アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

遺族が盗掘遺骨の返還請求を北大に

2012-02-17 21:26:20 | インポート
『先住民族の10年News』第181号掲載の、「先住民族の遺骨・埋葬品返還をめぐる海外の動向」(手島武雅さん)を紹介します。

この、遺骨や副葬品についての問題は手島さんの指摘の通り、アイヌ民族の当事者みなさんに十分な情報が事前に提供されることがないことと、わたしも考えます。
「遺骨の取り扱い一つにしても複数の可能な選択肢を議論することなく、博物館のような施設において“慰霊と研究”を行うという方策が唯一無二の選択肢であるかのように提案され、推進されていることである」

そうなのです。他にも道はあるという事を示さねばなりません。
遺体の一部(骨)を奪われたご遺族は遺体の返還を求め、謝罪を受ける権利があるということ。
それも、承諾なくして、いわば盗掘されたのですから慰謝料請求はもちろん、盗掘の経緯を知る権利があること。
どのような研究に用いられたかの研究「成果」を知る権利があること。
返還された遺骨は再度、盗掘者側に丁寧に埋葬させることが出来ること。
再び研究材料となることを拒否できること、など。
この他にも道があるのです。

アイヌ政策推進会議では、そのようなことは国の不利のためか、ほとんど扱っていませんでした。わたしも情報を得たいと願っていたところでした(現在進行中)。

手島さんは、ナヴァホネーションがアメリカ連邦政府を相手に2011年12月、過去に考古学者たちに発掘され、持ち去られた330人分の先祖の遺骨の適切な再埋葬のための返還を求めて連邦地方裁判所に提訴した詳細を掲載。
また、内務省は2010年に先住アメリカ人墳墓保護返還法(NAGPRA,1990年)の実施規則の見直しを行い、それによって遺骨を保管している大学、博物館、連邦政府機関などは、先住民族の居留区(または先祖の土地)から出てきた遺骨については、関係する先住民族に通告しなければならなくなり、当事者である先住民族は遺骨を取り戻す権利が与えられた、と。そのため、「全米で推定16万体の先住民族の遺骨に影響が及び、多数の遺骨が返還されると見られている」とのこと。
ハーヴァード大学のピーヴォディ博物館は最近、500体の遺骨の請求を受けて、職員を追加雇用して内務省規制に対処。
UCバークリー校でも、帰属先不明の約1万体の遺骨のうち6千体以上が返還される可能性があり、その返還先トライブとの連絡係として4人の職員が新規雇用。
ミシガン大学は1580体の遺骨を返還を求める13のインディアントライブにお返しすることを決定し、現在、遺骨の保管所に研究者は立ち入りを禁じられているとのこと。

アイヌ政策推進会議は、このような遺骨返還の海外の実情をきちんと調査し、丁寧にアイヌ民族に説明し、アイヌ人骨返還をするべきです。それなくして、研究可能な慰霊施設に遺骨を集積し、好きなように扱うことに反対します。


さて、浦河在住の城野口ユリさん、●●さん、そして札幌在住の小川隆吉さん三名が北大に対し、盗掘された先祖の遺骨や副葬品を返して欲しいと1月10日に要請文を出しました。

城野口さんと●●さんは父・母方の祖父母を含む八名の遺骨および副葬品、小川隆吉さんも先祖三名の遺骨を浦河町杵臼の墓地から北大の教授たちによって盗掘されました。
城野口さんは北大に対して以下の五点を2月17日に面談し回答を求める手紙を出しました。
①なぜ無断でお墓を掘り起こしたのか?      
②そのお骨を北大はどのように使ったのか? 
③お墓の遺体には、宝物(刀・タマサイなど)が必ずある。それはどうしたのか?
④遺骨が眠っていた杵臼コタンの墓地に、遺骨を元通りに戻して欲しい。一緒に埋葬されていたタマサイや耳飾りや刀も埋め戻してほしい。 
⑤母は54~5年も悔しくせつない生涯を過ごした。その償いを誠意を持って示して欲しい。お金には変えられない心の問題であるが、損害賠償や慰謝料などでの形で処遇を示して欲しい。それが母の遺志でもあった。


しかし、これに対する返事の期限(1/25)を過ぎても、北大からの返事はなく、2月6日に直接、事務局のわたしが北大に出向いたところ、総務課長が建物から出てきて、返事が遅れたことを謝罪し、大学は遺族と面談する意志はあるがその日は都合により要望に答えられない、3月に面談できるよう日程の相談連絡をするとの返事を口頭で頂きました。その後、同じ内容の文章が各遺族に2月14日に郵送されてきました。
遺族はこれでは納得がいかないと予定通り、2月17日に北大に面談を申し込む手紙を14日に出し、本日、ご遺族とその代理人である弁護士、そして北大開示文書研究会のメンバーと共に訪問しました。

通知時間に大学に行くと、建物の前に三名の警備員がたちふさがり、建物に入れることは出来ないとのこと。それを受けて、盗掘された遺族が直接面会に来ているので会えない理由をきちんと説明してほしいと総務課に連絡を要望しましたが出来ないと断られました。しかたがなく直接、総務課に電話で面談希望をしたところ、先方が建物から出てきて話を聞くことになりました。遺族は、昔も今も変わらない仕打ちをするのかと怒り、北大開示文書研究会から遺族の要望として、3月に面談が実現できるようにと要請書を提出しました。

アイヌ政策推進会議は、遺族に遺骨返還をすることを前提にし、政策を進めています。
が、盗掘した当事者が返還を求める遺族に対し、自分の都合が悪いからと警備員による門前払いをしようとしたことに疑問と怒りを覚えます。
ただ、お年を召されたご遺族が階段に座って話されているのを階段の上から見下げるのではなく、膝を土につけ、目線を下げて耳を傾けたことに総務課長の人柄を感じました。
今後の北大の対応に誠実さを願います。

近く、このやりとりの動画を北大開示文書研究会のウェブサイトにてUPすることを検討しています。
http://hmjk.world.coocan.jp/index.html

北大の誰が、いつ、なぜ無断で遺体の一部を持ち帰ったかに関する北大の資料は、開示請求では一部しか出てきませんでした。
『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座 作成年不明)には、杵臼地区から11体の遺骨(男性6、女性5)が発掘されたと記されているのみ。別のワープロに打ち直した『発掘台帳』では、一体にのみ「昭和10年、児玉教授持参。浦河町字杵臼出土」と備考に書かれていますから、昭和10年に杵臼墓地から児玉作左衛門北大教授が掘り出したということでしょう。(但し、加えて「2体分以上なり」と書かれているのは意味不明)。

また、『北大解剖研究報告』1957年7月 第66号に『日高アイヌ歯牙の人類学的研究』(上田米三郎)に杵臼地区の遺骨9体を研究対象にしたことが記されています。


札幌ピリカ・コタンに祭られたイナウ


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