18日(水)
10:20頃、姫百合の塔前(バス停の名前は、“姫百合”と漢字になっています)のバス停に降り立つ。
朝早くから動いているので気分的にはもうお昼過ぎの気分です。
さて、あまりにも有名な「ひめゆりの塔」。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒が看護要員として従軍、
その名をひめゆり学徒隊といいました。
生徒222名と教師18名、そのうち136名が戦争で死亡しています。
詳しいことはネットや本などでお調べ下さい。
「ひめゆりの塔」といえば、画像の白い慰霊碑のことと思われますが、
実はこれは納骨堂で実際の塔はその手前にある小さな石碑です。
こんな小さな、高さ数十センチの石碑があの有名な「ひめゆりの塔」。
「ひめゆりの塔」という名前の大きさと実物の小ささの落差に戸惑う。
納骨堂の手前に口を開けているのがひめゆり学徒隊が働いていた第三外科壕。
「旧海軍司令部壕」と同じ、地下壕です。
沖縄の南部はこのような自然の洞窟(ガマ、と呼びます)がたくさんあり、
戦争中はそれを避難場所や陣地、野戦病院として利用していました。
戦争のさなか、こんな洞窟で若い女性が看護要員として働いていた。
野戦病院、などというものではありませんね。
物資がなくなった末期には病院の体をなしていなかったと思われる。
残念だったのは、国道から塔への入口に大きく陣取った花束の売店。
ひめゆりの塔に来る人は当然のようにこの花束を買って捧げるのですよ、という風情。
花束を買わない人は鎮魂の気持ちがない、とでも言いたそうに当然の如く売りつけている。
たかだか200円のものですが、そういう然も当然のように売るのややめようよ。
逆に面白かったこと。
隣接しているドライブインは8月に入ると1ヶ月休業するのだとか。
観光シーズン真っ只中に休むとは…。
聞くと、8月はビーチはいっぱいだけどここに勉強には来ない…のだそうで。
なるほどね。
ひめゆり平和祈念資料館へ
10:20頃、姫百合の塔前(バス停の名前は、“姫百合”と漢字になっています)のバス停に降り立つ。
朝早くから動いているので気分的にはもうお昼過ぎの気分です。
さて、あまりにも有名な「ひめゆりの塔」。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒が看護要員として従軍、
その名をひめゆり学徒隊といいました。
生徒222名と教師18名、そのうち136名が戦争で死亡しています。
詳しいことはネットや本などでお調べ下さい。
「ひめゆりの塔」といえば、画像の白い慰霊碑のことと思われますが、
実はこれは納骨堂で実際の塔はその手前にある小さな石碑です。
こんな小さな、高さ数十センチの石碑があの有名な「ひめゆりの塔」。
「ひめゆりの塔」という名前の大きさと実物の小ささの落差に戸惑う。
納骨堂の手前に口を開けているのがひめゆり学徒隊が働いていた第三外科壕。
「旧海軍司令部壕」と同じ、地下壕です。
沖縄の南部はこのような自然の洞窟(ガマ、と呼びます)がたくさんあり、
戦争中はそれを避難場所や陣地、野戦病院として利用していました。
戦争のさなか、こんな洞窟で若い女性が看護要員として働いていた。
野戦病院、などというものではありませんね。
物資がなくなった末期には病院の体をなしていなかったと思われる。
残念だったのは、国道から塔への入口に大きく陣取った花束の売店。
ひめゆりの塔に来る人は当然のようにこの花束を買って捧げるのですよ、という風情。
花束を買わない人は鎮魂の気持ちがない、とでも言いたそうに当然の如く売りつけている。
たかだか200円のものですが、そういう然も当然のように売るのややめようよ。
逆に面白かったこと。
隣接しているドライブインは8月に入ると1ヶ月休業するのだとか。
観光シーズン真っ只中に休むとは…。
聞くと、8月はビーチはいっぱいだけどここに勉強には来ない…のだそうで。
なるほどね。
ひめゆり平和祈念資料館へ