アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「滅びゆく民族」ではないのです

2008-02-16 12:50:45 | インポート
このたびの旅行ではところどころでアイヌ民族についての話をしましたが、
ある方が アイヌ=「滅びゆくく民族」 のイメージを持っておられることを言われました。
しかし、おかしなことに当のご本人は「滅び行く」とはどういうことかあまり考えておられないのです。
恐らく、その方は知らぬうちにインプットされた言葉をふと口にされたのでしょう。


近代日本において、アイヌ民族は「滅び行く民族」だと言われ続けてきました。
それは、近代にはいって人口が減少したと考えられてきたからです。
減少の原因は社会ダーウイニズムの「優勝劣敗」の考え方からだとか(強いものが生き残る)、結核・梅毒などの疾病の流行によるとか説明がされています。
また、「滅び行く」と言っても、アイヌ民族が死滅すると言う場合の「生物学的滅亡」と、和人に“同化”して民族的特徴を失うという「文化的滅亡」とがあります。

はて、ほんとうに近代に入って人口減少が起きたのか、あるいは“滅んでいく兆し”が見えたのでしょうか。
さらに、「滅び行く民族」という表現はどのような意味でもちいられたのか、

このあたりのことを近代初期までさかのぼって、実証的に検証した方がおられます。
日本近現代史研究者の藤野 豊さんです。
藤野さんは著書「日本ファシズムと優生思想」(かもがわ出版)の第5章「アイヌ民族と優生思想」でこのことを扱っています。
(「アイヌ史史料集人権侵害裁判」の際の証言もとてもよかったです)。
それによるとまず、アイヌ民族人口は減少期はあったが、その後は増えているとのこと。

21,697人 (1804年)
21,678人 (1822年)と、2万人台だったのが、30年後には
16,136人 (1854年)と、5,500人以上の減少が見えます。 しかし、その20年後には
17,048人 (1877年) 増加
17,715人 (1907年) 増加
18,168人 (1911年) 増加 
となる。 (1920年は若干減ってはいるが暴減ではない)

それなのに、この調査結果を調べている当時の学者達は、減少し続けていないのに、「減少しているという結論を決めていた」と藤野さんは指摘します。
さらに、当時の多くの学者や技師らのアイヌに対する偏見に満ちたレッテルを紹介してくれています(読みながら腹がたってくる!)。

これに対し、1925年に白老村や平取村のアイヌ民族を調査した戸田教授(京都帝国大医学部衛生学教室主任)は、アイヌ民族は「衛生状態は決して悪いほうではなくアイヌは普通に滅びゆく民族とされるが彼等は決して滅亡しない」と、明言し、ただ
「混血の結果民族の血が和人に流れて固有の特色を失って仕舞ふことは争はれない事実」と言ったとか。
また、「梅毒と結核とトラホームが非常に多いという話だったかがそれほど多くない」とも。
事実を歪曲せず、的確に事実に即して指摘している学者もいたことは注目に値しますね。

アイヌ民族に対し、「野蛮人種」「非衛生的」「劣等」「無智蒙昧」というレッテルを張り、「滅ぶ民族」としてきたのは、事実ではないということです。

さらに、興味深い話に、1935年に道庁主催「旧土人保護施設改善座談会」の席上での話しで、アイヌ民族に結核・梅毒の羅患率が高いとの発言をある研究者がしたことに反論して、向井山雄さん(後に北海道アイヌ協会初代理事長)が、
「先生方の御調査は主に弱いに這入って御調査なさるものですから、弱い部分で明示されるではないか」
と問いただすと、その学者は、
「面白いことには癌の死亡率が挙げられていないし、肝臓の硬化といふやうな病気もない。盲腸炎といふような病気も非常に少ないことが目に著くのであるが、こういふことは詳しく調査してから研究する必要があると思います」と述べ、自らアイヌ民族に多いとされる結核・梅毒のみを強調し、逆にアイヌ民族に少ない疾病には十分な調査を行なっていない事実を露呈したというのです。

最初からレッテルをはっての調査であるゆえに、調査結果すら信用できないのです。

つづく


この小動物はなぜ回り道をしたのでしょう??


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