今はなき(こればっかりだね)、国鉄名寄本線の最優等列車に急行「紋別」がありました。
早朝に遠軽をを普通列車として出発、紋別から急行になり名寄経由で札幌まで、
帰りは同じルートを通って興部から普通列車になって遠軽には深夜に戻るダイヤです。
車両は名寄本線唯一の急行型3両による運行で1両は指定席、
線区の最優等列車にふさわしい列車でした。
旭川ー札幌間は網走からの急行「大雪」と併結、深川ー札幌間は更に幌延からの急行「はぼろ」と併結、
旭川ー深川間は7両編成、深川ー札幌間は10両編成と言う堂々とした姿。
また多客期は「紋別」「大雪」「はぼろ」にそれぞれ1両を増結、
なんと13両という長大編成で走っていました。
今では考えられない、鉄道が主役だった頃のお話です。
急行「紋別」は廃止された国鉄渚滑線の終点、北見滝ノ上に住んでいた私もよく乗りました。
旭川や札幌に行くには一番早く、一番便利な列車だったからです。
北見滝ノ上を始発(5:40、S54・7月の時刻表から、以下同じ)で出発、
渚滑には6:35に着いて6:58発の急行「紋別」に乗り札幌着は12:12。
帰りの札幌発は17:05で渚滑からの終列車に乗り北見滝ノ上到着が23:54。
国道273号線の改良前、高速バスもなかった頃ですが、
札幌まで一番早く行けるこのルートで6時間半ほどもかかっていたのですね。
今なら高速バスで約4時間です。
2時間半の短縮、『も』なのか『しか』なのか…。
ちなみに紋別からでは当時は5時間22分、今は4時間40分。
おや?
名寄経由でこの時間か。
今と同じ滝上経由なら高速バスより早いかも。
やっぱり最優等列車、早かったんだなぁ。
早朝に遠軽をを普通列車として出発、紋別から急行になり名寄経由で札幌まで、
帰りは同じルートを通って興部から普通列車になって遠軽には深夜に戻るダイヤです。
車両は名寄本線唯一の急行型3両による運行で1両は指定席、
線区の最優等列車にふさわしい列車でした。
旭川ー札幌間は網走からの急行「大雪」と併結、深川ー札幌間は更に幌延からの急行「はぼろ」と併結、
旭川ー深川間は7両編成、深川ー札幌間は10両編成と言う堂々とした姿。
また多客期は「紋別」「大雪」「はぼろ」にそれぞれ1両を増結、
なんと13両という長大編成で走っていました。
今では考えられない、鉄道が主役だった頃のお話です。
急行「紋別」は廃止された国鉄渚滑線の終点、北見滝ノ上に住んでいた私もよく乗りました。
旭川や札幌に行くには一番早く、一番便利な列車だったからです。
北見滝ノ上を始発(5:40、S54・7月の時刻表から、以下同じ)で出発、
渚滑には6:35に着いて6:58発の急行「紋別」に乗り札幌着は12:12。
帰りの札幌発は17:05で渚滑からの終列車に乗り北見滝ノ上到着が23:54。
国道273号線の改良前、高速バスもなかった頃ですが、
札幌まで一番早く行けるこのルートで6時間半ほどもかかっていたのですね。
今なら高速バスで約4時間です。
2時間半の短縮、『も』なのか『しか』なのか…。
ちなみに紋別からでは当時は5時間22分、今は4時間40分。
おや?
名寄経由でこの時間か。
今と同じ滝上経由なら高速バスより早いかも。
やっぱり最優等列車、早かったんだなぁ。
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