アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「同化」=進化論?

2008-02-16 15:05:46 | インポート
前回の「『滅びゆく民族』ではないのです」のつづき。
近代日本で、アイヌ民族への調査を行なっていたのが「日本民族衛生学会(以下、学会)です。
学会は優生思想のもとでアイヌ民族が生物学的に滅亡に向っているという認識を示し続けたわけですが、1930年代に入り、北海道庁の認識は、そうではなかったと藤野さんは諸資料から指摘します。
道庁はむしろ、アイヌ民族は人口増加する傾向にある、と。

なぜ??
実際には減っていないし、調査そのものの不正確さ、たとえば、アイヌ民族のみなさんが札幌などの都会に行った場合にはアイヌ民族であるかどうかがあやふやになっている、と当時の北海道庁長官の佐上信一自らが不正確さを認めている発言をしているのです。

さらに、日本政府は傀儡国家である「満州国」を建国して「五族協和」を掲げていたので、アイヌ民族にも同様に「同化」が強化される必要性があったと藤野さんは指摘します。
だから、滅んでは困るし、むしろ和人と接触して「同化」することを必然と考えたのです。
「同化」=「進化」というとらえ方です。

さて、当時のアイヌ民族自身はどだったでしょうか。

アイヌ民族自身による、生活改善・経済向上を目指した最初の組織である旭明社(1927年帯広で結成)は、初代理事社長は和人であり、道庁の「同化」=進化論の範疇に止まっているそう。
同じく、道庁主導の北海道アイヌ協会も、同じものだった、と。

ここで藤野さんは道庁主導ではないグループを取り上げます。

日高支庁管内鵡川のアイヌ民族青年団から別れて1932年に結成された組織で、キリスト教主義のもと、活動した「チン青年団」、さらに1933年に帯広でキリスト者貫鹽法枕(ぬきしおほうちん)が結成した「北海少群更正団」です。
しかし、キリスト教主義に基づく生活・経済の更正運動にしても、「同化」を前提にしたものだったという結論でした。

これらのグループに関して、はじめて聞く組織です。おいおい調べてみようと思います。

前回に引き続き参考にした藤野豊さんの著書「日本ファシズムと優生思想」(かもがわ出版)は
わたしの別ブログである報道クリップに紹介しています。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/


あっ、また熱くなって書いてしまった・・・
こんかいの旅行で、このブログのことも少々話題に出たのですが、大半の方は写真(自然の美しさ)と、何げないわたしのコメントは読むけれど、真面目な部分は今度ゆっくり読もうと思い、飛ばしているとか・・・・。
う~む・・・しょうがないよなあ。

今日も大荒れの留萌です。今朝5時に起きて30センチちかく積もった雪を投げ、
お昼も雪投げしました。
明日は道北地区委員会で礼拝後に、北東140キロ先の名寄まで1泊で出かけます。はたしてこんなに荒れていて行けるだろうか・・・。

そうそう、前回に名寄に行く途中でやたらと滑った村があったんです。
ブレーキしても止まらずに100メートルほど滑る状態でした。
村の手前のほうで事故があったようでパト車も来てましたが、その村の名が沖内。
思わず納得。滑って転んで“起きない” か。    って、なんでやねん!
アイヌ語の意味を山田秀三著「北海道の地名」(草風館)で調べましたが載っていませんでした。
写真 暑寒別岳のふもとで。



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