アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

イースター島の歴史

2009-01-11 20:59:40 | インポート
9日(金)に、北大アイヌ・先住民研究センター主催の講演を聞きに行って来ました。
テーマは『ラパヌイ(イースター島)の先住民社会と考古学、およびラパヌイ先史学の新たな視点』。
ハワイ大学教授のTerry L. Hunt(テリー・ハント)さんのお話。

イースター島は皆さんご存知のモアイ像がある島です。
でかい顔の像が「ぷっちょ食べたい」と言っているCMぐらいしか知りませんでしたので、興味深く聞きました。

この島の歴史として通常語られているのは、
紀元1200頃にイースター島に渡ってきたポリネシア人は自分達の自然環境を自らの手で破壊し、
それによって自分たちを滅亡へと追いやった、というものだそうです。
確かに木一本もなく、見渡す限り草原のようで(奥のほうには植林された森林が少し見えた)、
目立つのは巨大なデカ顔像のみ。

ジャレド・ダイヤモンドという人が著書『文明崩壊』(邦訳は草思社から)に、その説を紹介しているようで、それなりに市民権を得ている説だったようです。

しかし、今回の講師のハントさんは考古学や古生態学調査というもので、あらゆる調査を行ない、科学的に歴史を書き直しているというのです。
結論は、ポリネシア人が自然破壊をしたのではなく、ポリネシア人と共に渡ってきた太平洋ネズミの激増ゆえに当時あったヤシの実が食べられ、木がなくなった。しかし、それでもポリネシア人らは畑などを作りながら安定した生活を送っていた。
そこへ1700年代後半に、ヨーロッパ人らがやってきて持ち込まれた病気や奴隷化により島自体が崩壊していったということのようです。

ハントさんらは地層調査をして年代はもちろん、その地層に含まれている植物の種や花粉、動物の化石などを調べて以上のような結論に達したとのこと。

このことを一緒に聞いていたディヴァンさん(台湾原住民族宣教師)は、同じく台湾も1700年代にヨーロッパ人らの植民地政策によって人口が激減したんだと教えてくれました。

ハントさんらはこれらの調査をするに当たって、以下の手順を踏んで行くそうです。
① はじめに調査地域の先住民族の長老たちに研究の説明と同意を得る。
② 地元の先住民族の高校生達に研究の協力を得て、すべてに関わってもらう。
③ 高校生達の家族らなどが興味を持ってくれるので成人対象に参加呼びかけをする。
④ 調査結果については公開で報告会や討論会などを行なう。
結果、正しい歴史を地域全体で共有できるようになる。
さらに、ハワイ大学のハワイ先住民族の学生とイースター島の先住民族の高校生たちとの交流が生まれ、そこから豊かな共感からくる深まりが起きている、と。

いいですね~

感想としては、直接、今のアイヌ民族の権利回復に関する動きとは関係していませんでしたので、今でなくてもよかったと思ったのですが、過去の誤った「歴史」を正しく修正することのできるフィールドワークができるのだというモデルをイメージできたという点で、布石として聞けて良かったです。

地域を巻き込んでアイヌ民族の正しい歴史を掘り起すことができたら、マジョリティーも変わっていけますよね。

いくつか聞きたいことがありましたが今回も聞きそびれてしまいました。
英語で質問を書いておきます。

① Please teach the size of the rat.
   (島の木の実を食らいつくすほどのネズミの大きさは、さぞ大きかったのでは?)
② Please teach the method of researching the population transition.
   (人口推移の調査方法はどうするのですか。なにか記録が残っているの?)
③ Please give the photograph to me. It makes it to the background of PC.
   (使われたモアイ像のあの写真をいただけませんか? パソコン画面の背景にしたい!)


今回もパワーポイントを使って写真一杯の講演でしたが、手元にコピーを頂けなかったのは残念でした。



明日から北見で北海道内諸教会の最大の一泊修養会(年頭修養会)に出かけます。情報センターのアピールとアイヌ民族関連の図書販売に行ってきます。
朝4時に起きて、少し足をのばして網走の北方民族博物館に行き、じっくり観てから遅刻して向かいま~す。




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