奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

滝上町の森林鉄道を巡るツアー、実施か?

2012-08-19 04:52:36 | 滝上町
私はこのブログで繰り返し、滝上町の森林鉄道について言及してきました。

シリーズ滝上⑤濁川森林鉄道の発掘
http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/8c008625782beee29cbf81d8ae6c0862

濁川森林鉄道視察ツアーの様子
http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/be11e31edda256cff1ddb2fbb66a7c68

「滝上森林鉄道の軌跡を語ろう!」、たきのうえ地元学
http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/17a79ebeceb11d219013699e69af1be3

たきのうえ地元学「滝上森林鉄道の軌跡を語ろう!」に参加してきました
http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/a65994d9639998a08ccc3294ea66ee4d

「滝上森林鉄道の軌跡を語ろう!」、副読本完成
http://blog.goo.ne.jp/okui-m/c/f1c39ad5e40c92937308ff63e5e5d239

などなど活動をしているうちにとうとう…。

札幌発で濁川森林鉄道跡を巡るツアーが実施されるかも?

もし実現したら、これはまた産業遺産として貴重な場所を巡ることになりそう。
このツアーは滝上以外にもこれまた“鉄”なスポットを回ることになりそうです。

さて、本当に実施されるのか。
どうなるかなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高知ファイティングドッグス(四国アイランドリーグplus)、滝上で入団テスト

2012-08-18 04:34:16 | 滝上町

四国アイランドリーグplusは四国4県を活動地域とするプロ野球独立リーグです。
所属球団は4球団、前後期の2期制で両者の優勝チームにより総合優勝が決まります。

高知ファイティングドッグス(高知FD)は高知球場を本拠地にし、
佐川町に選手宿舎、越知町に練習場を持っています。

監督は定岡智秋氏、コーチは弘田澄男氏をはじめ3人います。
選手では東海第四出の木幡翔がいますし、
過去には現ロッテの角中勝也や伊良部秀樹(!)も在籍していました。

その高知FDがはるばる北海道で、それもまたはるばる滝上町で入団テストを行います。
これは滝上町と越知町が友好交流町であることから実現したもの。
審査員は弘田澄男コーチが務めます。

行われるのは8月26日(日)で場所は滝上町営野球場(滝上町幸町)。
詳しくはコチラ → http://www.fighting-dogs.jp/pdf/tryout%20120826%20HOKKAIDO.pdf

応募期限は8月15日となっていますが、
余裕のある場合は期限後でも受け付けるかもということなのでご希望の方は一度ご連絡を。

これ、現場で見たいねぇ。
他に予定があって実際に見ることはできませんが。

というか、希望者は集まったのかな?
そこがちょっと心配。

なんであれこのような形でプロ野球の門戸が広がっていくのは歓迎すべきですね。

滝上から入団した選手がやがてNPBへ…。
そんな可能性もゼロではないな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旭川の「キッコーニホン」(日本醤油工業株式会社)

2012-08-17 05:25:18 | 北海道のこと



旭川駅の前、一条通りを深川方面に進むと間もなく左手に謎の建物が見えてきます。
旭川日赤病院の真向かい、といった方がわかりやすいかもしれません。

古めかしい建物に「キッコーニホン」の看板を掲げたここが、日本醤油工業(株)です。

私は以前からここが気になって仕方がなかった。
とにかく建物に味がある。
このような建物が、一条通りに面してドンとあるものだから存在感は半端ではない。

そこで意を決して、建物の中に潜入と相成りました。
中に併設している直営店に行っただけなのですが…。

中に入ると期待に違わない味のある佇まい。
これはいい。

直営店にはまぁ本当にいろいろな商品は並んでいました。
醤油、だし、豚丼や冷やしラーメンのたれ、ドレッシング、ご飯の素、ソースなどなど。
これ全部ここで作っているのかねぇ、たいしたもんだねぇ。

私は記念に卓上醤油とご飯の素を買ってきました。





さて、ここのいわれですが。

創業は明治23年、元々は笠原酒造店という酒蔵だったらしい。
それが日本清酒(株)旭川支店となり戦時中に醤油醸造に転業。

醤油のノウハウを提供したのがキッコーマン、それに元々の日本清酒。
それで「キッコーニホン」という商号になったとのこと。

などという会社の歩みが店内に掲げられていました。

またそれによると今まで過去最高の出荷をしたのは平成4年だという。
主に業務用だと思われますが、地道に売っているのですね。

旭川ラーメンの醤油ラーメンにはかなり使われているらしい。
気付かないだけで馴染みの味なのかもしれません。

そんなキッコーニホン、旭川に行かれたときには寄ってみてください。

HP → http://kikko-nihon.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … 瑞泉酒造

2012-08-16 04:30:00 | 道外の旅日記
19日

首里城を見学した後は城下町の散歩。
そして沖縄に来たからには泡盛の酒蔵を見学したいもの。

ということで、首里城の南のエリアを歩きます。

琉球王朝時代には泡盛を作ることができる地域は決まっていました。
場所は現在の首里の鳥堀、崎山、赤田の3町でこれを「首里三箇(しゅりさんか)」といいます。

ここをルーツに今でも首里三箇で酒造りを行っているのは3社ありますが、
瑞泉酒造はそのなかの1社です。

そんな歴史のある瑞泉酒造を見学してきました。





まずは泡盛の製造過程などをまとめた8分ほどのビデオを見た後に工場を見学、
そのあといろいろな泡盛を試飲します。

新酒から古酒(クース)まで4種類をお猪口にほんの少しずつ味わいましたが、
ストレートだったのでそんなわずかな量でも酔った。

さすがはアルコール度数の高い泡盛です。

味は、飲み比べるとよくわかりました。
当たり前ですが古酒は美味しい。
度数の高いものでも喉に引っかかることなくスッと入る。

美味しい古酒は調子に乗って飲んでいると非常に危険な飲み物です。

ということで、沖縄限定商品の「ハイビスカス」を買いました。
北海道でも売っているようなものを買っても仕方ないですからね。

古酒 35度 720ml 1,890円





さていつ飲もうか、買ったときのまま我が家で出番を待っています。

更に城下町を歩きます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … 首里城(後)

2012-08-15 04:37:19 | 道外の博物館
19日





首里城で印象深かったことを3つ挙げてみます。

まず場内の係員の服装が民族衣装だったということ。
どうせやるならここまで徹底してなりきってもらった方が見学する私たちも楽しい。

案内も的確ですしコチラの問い合わせにも詳しく答えていただける。
なかなか勉強されているなと感じました。

また有料エリアの「南殿」から通じる「鎖之間(さすのま)」はこれまた更なる有料エリア。
ここでは琉球菓子とお茶での接待を体験できます。

お金を払って中に案内され、座敷に座ります。
そこに琉球王朝時代の伝統菓子4品とさんぴん茶(ジャスミン茶)が出てくるのでそれをいただく。





間もなく係の方がやってきてお菓子やお茶、そして部屋の説明を受ける。

この説明がまた様式美というか、型にはまっていてなかなか楽しい。
当然係の方の服装も民族衣装で雰囲気満点でした。
ちなみにお菓子は次の4点。

・花ぼうる、くんぺん、ちいるんこう、ちんすこう、お茶はおかわりOK





さんぴん茶と琉球菓子のセット、300円。

窓の外には城内唯一という本格庭園。
琉球石灰岩やサンゴ砂利、そしてソテツ、リュウキュウマツなどを配した庭園も一見の価値あり。

最後に「北殿」。

ここにはミュージアムショップがあります。
いろいろなお土産物やグッズがあるのですが、もちろん沖縄名物「ちんすこう」もあります。

沖縄滞在中、私は普通の値段のものから激安のものまでいろいろなちんすこうを試食しましたが、
ここで売っているちんすこうが一番美味しかった。

製造元は首里にある「新垣カミ菓子店」、売っているのは首里城内のこの売店だけです。
「鎖之間」でいただいた4種類のお菓子も「新垣カミ菓子店」製です。

さすが世界遺産の首里城、売っているものも本物でした。

次は首里城下へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … 首里城(前)

2012-08-14 04:48:27 | 道外の博物館
19日

3日目で早くも帰る日になりました。
沖縄滞在3日間、実質2日間などあっという間です。

この日は13:30に那覇空港集合、それまではフリー。
私はまたもや一人で、世界遺産の首里城とその界隈を歩くことにします。

例によってゆいレールの牧志駅から首里駅へ、そこから歩いて首里城へ。
首里近辺は街中にいろいろな案内板が充実しています。
首里城へ歩く途中にもいろいろな謂れを記した案内板があり、それを読みながら進みます。

首里公民館、県立芸大、寺院跡などを眺めながら「守礼門」へ。





「守礼門」は日本のお城でいえば大手門、首里城の見学はここから始まります。

そのあと歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門、広福門と抜けて券売所へ。
この先の奉神門から先は有料エリアになります。

有料エリアに入る前に、広場にある「首里森御嶽(すいむいうたき)」を見学。





「御嶽(うたき)」とは琉球信仰における祭祀などを行う場所。
沖縄の民俗を考える上では重要な施設ですが、実際に見てみると意外に小さい。

さて、奉神門(ほうしんもん)からいよいよ中に入っていきます。





ここは琉球王が生活し、政治を行ったところ。
当時は今では考えられないような、豪華で華麗な様を見せていたでしょう。

まずは大きな「御庭(うなー)」、その向こうに「正殿」。

見学は入って右手にある「南殿(なんでん)」「番所(ばんどころ)」から。
そのあと「正殿」に入り「北殿(ほくでん)」とまわっていきます。

このエリアは主に政治の中心だったところで、王の居住空間は整備中です。

さすが王宮ですよ、絢爛豪華でございます。
琉球王朝の栄華の片鱗を楽しませていただきました、とだけ記しておきます。

後編へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … 牧志公設市場

2012-08-13 05:06:31 | 道外の旅日記
18日

今回何があっても行かなければいけないと思っていたところ、牧志公設市場。
戦後の闇市から続く市民の台所、国際通りから路地を入ってすぐのところにあります。

だいたいガイドブックに出ているこのような市場は大したことない。
“市民の台所”などと書いていて、地元民なんかほとんど行かない。
私はこういうところはあんまり信じていません。

一般に牧志公設市場というと「第一牧志公設市場」のことを指しますが、まずはそこへ行く。





ガイドブック通り、地元の魚や食材、加工食品などが並んでいます。
2階は食堂になっており、1階で買った食材を持ち込めば有料で調理してくれる。

巨大な夜光貝、豚の顔(チラガー)、色鮮やかな南国の魚などが目につきます。

ところで、「第一牧志公設市場」の周辺一帯も市場になっています。
ここは間違いなく、地元の方のための市場でした。

こういうところが面白い。
地元の雰囲気を楽しむのならこういうところを歩かなくてはいけませんね。

お店の方も「第一牧志公設市場」では観光客には余計な売り込みばかりでしたが、
そのまわりの路地を歩いている時は観光客にもざっくばらんな話をしてくれる。
地元の方と会話をしながら買い物を楽しむ、という本来の市場の楽しみを味わえました。

こういうところはお店もいろいろです。
普通の食堂、八百屋、魚屋、菓子屋、衣料品、雑貨、何を売っているかわからないお店。

こういうところの普通の食堂で食事をしてみたかった。

怪しいお店も多い…。
怪しさ、猥雑、雑多、路地裏、危険な香りがないと街は面白くない。

営業時間はお店により6時頃から20時過ぎくらいまで。
この界隈は知れば知るほどディープな面白さがあります。

私は結局主なお土産は、この市場で買いました。
市場の中心からは離れたところにあるお店でしたが、楽しかったですねぇ。
これが旅の楽しみです。

この日はこれから「サムズセーラーイン国際通り店」で夕食をいただきましたが、
団体での食事だったので割愛して2日目を終ります。

3日目へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … 沖縄県立博物館

2012-08-12 04:26:00 | 道外の博物館



18日(水)

姫百合の塔前を11:49発おなじみ82系統・玉泉洞前行きのバスに乗り具志頭(ぐしちゃん)まで15分・350円、
そこから12:10発の50系統・百名(東風平)線で那覇BTまで小1時間、610円。

BT隣接のゆいレール・旭橋駅からおもろまち駅、歩いて10分で県立博物館。





やってきましたよ、県立博物館に。

ここで沖縄の自然、歴史、民俗などを全て見てしまおうという魂胆です。
県立博物館としてはそれ程広くありません。
ですが全部見ていくと果てしなく深い、時間が許せば半日はいたい内容です。

そんな時間もなく端折って見てまわり、それでも3時間以上ここにいた。

沖縄の島々の成立から古代、グスク時代、三山時代から琉球王国の成立、貿易による繁栄、
中国との冊封関係、薩摩による琉球支配、王国の滅亡と日本(琉球処分)、戦争から現代へ。

簡単に述べるとこうなります。

文化的には沖縄土着の文化に中国と日本の影響を受け今の独自の文化が花開いた。
政治的には中国との冊封関係から次第に日本に取り込まれた。
琉球王国は薩摩との関係から弱体化し、列強諸国の圧力にもさらされ滅亡する。

とても一言では言い表すことができない壮大な歴史があったのです。

かつて県内にあった軽便鉄道の展示も充実していました。
豊富な写真でわかりやすい。

自然も民俗も、沖縄らしい独自のものが見ることができた。

面白かった、時間がなかった、もっと見ていたかった。
さすが県立博物館、展示の質・量とも申し分のない内容でした。
図録を買ってくればよかった。

ちなみに、県立美術館を併設しています。

時間は夕方、街中に戻ります



*沖縄県立博物館

住    所:那覇市おもろまち3-1-1
開館時間:9:00~18:00(金・土曜は20:00まで)
観覧料金:一般400円、大高生250円、中小生(県外)150円
休 館 日:月曜日(祝日の場合翌日)、12月29日~1月3日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … ひめゆり平和祈念資料館

2012-08-11 03:34:49 | 道外の博物館



18日(水)

「ひめゆりの塔」の奥にはその悲惨な歴史を今に伝える資料館があります。





ここでも沖縄戦の経緯やひめゆり学徒隊の詳しい記録などが展示されています。
ビデオや証言員による説明、様々な遺品など。

戦争とは、悲惨なものだよ。

ここでは印象に残ったものをふたつだけ。

ひとつは「解散命令」。

米軍が迫ってきた1945年6月18日に軍から「解散命令」が出されました。
戦況がどうしようもなくなってもう面倒を見れなくなった、
あとは自己責任で逃げるなり何なりしろということで戦場に放り出されたということ。

動員して利用しておいて、どうしようもなくなったら放り出す。
この後の1週間で100余命のひめゆり学徒が亡くなったという。

これは全犠牲者の80%ほどになります。
軍の内部にいたときには激しい戦闘中にもかかわらず犠牲者は意外と少ない。

規律がなくなった戦場では悲劇が増大する。

それから、「学徒」について。

学徒隊は「ひめゆり学徒隊」だけが有名になっていますが、
実は他にもいろいろな「学徒隊」があったと初めて知りました。

沖縄には21の男女中等学校があったそうですが、その全てで学徒が動員された。
女子学徒は看護活動に、男子学徒は「鉄血勤皇隊」や「通信隊」に編成された。

「ひめゆり」だけではなくその他の学徒隊にも、それぞれ悲劇があった。

「ひめゆり」だけが有名になりすぎてこういうことが伝わっていない。

あることの象徴としてひとつの事例がクローズアップされそれが世間を動かす。
それはそれで有意義なことではあるのですが、
有名になりすぎるとそればっかりに光が当たって他が見えなくなる。

他よりもひめゆり学徒隊が悲惨だった、ということでもあるのでしょうが。

那覇市内に戻ります



*ひめゆり平和祈念資料館

住    所:糸満市字伊原671-1
開館時間:9:00~17:30
入 館 料:大人300円、高校生200円、小・中学生100円
休 館 日:年中無休
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも見てやろう、沖縄3日間 … ひめゆりの塔

2012-08-10 04:36:40 | 道外の旅日記
18日(水)

10:20頃、姫百合の塔前(バス停の名前は、“姫百合”と漢字になっています)のバス停に降り立つ。
朝早くから動いているので気分的にはもうお昼過ぎの気分です。

さて、あまりにも有名な「ひめゆりの塔」。





沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒が看護要員として従軍、
その名をひめゆり学徒隊といいました。

生徒222名と教師18名、そのうち136名が戦争で死亡しています。

詳しいことはネットや本などでお調べ下さい。

「ひめゆりの塔」といえば、画像の白い慰霊碑のことと思われますが、
実はこれは納骨堂で実際の塔はその手前にある小さな石碑です。





こんな小さな、高さ数十センチの石碑があの有名な「ひめゆりの塔」。
「ひめゆりの塔」という名前の大きさと実物の小ささの落差に戸惑う。

納骨堂の手前に口を開けているのがひめゆり学徒隊が働いていた第三外科壕。

「旧海軍司令部壕」と同じ、地下壕です。

沖縄の南部はこのような自然の洞窟(ガマ、と呼びます)がたくさんあり、
戦争中はそれを避難場所や陣地、野戦病院として利用していました。

戦争のさなか、こんな洞窟で若い女性が看護要員として働いていた。
野戦病院、などというものではありませんね。
物資がなくなった末期には病院の体をなしていなかったと思われる。

残念だったのは、国道から塔への入口に大きく陣取った花束の売店。
ひめゆりの塔に来る人は当然のようにこの花束を買って捧げるのですよ、という風情。
花束を買わない人は鎮魂の気持ちがない、とでも言いたそうに当然の如く売りつけている。

たかだか200円のものですが、そういう然も当然のように売るのややめようよ。

逆に面白かったこと。

隣接しているドライブインは8月に入ると1ヶ月休業するのだとか。
観光シーズン真っ只中に休むとは…。

聞くと、8月はビーチはいっぱいだけどここに勉強には来ない…のだそうで。
なるほどね。

ひめゆり平和祈念資料館へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする