アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

石狩川河口「樺太アイヌの碑」

2006-09-30 19:03:37 | インポート

昨日は石狩川河口へ豊川エカシを訪ねました。石狩アイヌの歴史や1876年に対雁(現在の江別)へ強制連行されたカラフトアイヌの人々が、徐々に石狩川河口の来札に居を移した話やその場所など伺いました(詳しくは「対雁の碑」参照)。<o:p></o:p>

その後、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道石狩市;" Address="石狩市">石狩市</st1:MSNCTYST>によって建てられた八幡墓地の「カラフトアイヌの碑」に行き、写真を撮ってきました。八幡墓地の奥にその碑は建っていますが、もともとこの一帯はカラフトアイヌがコレラなどで大量に死亡した際に埋葬していたところとのことです。明治20年代になり、石狩町の墓地と指定され、以後、周りに和人の墓地が増えて、カラフトアイヌの墓地を囲むような現在の形になったとのこと(豊川エカシ談)。<o:p></o:p>

 

1991年に樺太アイヌ史研究会(豊川重雄エカシ代表)は<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道石狩市;" Address="石狩市">石狩市</st1:MSNCTYST>(当時は石狩町)に遺骨の調査を要請し、93年、その一帯で見つかった人骨の近くから漆器や刀、ガラス玉などアイヌ民族の副葬品も出土しました。02年9月に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道石狩市;" Address="石狩市">石狩市</st1:MSNCTYST>は魂を慰める碑を建立したとのこと。碑文には樺太アイヌの歩みを記したうえ「こうした歴史の中で、ここ来札の地で樺太アイヌが暮らし、そして亡くなっていったことを碑に刻み、永く伝えていくものです」と刻まれています。


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