アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

蝦夷三官寺 善光寺 伊達市噴火湾研究所「アイヌ人骨の古病理学」

2012-09-20 13:57:33 | インポート
江戸時代後期、1804年に蝦夷教化等を目的に建立された蝦夷三官寺の厚岸の国泰寺、有珠の善光寺、様似の等澍院があります。

数ヶ月前に厚岸の国泰寺へ行き、アイヌ民族関連の碑の写真を撮ってここで紹介しました。
碑の後ろの解説は以下の通り。

弔魂のことば
由来厚岸は美しい自然と資源に恵まれ、あなた方の楽土であった 
然るにその後進出した和人支配勢力の飽くなき我欲により財宝を奪われた 
加えて苛酷な労働のために一命を失うものさえ少なくなかったと聞く 
けだし感無量である 
我等はいま先人に代わって 過去一切の非道を深くおわびすると共に 
その霊を慰めんがため このたび心ある人びとと相計り 
東蝦夷発祥のこの地へ うら盆に弔魂の碑を建てる
1977年8月15日 アイヌ民族弔魂碑建立委員会



今回は教会員が室蘭の病院に手術入院されたお見舞いを兼ねて、有珠の善光寺を訪ねました。
善光寺は826年、比叡山の僧であった慈覚大師が自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置し、開山したと伝えられている浄土宗のお寺。
後に、1804年、時の将軍徳川家斉により蝦夷三官寺の一つとして建立。江戸の芝増上寺の末寺とありました(善光寺HP)。
芝の増上寺といえば、1872(明5)年、開拓使がアイヌ民族の風習をなくし、「内地人」へと同化する目的で開拓使仮学校を設置し、アイヌを強制連行した場所ですね(過去ブログ参照)。

箱館奉行がなぜ三官寺をつくったのかというと、「蝦夷地に赴く役人と、出稼人の和人を対象とした供養、それからキリスト教の排除」。しかし、そればかりではなく、アイヌの仏教への改宗目的もあったろう、と指摘するのは佐々木馨さんの講演「アイヌ史における二大改宗騒動」記録。残念ながらこの講演記録には使われた資料が一つも添付されず、出典も未記入。
 http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1710.pdf

この善光寺はヤマコシナイ(現八雲町山越)からシラオイ(現白老町)までを布教範囲とし、刷り物の配布を布教に取り入れたこともあって、蝦夷地ではもっとも古い板木(はんぎ=印刷用に木版に文字を彫ったもの)が伝わっており、日本語に添えてアイヌ語文を掘り込んでいる資料もある(国指定文化財等データーベースより)とのこと。

板木を見たかったのですが、お寺にはどなたもおられませんでした。残念。アイヌ語文はどのように表記されているのかいろいろと調べたところ、カナ文字でした。善光寺住職三世の弁瑞は子引歌をつくってアイヌ民族にカナ文字を教え、アイヌ語をカナ表記して教化に努力したようです。弁瑞はみなか「念仏カモイ」と尊敬されたそうです。(以上、榎本守恵著『北海道の歴史』参照)

善光寺には、織部灯篭、すなわちキリシタン灯篭も残されていると後から聞き、見たかったと悔いています。


善光寺

不思議なことなのですが、インターネットで調べて善光寺の電話番号を見つけ、それをカーナビに入力して目的地に着いたところ、そこは「伊達市噴火湾研究所」でありました。あれよ?自分はどこへいくつもりだったのかと悩みながら建物に入ると、なんと目の前にイナウが飾られていたので、受付でアイヌ民族関連の展示について訪ねました。縄文遺跡などがあるとのことで、案内して頂いたところ、展示室に
「北海道有珠4遺跡出土アイヌ人骨の古病理学的所見」という大きな写真付きのパネルがあるではありませんか。その隣にはアイヌ頭骨を10倍ぐらいに拡大した大きなカラー写真も。
「所見」には、近藤修、福本郁哉、福本敬(東京大・理・人類)、青野智哉(伊達市噴火湾文化研究所)、三田に智広(洞爺湖町教育委員会)名が記されています。
内容は、有珠4遺跡の2006年~2007年の調査において、アイヌ文化期相当層(埋葬年1640~63年推定)より男12、女4、未成年5(不明2)の計23体分のアイヌ人骨が出土し、骨結核などが観察されたことの報告。

突然カーナビに誘導されて来てしまったところゆえ、この展示にせよ、「アイヌ人骨の古病理学」にせよ、ただ、驚きと疑問をもったのみで、今後も調べようと思いますが、伊達市において、過去に以下の大会が開かれているのが研究所のWebサイトに載っていました。
2003年10月 第57回日本人類学会大会
2005年3月 生態人類学会第10回研究大会
2010年10月 第64回日本人類学会大会


2010年の第64回日本人類学会大会では、「特別シンポジウム【9】」で、「アイヌ人骨研究の現状と将来-その起源と生活史を巡る最近の話題-」が開催されていました。
内容は以下の通り。
●オーガナイザー  篠田謙一(国立科学博物館・人類研究部)
●パネリスト
1.「アイヌ民族の頭蓋および歯冠形態の変異・多様性とその進化」
埴原恒彦(北里大学・医学部・解剖学講座)、石田肇(琉球大学・医・人体解剖)
2.「北海道アイヌの骨考古学:脊椎に残された病変のCT観察」
近藤修(東京大学・理学部・人類学講座)
3.「北海道における近世アイヌ文化集団の食生態」
米田穣(東京大学・新領域)、石田肇(琉球大学・医・人体解剖)、百々幸雄(東北大学・医)、向井人史(国環研・OGER)
4.「DNAが明らかにするアイヌの成立史」
安達登(山梨大学・医学部・法医学講座)
5.「先住民地域社会と共に歩む自然人類学の役割:知の還元を目指して」
瀬口典子(モンタナ大学・人類学部)、アシュレー・マッキャウン(モンタナ大学・人類)、
スティーブン・オーズレー(マーシーハースト・カレッジ・司法科学)
6.「アイヌ人骨を巡る最近の状況について」
篠田謙一(国立科学博物館・人類研究部)
http://www.funkawan.net/jinrui64/program.html


いずれも内容を知りたいですが、特に、6の篠田さんの話はどのような内容だったのか知りたいです。