日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「大人の流儀」とブレない『軸』

2011-04-27 | その他あれこれ
久しぶりにつれづれなるままに書いてみようと思う。

作家伊集院静氏のエッセー「大人の流儀」という本が売れているというので、買って読んでみた。売れているから読むという本の買い方はめったにしないのだが、「大人の流儀」というタイトルに惹かれるものがあったのだ。『大人』って何だろう?自分が突然何かの対応を迫られた時などに、どういう行動をすべきなのかなどと考えた後、自分の思いついた行動を実行に移す前に「大人としてこれで正しい?」などと自問自答する自分がいたりする。そんなときには決まって「『大人』ってなんだろう」って思ったりするものだ。だからこそ他人が考える「『大人』の定義を聞いてみたい、『「大人の流儀」って何だろう?』、そんな気持ちがこの本を手に取らせたように思う。

シンガーソングライターの佐野元春氏は我々の少し兄貴世代で、私などは社会に出たての若僧の時代にはけっこうその歌詞の一節を支えにして唇を噛み締めて過ごした時期があった。その代表的なものが「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズ(fromガラスのジェネレーション)。学生時代はロッカー(着替えをしまう方ではない)だったのに、就職活動で志望の出版業界に失望し「専門学校に行くつもりで5年間」と思い銀行に務めた自分の周囲には、当時の自分からみて「つまらない大人」たちがたくさんいたのだろう。とびきりお気に入りのフレーズで毎日念仏のように呟いていた。私が若い頃に持っていた『大人』を象徴するイメージと言えば、「体制迎合」「妥協」「角の取れた」‥そんなところを代表とするどちらかと言えば決してプラスではない印象のものが大半を占めていたのだ。

そんな時代のある日、RCサクセションの“原発ソング発禁事件”が起きた。熱狂的に支持する若者層と「所属レコード会社グループ(東芝)を“告発”するようなやり方はいかがなものか」と揶揄する一部メディアに別れ、賛否両論の議論の渦が巻き起こった。首謀者の忌野清志郎氏はそんな議論をよそにこう言い放った。「正しいか正しくないかじゃない。思ったら行動する、ロックってそういうものだろ?」(言い回しは、あくまで私の記憶)。カッコいいと思った。良い意味での『大人』だなぁと思った。カッコいい『大人』をはじめて見た気がした。こういう『大人』になりたいと思った。

なぜ『大人』であると思ったのかと言えば、彼の言動にブレない『軸』の存在を感じたからだ。彼は、“反原発のヒーロー”として祭り上げられることを嫌った。自分の目的はそこにはなかったからだ。彼は自分を支持する若者たちがいるかいないかすら、どうでもよかったのだ。恐ろしくブレない『軸』だと思った。私はなぜ、音楽的には特にファンでもなかった忌野清志郎氏の葬儀に、これと言った理由も見当たらないまま使命感に急き立てられるように6時間以上も並んで参列したのか?たぶんそんな「手本とすべき『大人』」のまさしく「大人の流儀」を、“原発ソング発禁事件”の彼に見たからなのかもしれない。早いもので、5月2日で彼の死から2年が経つ。

翻って、書籍「大人の流儀」にこんな一節がある。「『いろいろ事情があるんだろうよ…』大人はそういう言い方をする。(中略)人間一人が、この世を生き抜いて行こうとすると、他人には話せぬ事情をかかえるものだ」。なるほどその通りかもしれない。だが真の『大人』というもの、どんな事情をかかえていようともブレない『軸』をもって突き進んでいかなくてはならない。私は組織を離れ独立して生きてきて数年がたち、今改めてそんなことを実感している。