アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」報告 その1

2013-05-08 12:46:45 | インポート
アイヌ人骨返還訴訟第3回口頭弁論の翌日、4月20日(土)13時15分より、シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」~先住民の遺骨返還は世界の流れだ を開催。わたしたちアイヌ民族情報センターも後援となり、当日のわたしの役割はタイムキーパー。

北大開示文書研究会共同代表の清水裕二さんの挨拶から始まり、海外の先住民族の遺骨返還に関する報告を3つ、休憩をはさんで前日行われた裁判報告として、原告の城野口ユリさん(アイヌ遺骨返還訴訟原告、少数民族懇談会副会長)、小川隆吉さん(同、北大アイヌ人骨台帳開示請求人) 、そして、裁判の証拠として被告側の北海道大学が提出した『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(乙第12号証)に関する意見(市川利美さん:北大開示文書研究会メンバー)、そして、原告代理人の市川守弘さんによる「遺骨返還請求訴訟の経過」の順に進められました。

近く、北大開示文書研究会のwebページに動画がUPされるでしょうから、詳しくはそちらをご覧下さる事にし、ここでは、わたしの報告を書きます。

はじめに小田博志さん(北海道大学大学院文学研究科准教授)の「ドイツにおける遺骨返還の状況/倫理にかなった遺骨返還とは」は、たいへん興味深いものでした。
2011年にシャリテ・ベルリン医科大学が、20体のナミビアの先住民族の頭骨を返還したことの報告です。
シャリテ(慈善の意味)・ベルリン医科大学は、1710年にペスト病院として設立。ルドルフ・ヴィルヒョウ(1821-1902)や、ロベルト・コッホなど医学史の重要人物を排出し、森林太郎(鴎外)や、小金井良精らが留学してここで学んでいます。

ルドルフ・ヴィルヒョウの時代から、解剖学・人類学研究のために数千体から一万体をこえると推測される人骨が世界からベルリンに集められたというのです。しかも、その正確な数は不明だ、と。これらの写真などは、すでに当日配布した資料(コピー代実費)の中に掲載されており、いまは北大開示文書研のwebサイトで閲覧出来ますので、是非、ご覧下さい。
http://hmjk.world.coocan.jp/symposium/sympo2013/symposium2013.html

ドイツは1884年に南西アフリカを植民地とし、1904年にヘレロ人、続いてナマ人による武装蜂起の際にヘレロ人・ナマ人捕虜を強制収容所に入れ(すでにこの時代に強制収容所があった!)、ヘレロ人の8割(約6万5千人)、ナマ人の5割(約1万人)を虐殺。今回のナミビアへ返還した頭骨の20体のうちの18体は強制収容所で死亡し、ドイツ人医師によって頭部が切断され、フォルマリン漬けされてベルリンに送られたもの。

このドイツによる植民地ジェノサイド(民族虐殺)に対し、1990年にヘレロ人側がドイツに対して賠償請求を行い、2004年のヘレロ蜂起100周年記念式典で、ドイツ元経済協力開発大臣が「謝罪」スピーチを行った。このスピーチも資料に掲載していますが、ジェノサイドであったことを認め謝罪しています。
2008年には日本円で約23億がヘレロ・ナマで被害を受けた地域のコミュニティに開発協力の枠で支払われました。

肝心な、ベルリン医大が遺骨問題にどう対応したかについては、
・2008年にテレビ番組で遺骨返還の医師を書簡で通知。
・2010年には遺骨収集の経緯と歴史的背景を明らかにするために、ベルリン医大解剖学センターと医学史博物館合同でプロジェクトチームを開設し調査を始める。
・2011年にその調査を踏まえて20体の遺骨の返還記念式典を主催。この式典の挨拶で医科大理事長のアインホルプル教授は、自分たちのやってきたことはえせ科学であったこと、そして人種主義科学がナチズムに影響を与えホロコースト(ユダヤ人などの大量虐殺)の思想的背景になった事を認め、その犯罪を謝罪。
このベルリン医科大の返還にはドイツ政府も関わり、ナミビアとの外交関係の中で行われたとの事。

小田さんはベルリンと北海道との共通事項として以下を指摘。
・ レイシズムに基づく人骨研究という歴史的背景
・ 解剖学者・人類学者による人骨研究への関与
・ ベルリンを舞台にした、日独の研究者の人脈的つながり
学者の関与に関して、ドイツでは当事者意識を持って罪の意識と謝罪を行っているのですね。この度の北大の対応を考えると雲泥の差を感じます。

さらに、小田さんは驚く事を証言。先住民族の遺骨の問題を調べていくと19世紀から20世紀初頭にかけて、国際的な人骨流通のネットワークがあったのではないかという仮説が立てられる、と。その解明は今後の課題ですし、海外の大学や博物館などに収められているアイヌ人骨の経緯調査や返還についても考えていかなければならないでしょう。

たいへん役立つ豊かなお話でしたし、資料を得る事が出来ました。
(とは言いつつ、当日はタイムキーパーとして時間が押して焦っていたので、後日にゆっくり資料を見ながら聞きました)。
続きは、次回に。



留萌もようやく春らしくなって来ましたが、まだまだ寒い日は続いています。こどもたちからひどい咳のでる風邪をもらい、数キロ痩せました。皆さんもご自愛ください。


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