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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

♪アルムなら 3,500円~

2022-11-19 08:05:41 | 北海道の旅日記(道東)

十勝に「アルムシステム」という会社があります。
いろいろな事業を行っているのですが、代表的なのはビジネスホテルです。

帯広市内と近郊に何か所か展開していますが、宿泊費が安い。
1泊、3,500円なのです。

道内では表題の“♪アルムなら 3,500円~”のCMも流れています。
今回の出張では帯広でホテルの空きが少なく、そのアルムに泊まりました。

初めてのアルム、泊ったのはホテルオビヒロミナミ、というところでしたが。

そして今月から、宿泊料が上がっていました。
ホテルオビヒロミナミは1泊朝食付きで4,500円だった。

このご時世です、値上げは仕方なかろう。
4,500円でも十分安いし。

値上げはしましたが、CMでは相変わらず3,500円のままです。
いいけど。

帯広はよく行きますが、以前はあった定宿が最近はありません。
何としなければいけないなと思ってはいるのですが。

さて、どこがいいのか…。

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さて、「藤丸」だ

2022-09-12 05:14:28 | 北海道の旅日記(道東)

 

北海道唯一の地場資本の百貨店、帯広の「藤丸」。

来年1月31日で閉店となるのは既報の通りですが、その後はどうなるのやら。
後継企業が名乗りを上げていますが、まだ予断は許さない状況ですね。

何れにしろ、今の形態での「藤丸」は一度終わりを迎えることになります。
となれば、今までの奮闘と地域への貢献に対し敬意を表さねばなるまい。

行って参りましたよ、「藤丸」に。

店内は閉店セールの最中でしたが、平日昼くらいとあってお客さんもまばら、
閉店セールとはいっても全館を挙げての派手な割引や特別な催事をしているわけでもありません。

食品売り場はいろいろとセールをしていましたが。

そんな店内でしたが、私も少しでも売り上げに貢献したい。
ということでささやかながら買い物をして参りました。

 

 

さすが百貨店、くだらない物を買ったのですが丁寧に“FUJIMARU”で包んでくれました。
何を買ったかはナイショですが。

この包装紙が百貨店が百貨店である証ですね。

今回の店内は閑散としていましたが、閉店セールは年末からが本番だ。
その際は店内は大変な賑わいとなっていることでしょう。

『これぞ藤丸!』というような、閉店になるといいなぁ。
北海道地場百貨店の最後を飾る「藤丸」、十勝の意地を見せてくれ。

※帯広のお話はこれで終わります

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北海道拓殖バス 路線図付乗車券

2022-09-11 05:56:07 | 北海道の旅日記(道東)

 

北海道拓殖バス(本社・音更町)は1961年、北海道拓殖鉄道からバス部門が独立して創業しました。
ということで同社は去年、創立60周年を迎えました。

それを記念し、様々なイベントを行っています。
詳しくは同社特設サイトをご覧ください。
    → https://www.takubus.com/拓バス60周年記念/

いろいろな記念グッズがあるのですが、私が目を付けたのは『路線図付乗車券』。

大きさはB1変形サイズで約1m四方、大きすぎるので画像では一部しかアップしていません。
表に創業当時の路線図、裏が現在の路線図となり、そこに1,060円分の乗車券が印刷されています。

とにかく巨大な記念乗車券、私が手にしてきた様々なきっぷの中では一番の大きさです。
紙も厚く上質、しかも販売価格は1,000円で乗車券の額面より安いという謎の設定。

路線図の中に昔の写真と解説文なども添えられ、当時の様子がわかるようになっています。
1968年当時の北海道拓殖鉄道の路線図も載っています。
    → https://takubus.official.ec/items/38913453

こりゃいい買い物をした。

地図とそこに描かれた当時の路線図の中にいろいろなものが見えてきます。
私にとっては興味津々、日々眺めていても飽きません。

地図好きはこれだから困る…。

1,000枚限定、お求めは帯広駅バスターミナル拓殖バス窓口かネットで。
私は窓口で、支払いはどうみん割のクーポンでいたしました。

ご興味のある方はどうぞ。

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開拓の館(とかち宿 田園)

2022-09-10 05:52:39 | 北海道の旅日記(道東)

 

「とかち宿 田園」には本館の他に“田園ギャラリー”と“開拓の館”という建物があります。

“田園ギャラリー”は画家の坂本直行(六花亭の包装紙で有名)の絵が飾られています。
私はそちらの方面には疎いのでスルーします。

注目するのは“開拓の館”だ。

中に入ると雑多なものがこれでもかと置いてあります。
農具、生活道具、昔の鉄道グッズ、ホーロー看板やらあれやこれ。

 

 

これは面白い。

昭和30年代以降のものがほとんどかと思いますが、つい最近のものもあります。
さすが十勝、連続テレビ小説「なつぞら」関連グッズもあるぞ。

どこぞの博物館に収蔵されて然るべき貴重な品々がゴタゴタと並んでいます。
私にとっては宝物ばかり、ワクワクが止まらない…。

 

 

この建物、元々は馬小屋だったそうです。
昔の農家は農耕馬を飼っていたからな、その当時の名残です。

収められているものは近隣の方々が持ち寄ったものが多いという。

農業王国、十勝らしい来歴ですね。
それを宿泊客に見てもらおうという発想も素晴らしい。

これ、もっと情報発信した方がいいのではないか?
ガイドツアーもあると面白いかも。
でもやりすぎると、盗難などの心配があるしなぁ…。

「とかち宿 田園」、面白いお宿ではあります。

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とかち宿 田園

2022-09-09 05:48:19 | 北海道の旅日記(道東)

 

今回のお泊りは久しぶりの十勝川温泉の小さなお宿でした。
2階建てで部屋数は10ほどではないか、アウトバストイレでクレジットは使えません。

温泉街からは少し離れた、周りは畑という立地でどこぞの一軒宿みたいな立地です。

1泊2食付きで12,100円のところどうみん割+おとふけ割で7千円の割引で5,100円と入湯税(150円)でした。
さらにどうみん割のクーポン2千円がついて、激安だ。

 

 

ところで十勝川温泉の温泉は協会の集中管理源泉と自家源泉があります。
自家源泉は私がかつて定宿にしていた「はにうの宿」がそうでした。

他にもあったのですが、廃業が続き今では富士ホテルとここだけ(テトラはモール泉ではないで別)。
つまり他のホテルでは味わえない泉質が楽しめるお宿ということになります。

早速大浴場でひと浴び、モール泉独特の“入った途端にお肌つるっ”という感触は全くありません。
が、湯の中にモール泉の原料になったであろう植物片が大量に漂っている!

これは凄い、今までいろいろなモール泉に入ってきましたがこんなところは初めてです。
ろ過していない証拠、この感触を味わうなら内風呂より露天風呂の方が楽しいぞ。

お部屋はツインのシングルユースでした。

ところでお宿を決めるにあたってネットでいろいろ調べましたが適当なところがありませんでした。
簡単に言うと、どこも混んでいて高いところしかなかった。

一か八かで直接電話で問い合わせたのがここでした。
結果オーライ、とても満足したお泊りでした。

このお宿のこと、明日に続く。

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六花亭サロン kyu(旧三井金物店)

2022-09-08 05:59:57 | 北海道の旅日記(道東)

 

1875年に山梨県に生まれた三井徳宝は函館の金物商に勤めた後1898年に帯広で開業、
初代の建物は十勝地方初の土蔵造りだったと言われています。

この建物は1912年建造の2代目の店舗で、櫛型3連アーチの開口部が見事です。
レンガ造り2階建て、このレンガは十勝監獄製だそうです。

 

 

現在は六花亭が所有、1997年~2003年まで相原求一郎デッサン館として使われていました。
今は「六花亭サロン kyu」として引き続き使われています。

六花亭のHPを見ると今はイベントなどは行われていないようですが。

三井金物店を創業した三井徳宝は後に町議、道議、衆議も務めています。

衆議には1928年の第1回普通選挙から4期途中まで務めていましたが、
このときは東京に住んでおり地元からは輸入候補ではないかとの異論があったそうです(注)。
(注)北海道大学文学研究院紀要161「昭和戦前期の普通選挙と北海道第5区」

このことから早々に帯広を離れ東京で事業をしていたことがわかります。
那須の温泉を開拓したこともあり、那須湯本の旅館「山楽」は三井徳宝が建てたものです。

どうやら帯広だけではなく、あちこちで事業展開していたようです。

三井徳宝、面白い人物だなぁ。
掘り下げると、いろいろありそうだ。

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櫻湯(銭湯・廃業)

2022-09-05 05:30:05 | 北海道の旅日記(道東)

 

帯広の市街地にはポツポツと昔の建物が現役で、あるいは用途廃止のまま残っています。
使われなくなった後も現役時代と同じように今も残っているのが嬉しい。

櫻湯は昭和7年(1932年)に建てられた銭湯です。

正面に向かって右側が男湯、左側が女湯の入り口があり、
横に建物があって見えませんが奥に浴場が続いていました。

 

 

各所にアーチ形のデザインが施され、正面の『櫻湯』の文字と桜の花びらが美しい。
その他、細部にまで及ぶ様々な装飾からは開業当時の帯広の賑わいを感じることができます。

私は建物には詳しくないので外観を眺めて凄いなと思うだけなのですが、
詳しい方が見るともっといろいろな感想を持つのであろうな。

いつ廃業したのかと調べてみましたが、分かりませんでした。

※帯広市東2条南6丁目8

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北見駅界隈

2022-08-03 05:49:20 | 北海道の旅日記(道東)

 

北見駅の目の前には北見信金本店とホテルルートイングランドの巨大な建物が並んでいます。
こんな味気ない駅前って、そうそうないと思うけどなぁ…。

私が中高生だったころの北見駅前の1等地にはデパートの「まるいいとう」と「金市舘」がありました。

そこに連なる商店街の中に「西銀デパート」、「丸正デパート(10円のゲームが懐かしい)」があり、
そして縦横にいろいろな商店が並んでいました。

その商店街に中に「福村書店本店」があった。
芋版画家の香川軍男(かがわ・ときお)によるブックカバーが懐かしい。

当時の福村書店は倒産、現存する福村書店は別法人です。
昔あったものはなくなったり形を変えたりしており、当時を偲ぶことができるものは少ない。

話は変わりますが、散歩の途中にいかにも北見らしい“ブツ”を発見しました。

『たまねぎ不動産』

 

 

どうよ、これ。
分かりやすいかと聞かれれば、これほど分かりやすいものはない。

こういうノリ、好きだなぁ。

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相生鉄道公園(津別町)

2022-07-29 06:09:15 | 北海道の旅日記(道東)

 

石北本線の美幌駅からはかつて、北見相生駅まで相生線が伸びていました。
津別駅まで開業したのは1924年、翌年に北見相生駅まで全線開通、1985年に廃止になっています。

 

 

 

終点だった北見相生駅跡は「相生鉄道公園」として整備されており、
駅舎やホーム、鉄道車両などが保存されカフェ(駅舎カフェホロカ)も営業しています。

鉄道公園は「道の駅あいおい」に隣接しており(こちらがメイン)、名物の“クマヤキ”もここで買えます。

駅舎は現役当時のまま復元されていますが、訪問時間が遅かったので中には入れず。
カフェホロカの営業時間内に行くしかないようですね。

駅舎前のホームも当時の様子がよくわかる、国鉄の造りがそのまま残っています。

 

 

公園内には客車の「スハフ42 502」やDCの「キハ22 69」などが保存されていますが、
これもカフェと関係あるのか車内に入ることはできませんでした。

その他、貨車や除雪車なども保存されているのですが、それは割愛致します。

残念だったのは雨だったこと。
私が見た以外にもっといろいろな“ブツ”があったかもしれません。

訪問時間が遅かったせいでカフェも閉まった後で駅舎内の様子は確認できず、
鉄道公園自体も当日は雨でくまなく調べることができなかった。

“クマヤキ”も頂こうかと思ったのですが、雨の中並ぶのもアレなのでやめた。
ちなみに“クマヤキ”は180円からで、ヒグマやシロクマなどがあります。

ここ、不完全燃焼。
道の駅共々、リベンジしなければいけないな。

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高島嘉右衛門

2022-07-26 05:33:09 | 北海道の旅日記(道東)

 

昨日のブログで、高島嘉右衛門が池田町に高島農場を開設したと書きました。
肩書は「横浜の実業家」と簡単に書きましたが、もう少し詳しく書いていきます。

高島嘉右衛門といっても、北海道ではほとんど知る人はいないと思います。

ですが横浜では実業家として成功をおさめ、また日本初の鉄道建設に貢献するなど、
「横浜の父」と呼ばれるほどの功績者だったのです。

横浜市西区高島の地名は嘉右衛門が鉄道用地のために埋め立て事業をした土地に由来します。

また日本初のガス会社(横浜瓦斯会社)を設立しガス灯を点灯(点灯日が“ガス記念日”)、
他にもホテル経営や北海道炭礦鉄道の社長をするなど、各地に多大な足跡を残しています。

洋式学校「藍謝堂(らんしゃどう)・通称高島学校)」を建設、岡倉天心や寺内正毅、
北海道農学校2期生で植物学者の宮部金吾などを輩出しています。

北海道の農場では池田町の他に奈井江町にも高島農場を開設、こちらにも高島の地名を残しています。

それからナント、易学の大家で『高島易断』を著し、「易聖」とも呼ばれています。
『高島易断』も嘉右衛門の仕業であったか。

実業家であり易学の大家という不思議な経歴を持った高島嘉右衛門、
農場の設立や北炭による炭鉱開発で北海道にも多大な貢献をしています。

ですが北海道では断片的にしかその名は出てきません。

彼の名と功績はもっと知られていいのではないかと思いますが、
誰か北海道で彼の研究をした方はいないものか。

多分、活躍した地域と業種などが広すぎて網羅できないのだなぁ…。

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