今日は小平町の北部の歴史について。
1880年、番屋の沢に鬼鹿村と天登雁村の戸長役場が設置されました。
場所は旧花田家番屋を少し北上したところ、番屋沢川という小河川の河口南口にあります。
「金子漁業部」という会社が目印、その前に建っています。
1880年、この地に天登雁(てんとかり)村・鬼鹿村両村戸長役場が設置されました。
村は2つに分かれていますが実際は一体として運営されていたようで、
1906年には天登雁村が廃され鬼鹿村に併合されています。
戸長役場は1884年、番屋の沢からその後に発展した鬼鹿に移転されています。
行政の中心としては、狭隘な番屋の沢より平坦な鬼鹿が良かったのでしょう。
鬼鹿はその地形により、市街地としても発展したであろう。
その鬼鹿村は昨日のブログの通り、1956年に小平村に編入されています。
小平町は南部は留萌町から分離度孤立し小平村として成立、
北部は最初から独立した自治体としてあったものの諸事情により小平村に編入された。
自治体としては留萌から離れた鬼鹿地区が早くに独立した。
しかし様々な理由により、現在の中心地はかつては留萌町の一部だった今の小平市街地になった。
これは炭鉱の歴史も辿ると、いろいろな物語がありそうですね。
今回はこれ以上探求しませんが。
※昨日もそうでしたが、碑の「撥」の字が違うんだよなぁ…
北海道では後志や日高、十勝などは複雑怪奇で理解不能なことが多いですね。
札幌も今の市域には様々な町や村が合併してできています。
歴史が古い本州は尚更ですね。