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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

今日と明日は道東へ

2022-07-17 06:24:41 | 北海道の旅日記(道東)

今日と明日は道東へ出かけます。

今日はまず帯広へ、そのあとは池田に寄って網走へ走り北見で泊まり、
明日は北見から数か所立ち寄り帰札します。

予定ではね。

心配なのは天気だ。
今日は雨、明日もどうなるかわからない。

天気次第で予定を変える必要があるかもしれません。
わかりませんが。

ブログは少なくても火曜日まで休みます。

では、行ってきます。

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佐呂間町竜巻災害、慰霊之碑

2022-05-22 05:19:06 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

2006年11月7日、佐呂間町若佐で新佐呂間トンネル工事の作業用プレハブが竜巻に襲われました。
9人の死者を出したこの災害は日本における戦後最大の竜巻被害となっています。

瞬間風速は毎秒83m、藤田スケールではF3と判定されています。

作業用プレハブは3棟建てられていましたがそのうち2棟が突風に吹き飛ばされ、
そこの2階でたまたま会議をしていた方が犠牲となりました。

 

 

 

 

慰霊碑は国道333号線沿い、若佐市街地の十字路を北見方面へ少し進んだ左側にあります。
被害に遭ったプレハブは慰霊碑の道路の反対側にありました。

碑の裏には碑文があり、犠牲者のお名前と年齢も書いています。
29歳から54歳の有能な土木技術者たちだ。

この災害は私もよく覚えています。
被害が大きかっただけに北海道中が大騒ぎになった。

新佐呂間トンネルは災害の翌年に開通、北見から紋別や旭川へ向かう最短ルートとして使われています。

私もこのトンネルは頻繁に使っています。
このルートを使えば滝上から北見までは約2時間だ。

旭川方面へも石北峠経由よりも早い(と思う)。
その便利さの陰で、竜巻の大きな犠牲があったことは忘れてはならないでしょう。

合掌。

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湧別町・水芭蕉群生地(湧網線、線路跡)

2022-05-21 05:14:02 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

芭露の集落から国道を佐呂間方面へ少し行くと左手に水芭蕉の群生地があります。
広さは12hrもあり、観察用に木道が整備され観察デッキもあります。

花の見ごろは4月中旬、私が行ったのは5月上旬だったので花は終わっていました。

花はどうでもいい、問題はここの木道が湧網線の線路跡にあるということ。
現地の案内図と芭露方面へ伸びる木道の画像をアップしておきます。

 

 

 

 

 

 

木道の画像では両側に広がる鉄道林の様子がよくわかります。

そしてこの木道が線路跡だったという決定的な証拠が、“鉄道林”の看板と枕木。

 

 

 

国道脇で大きな駐車場もあり、木道は車椅子の利用も可能となっています。

せっかくなら水芭蕉の季節に来てみたいもんだ…。

実際の湧網線はこの鉄道林を抜けると志撫子駅あたりまでサロマ湖岸を走り、
対岸の砂州まで見渡すことができるこの路線ならではの風光明媚な車窓を見せる区間でした。

ちなみに鉄道林とは、強風や吹雪、土砂崩れ、砂防などのために鉄道施設に植えられた林で、
札幌近辺では函館本線の大麻駅辺りに見ることが出来ます。

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紋別武徳殿

2022-05-19 05:47:31 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

 

 

住所は潮見町となっていますが、海に近い方ではなく紋別公園のふもとにあります。

元々は東洋一の金山と言われた鴻之舞鉱山の従業員と家族の福利厚生施設として、
1940年に鴻之舞に建造された武道場で当時は「光風殿」と名付けられていました。

鴻之舞鉱山の経営は住友でした、なので建物はかなり立派で大きい。
全景を撮影するにはかなり離れたところからでないと画面に入りません。

鴻之舞鉱山は1973年に閉山しましたが、その頃紋別市では新しい武道館建設の構想がありました。
そこで鴻之舞鉱山が「光風殿」を市に寄贈することになりました。

そして翌年、現在地に移転の上復元され名称も「武徳殿」となりました。

館内の道場は110畳もの広さがあり柔道、剣道、少林寺拳法などに使われています。
裏に回れば弓道場、これだけの広さがあれば武道なら何でもできますね。

鴻之舞鉱山関係の遺構は今ではほとんど残っていません。

もちろん現地に行けば様々な構造物が残されているわけですが、
建物として当時を偲ぶことが出来るのはこの武徳殿だけなのではないか。

それもこれも莫大な費用をかけたであろう武道館を建てた住友の財のなせる業です。
貴重な遺構、これからも大事に使っていってほしいと思います。

※紋別市潮見町4-4

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流氷展望台(紋別市)

2022-05-18 05:18:03 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

紋別灯台が建っている紋別公園の中に小さな展望台があります。
ふもとに駐車場があるので容易に行くことが出来ます。

入口から2階に上がると画像にある展望室があり望遠鏡が設置されています。
更に屋上に上がるとオープンエアの展望デッキとなります。

両方から紋別港を望む画像を撮りました。
よりワイドに市街地が写っているのが展望デッキからの画像になります。

 

 

 

 

 

 

展望デッキからの画像で右側で煙を吐いているのは「紋別バイオマス発電所」、
この施設については過去に書いた私のブログをご覧ください。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/e1f9208b5e2398ec5d4c75820d03ef9d

ここは『流氷展望台』ですよ。
紋別港が流氷に覆われたときにこの展望台を訪れたならさぞや絶景が…。

が、そんな流氷シーズンにここを訪れる方はほぼいないでしょう。
流氷の全景を俯瞰する景色を観光客に観てもらおうという発想がここにはないから。

有料の観光施設に誘導するもよかろう、そのときだけは金になるから。
ですが観光客としてはそれだけでは、つまらないな。

紋別の流氷観光としての特別感が感じられない。

景観は俯瞰できるのに観光客の気持ちは俯瞰できない、それが今一歩の原因だ。

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紋別灯台

2022-05-17 05:02:55 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

灯台というのは普通は、港の中や海岸沿いに建てられるものです。
がこの灯台は紋別公園という高台にあり周りには住宅地も隣接しているという立地。

建っているのは市役所の裏手、市民会館や裁判所、厳島神社が並ぶ通りのその丘の上にあります。
辺りは紋別公園となっており市民の憩いの場として親しまれています。

私が実家にいたころはこの公園から港まつりの最終日に行われた花火大会を見ていました。
花火大会のトリを飾るのは服飾店の「あつみ」が提供するスターマインと決まっていた。

いやホント、灯台から目と鼻の先には住宅や市民会館がある市街地。
よくぞこんなところに灯台を建てたものだと思います。

灯台の完成は1960年ですが、なぜこの地に建てられたのかはよく分かっていないらしい。
完成当時の塗色は白と黒でしたが1984年の改修時に今の白と赤になったそうです。

またコロナ禍前までは毎年6月に行われていた「春だ!ワッショイ!公園まつり」に合わせ、
紋別海上保安部により一般公開されていましたが今後はどうなることやら。

 

 

 

 

光は単閃白色、10秒ごとに1閃光、光度は3万3千カンデラ、到達距離は約42㎞、
灯台の高さは13.4m、海上から灯火までの高さは80.4m、初点灯は1960年12月28日。

※紋別市花園町8

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今日から出かけます

2022-05-04 05:14:16 | 北海道の旅日記(道東)

今日と明日、ちょっと出かけます。

今日は紋別に行き実家へ、明日は実家から北見に行って帰札します。

途中、何か所か気になるスポットがあるので寄ってくる予定です。

また桜も、エゾヤマザクラが見られるのではないかと期待しております。

ブログは少なくても明日はお休みします。

では、行ってきます。

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帯廣発祥の地・碑

2021-11-26 06:04:04 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

帯広の市街地は札幌と同じように「条丁目」で区画されています。

ですがその中で、国道38号線沿いの幕別町に近い一角の狭い区域に、
「条丁目」を全く無視して『依田町』という住所が存在します。

『依田』とは帯広の開拓に尽力した晩成社を創設した依田勉三に由来します。
その依田町の近く、東9条南5丁目交差点の三角地帯に『帯廣発祥の地』の碑があります。

1883年、依田勉三率いる晩成社がこの辺りに入植、十勝内陸部の本格的な開拓が始まりました。
開拓生活は苦難に満ちたもので、碑にも『開墾のはじめは豚とひとつ鍋』という依田の言葉があります。

 

 

 

 

これは食料に事欠いたときは豚のエサ用に鍋で作ったものを一緒に食べた、ということだそうです。
冷害などで農産物は生産できなかったという、厳しい生活ですね。

あれやこれがありこの地では晩成社は成功できなかったのですが、
しかしこの入植がきっかけで帯広や十勝の開拓が進んだことは間違いありません。

その功績は大きく、名残は六花亭の「マルセイバターサンド」などに残されています。
同じ六花亭には「ひとつ鍋」というお菓子もありますが、碑文にある依田の言葉ですね。

晩成社についてはいろいろな経緯があるので詳しくは書きませんが、
それにしても開拓に失敗したのにこれほど語られる方も珍しい。

が、結果的には失敗しましたが依田はバター、畜産などの産業を興します。

その先進性のDNAは今の十勝に受け継がれ、いずれも今は十勝の主要産業になっています。
端緒になった依田勉三、やはり十勝にとっては偉大な人物なのです。

 

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ローヤルボウルと北路(きたじ)

2021-07-16 05:35:07 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

ホテルオホーツクパレスの運営会社は“みゆき観光開発”、元々はホテル業ではありません。

今はホテルの別館とされている同じ敷地には和食処の「北路(きたじ)」とボーリング場の「ローヤルボウル」がありました。
私が実家にいたころには『北路に行く』や『ローヤルボウルに行く』というと、かなりの娯楽感がありました。

こちらが“みゆき観光開発”の本業だった。
何かあれば、記念日には、一発決めたいときは、とにかく“みゆきに行く!”なのでした。

それはホテルが開業してからも変わらず、両施設はホテルの別館として営業をしていました。
私的にはホテルの方が別館なのではないか、と思っていたのですが。

その両施設、実は今年3月31日に閉店していました。
スクラップアンドビルドで主要業種が変わる典型だな。

にしても、ボウリング場はともかくあれほど市民に支持されていた和食処が閉店するとはねぇ…。
ではその跡はどうなっているのかいうと、紋別市のコロナワクチン接種会場となっていました。

 

 

 

 

地元の事情通に聞いてみたところ、ちょうど空いているのでどうぞとなったらしい。

接種会場は地元の方の誰もが知っている場所でないと不便、そして交通便利なところがいい。

ここは北紋バスの市内線を利用すると市街地からは便利、車だと駐車場もホテルのものを使える。
知名度はもちろん市民には絶大なものがあります。

接種会場は広さなどいろいろな条件があるのでしょうが、丁度よかったのでしょうね。

さてこの場所、ワクチン接種が終わったらどうなるのでしょうか。
青春時代の想い出がここにある方、気になりますよね。

私もウォッチしていきましょうか。

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ホテルオホーツクパレス(紋別市)

2021-07-15 05:52:40 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

※旅行記を再開します。

元の紋別駅前付近に建っている、背が高くて目立つホテルです。

私の実家はお隣の滝上町、普段であれば紋別に泊まるなどあり得ないことです。
ですがこのご時世、高齢の両親のもとに行くなどこれもあり得ない。

逆に言うとこんな面白い場面は滅多にありません、紋別に泊まることにしよう。
ということで、紋別で一番目立つこのホテルに泊まることにしました。

HPによると客室は全100室、うちシングルが41室となっています。
私も予約はシングルだったのですがアップグレードでダブルルームに泊まりました。

シングルの需要が相当あるらしい、ビジネスはこのご時世でも堅調だ。

ところで、私はこのホテルのレストラン(マリーナ)を度々利用しています。
それは家族で紋別に来たときにランチかスイーツをいただくとき。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/87aa7076869f6f9dd2f0cd545e650d1e

マリーナはいろいろなフェアなどをやっていて、なかなかよろしい。
でもそこに、泊まることになるとはねぇ…。

さて宿泊に戻ります。

お部屋は8階、ベイビューで眺望はかなりいい、紋別の街並みと港がよく見えます。
が、上から見ると街並みに空き地が目立つこと。

 

 

 

 

画像に写るあたりは手前から幸町、本町、港町と続く紋別の中心街でした。
かつてはここに商店などが密集していたわけだ。

今はご覧のようにスカスカ、全国共通ですが中心部の空洞化をまざまざと見せつけられました。

で、お部屋の空調は私に合っていてよく寝ることができました。
ビジネスマンにとってはこれは大事、さすがシングルが満室なだけはあるな。

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