アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

遺骨返還要求報道から

2012-02-19 20:50:54 | インポート
1930年代から戦後にかけて、北海道大学の学者達に先祖の遺骨を盗掘され研究材料とされたご遺族のお二人と共に、17日に北大に面談にいったことを前回に報告しました(若干、誤字の指摘があったので訂正済み)。

北大開示文書研究会のブログに今回の面談申込みの動画ファイルがアップされましたので、是非ともご覧下さい。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-947f.html


翌日の18日の北海道新聞に記事が掲載されていました。
残念ながら道新のウェブサイトには記事が掲載されませんでしたので全文の紹介は出来ませんが、以下の北大のコメントにびっくり。

「3人が提訴を検討していることについて、同大は「仮定の話に答えることはできない」としている。」
(北海道新聞2012年2月18日朝刊記事より)


遺体の一部を盗掘されたご遺族は、北大総長宛の要請書の中に、親や親戚から聞いて確認できた名前を明記しておられます。そのお一人おひとりのご遺骨を北大の学者達は遺族の了解を得ずに、掘り起こし、「杵臼のMさんの鳥小屋に置かれたブリキ蓋付きの缶」に入れ、持ち帰った、と証言。
その周りは「とんでもない異臭で耐えきれなかった、とMさんのお婆さんからはいろいろと、しっかり聞いています」と。

1986年に、この盗掘の実態調査をしたメンバーが杵臼の皆さんに聞取り調査をした際、証言者は盗掘された年と北大教授の数名の名前を挙げ、何体を持ち出したかを証言しています。
その時、杵臼の人たちは「北大の関係者に駅前で直に会って、先祖の祟りがあるからやめなさいと抗議した。しかし、そんなことあるかと笑われ、無視された」とのこと(Mさん1986年6月13日証言)。

さらに、別の証言者からは、「死亡して3年から6年足らずの新しいもの」を掘って行ったと証言。
それ以前に来て遺骨を掘ったが「遺骨が古すぎて研究材料にならないということで、2回目に来た」のだとも証言しています。(Nさん同年4月22日証言)

ご遺族は、一日も早く返してほしいと訴えてきましたが、だれも今までこの叫びを聞いてくれなかった、と。研究者達にはもう指一本も触ずに返してほしいと思われているかも知れません。

しかし、さらに気になることがあります。
今年3月の北大開示文書研究会にお招きしたA北海道アイヌ協会関係者からの情報です。
2011年2月に北大のH副学長らがアイヌ協会を訪問し、アイヌ遺骨についての協議をした際のこと。北大側はアイヌ協会に、「北大のアイヌ遺骨を精査中に、桐の箱内の遺骨がいいかげんで同一人物と違いバラバラだった。それを確認し遺骨の整理をさせてほしい」とお願いしたというのです。

発掘された遺骨は箱ごとで地域別に分かれてはいるものの、同地域の複数体の遺骨はごちゃ混ぜに一緒になっているということなのでしょう。
研究者は遺骨をご遺体の一部と認識をせずに、単なる「研究材料」としか見ていなかったということでしょう。だから、次々と研究室の奥から遺骨が出てくるのですね。今回の国の調査でも、確実に遺骨数は増えると漏れ聞いています。

是非ともこれらに関わった学者に、そして、現在も関係している方たちに、実情を伺いたいです。

話は戻しますが、複数体の遺骨がごちゃ混ぜに箱に納められている中から小さな部分骨を含むすべてを調査して一体一体を認定し、返還しなければならないとは、大変な作業になることと予測されます。

『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座 作成年不明)には、かつて北大が1000体以上の遺骨を「発掘」し、保管しているという事実が記されています。一方、盗掘されたものを返してほしいと訴える遺族がいます。
北大は「仮定の話」と言ったことのは文面通り「提訴」するかも知れないと言う「仮定の話」なら理解します。が、遺骨が遺族のものかどうかが「仮定の話」と北大が言ったように読んでしまったのでびっくりしたのです(単なる勘違いならいいですが)。もし、北大が後者のようなことを言うようであれば、それなりのことを証明しなければなりません。(2/20 7:00若干訂正)

前回blog記載にあるように、諸外国において遺骨返還がなされている今日、日本の北大、東大、京大、その他の大学も誠実に謝罪し、返還をすることを強く求めます。
(アイヌ人骨がある諸大学一覧は過去blog参照  http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=4066756)


大好きな雪山の風景。もう少しで固まりますから歩けます。


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