当たり前のことなのです)。ただ仮にそうであったとしても、田中さんの死でそれが動かぬ事実として確定させられてしまったことは、同じ時代を過ごした我々世代の気持ち的にはなんともさびしい限りではある訳です。
田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。
今思えば、キャンディーズは女性グループ初のアイドルだったかなと。昭和40年代前半までは、歌手はまず歌が人並み以上にうまいことが最低条件だったので、純粋なルックスから入る“作られたアイドル”はいなかったように思います。30年代後半~40年代前半にかけての女性グループの人気者と言えば、こまどり姉妹、ピーナッツ、ジュンとネネあたりですが(他にもいましたっけ?なんかあまり思い浮かびません)、皆歌から入っていますから、その後の「ルックスありきで歌は二の次」というアイドル路線はこの時代に存在しなかったのです。
昭和40年代末期に登場したキャンディーズは、歌ではなくまず“可愛い女の子が3人”とい売り出し方をされたように思います。だから初期には歌が売れなくとも、けっこうバライティ番組に使ってもらったりとかしています。ただし音楽学院スクールメイツ出の経歴で人並み以上には歌えていたところが前時代の影を引いており、その後のアイドルとは一線を隔していたと言えます(キャンディーズは一応しっかりハモってましたね)。その後のアイドルとは「おにゃんこ」の秋元系、「モーニング娘。」のつんく系がその代表です。秋元系は徹底して素人路線。とにかく数集めた素人娘をユニゾンで歌わせて素人っぽさを魅力にする、みたいな形でした。「モームス」はオーディション系ですが、基本はまんま素人の女の子の将来性を買うみたいなノリ。いずれもプロとして育てられてプロとして管理されたキャンディーズとは、似て非なるものなのです(キャンディーズと同時代のピンクレディもオーディション出ではあるものの、完璧に造られた“アイドル(偶像)”として“非人間的”管理下で売り出されたスターでした)。
あの時代のアイドルの実態は、キャンディーズの3人が「普通の女の子に戻りたい」という名言と共に、突然自主的に「解散→引退」宣言したという流れが全てを物語っています。要するに当時は鍛えられビッチリ管理された“人造アイドル”こそがアイドルであり、睡眠時間は3時間、恋愛はご法度、プライベートはなし、いわば「アイドルはウンコしない」みたいな“非人間的”管理が彼らを苦しめたのです。それがキャンディーズ、ピンクレディの時代でした。キャンディーズの3人はそんな生活に疲れ、嫌気がさして突如「解散・引退宣言」をしてしまった訳です。
解散後の3人の芸能界復帰に際しては、「普通の女の子になるんじゃなかったのかい?」とおっしゃる方々も多数いた訳ですが、彼女たちが引退したかったのはあくまで当時の「人造アイドル稼業」であり、戻りたかった「普通の女の子」とは「普通の芸能人」のことだったのです。ですから芸能事務所がこの後アイドルの人気絶頂期での自主引退リスクを回避すべく、必要以上に造り込み過ぎず一定範囲で私生活も確保した「おにゃんこ」や「モームス」タイプに、女性アイドルグループを変質させていったのは芸能界の管理面における必然の流れであったのです。従い今のガールズグループは、キャンディーズが身を呈して“作られた非人間的アイドル”という商品を廃品に追い込んだ結果生まれたものであると言えるのではないかと思うのです(韓流ガールズグループのKARAが事務所とモメている問題は、韓国の芸能界が20~30年遅れていることを如実に物語っているように思います。今後彼女たちが日本におけるキャンディーズの役割を担うことになるのかもしれません)。
このように昭和を駆け抜けた元祖“作られたガールズアイドルグループ”のキャンディーズ。ピンクレディと共に確実に昭和芸能界のガールズ文化を象徴する存在でありました。こういう“作られたアイドルグループ”の場合、作られたものであるが故、年月を経ての再結成なんて全くのナンセンスで、もう二度と3人一緒に歌う生姿はありえないと見る側の覚悟は暗黙に決まっているものです(なので最近再結成したピンクレディが、全く盛り上がらないのは至極当たり前のことなのです)。ただ仮にそうであったとしても、田中さんの死でそれが動かぬ事実として確定させられてしまったことは、同じ時代を過ごした我々世代の気持ち的にはなんともさびしい限りではある訳です。
田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。