社会現象で、「金太郎飴」現象と並んで私の注目するのが、二重基準(ダブル・スタンダード)です。『広辞苑(第四版)』には、「二重基準」も「ダブル・スタンダード」も見当たりません。物事を評価するのに、内向きの基準と外向きの基準とを使い分けたりすることを指します。
その最も典型的な例が、国際政治の場における「核の拡散」への各国の対応が挙げられます。
もしそれを行使したら、世界人口の何十倍もの死者を生み出すだけの核兵器を人類は製造し・貯蔵しています。今では、核兵器の行使自体ができない、というのが人類の「理性」の教えるところです。
そこで核保有国の考え出したのが「核の不拡散」です。平たくいえば、これ以上核兵器を開発して核を拡散すことは抑止しよう、ということです。そのため、非核保有国の核開発を厳格にチェックする理由付けを見出そうとしています。人類の「理性」も、これ以上の核兵器の増加は食い止めなければならない、と賛成しますが、非核保有国からすれば、「核の不拡散」とは核保有国による「核の独占」の維持にほかならないと映ります。
実は、「核の不拡散」と同時に、核保有国による「核兵器の削減」がなされなければ、人類共通の目標である「核の恐怖からの解放」は実現しません。「核の不拡散」に熱心な割りに、「核兵器の削減」には熱心でない、ここに、核保有国の核政策における二重基準(ダブル・スタンダード)が現われています。
また、最近、アメリカが、インドの核開発は認めて、イランの核開発は認めない、という姿勢を露わにして国際社会の顰蹙を買っていますが、これも、典型的な二重基準(ダブル・スタンダード)です。「核の不拡散」には、「良い拡散」と「悪い拡散」の区分などありません。インドの核開発は認めて、イランの核開発は認めない、というのはアメリカの国情に沿った区分であって、人類の「理性」の承認するものではありません。
二重基準(ダブル・スタンダード)には様々なヴァリエーションがあり、「総論賛成、各論反対」・「面従腹背」などはわが国の官僚機構におなじみの二重基準(ダブル・スタンダード)の一種です。
(2008/10)
その最も典型的な例が、国際政治の場における「核の拡散」への各国の対応が挙げられます。
もしそれを行使したら、世界人口の何十倍もの死者を生み出すだけの核兵器を人類は製造し・貯蔵しています。今では、核兵器の行使自体ができない、というのが人類の「理性」の教えるところです。
そこで核保有国の考え出したのが「核の不拡散」です。平たくいえば、これ以上核兵器を開発して核を拡散すことは抑止しよう、ということです。そのため、非核保有国の核開発を厳格にチェックする理由付けを見出そうとしています。人類の「理性」も、これ以上の核兵器の増加は食い止めなければならない、と賛成しますが、非核保有国からすれば、「核の不拡散」とは核保有国による「核の独占」の維持にほかならないと映ります。
実は、「核の不拡散」と同時に、核保有国による「核兵器の削減」がなされなければ、人類共通の目標である「核の恐怖からの解放」は実現しません。「核の不拡散」に熱心な割りに、「核兵器の削減」には熱心でない、ここに、核保有国の核政策における二重基準(ダブル・スタンダード)が現われています。
また、最近、アメリカが、インドの核開発は認めて、イランの核開発は認めない、という姿勢を露わにして国際社会の顰蹙を買っていますが、これも、典型的な二重基準(ダブル・スタンダード)です。「核の不拡散」には、「良い拡散」と「悪い拡散」の区分などありません。インドの核開発は認めて、イランの核開発は認めない、というのはアメリカの国情に沿った区分であって、人類の「理性」の承認するものではありません。
二重基準(ダブル・スタンダード)には様々なヴァリエーションがあり、「総論賛成、各論反対」・「面従腹背」などはわが国の官僚機構におなじみの二重基準(ダブル・スタンダード)の一種です。
(2008/10)
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