とにかく初めてのことがたくさんあった大会でした。
①宿泊を伴った大会
朝5時スタートということで会場に前日入りをしました。前日受け付け、大会説明会、前夜祭パーティーと何から何まで初めての体験。車中泊を走友としたのも始めて。1杯飲んでいたのでうめさんはあっという間に寝てしまったけれど楽しい体験でした。大会を楽しむというのはその準備と帰宅するまでの過程も含めて丸ごと楽しむことなんだと思いました。
②女性用トイレに入った
スタート前に簡易個室トイレは長蛇の列。スタート5分前になっても私の前には数人並んでいました。あと3人というところで女性用が1つ空きました。男性もそちらを使い始めました。スタートの合図はトイレに並びながら聞きました。(そういえばこれも始めて)私の順番では女性用トイレから男性ランナーが出てきて、後で並んでいる人に「早く行きなよ。」とせかされ、成人になって始めて女性用のトイレで用を足しました。(非常事態では何でもするということ)
③登山道は思ったよりきつい
登はゆっくり、歩く人が多い斜面でも同じがんばり度で歩かずに上っていく。これだけゆっくりだから大して負荷もかかっていないだろうと思っていた。途中、開けたところがあったので小用を足そうとして歩いた。そのとたんに脈拍が早くなっていたことに気がついた。ゆっくりペースでも傾斜走は思ったよりも体に負担がかかっていたことに気がついた。また、1900㍍前後の高地は、空気も薄いみたいで酸欠のためか走り終わったあともしばらく軽い頭痛がしていた。
④歩くことは戦うこと
野辺山のコースはフラットな部分がほとんど無く、上っているか、下っているかだ。10㎞あたりで既に歩いている人がいて、20㎞付近では半分位の人が歩いている登りがあった。自分が止まらずにゆっくりでも走り続けている時は歩いている人を見て、「こんなところで歩くなんてだらしがない。」とか、「レースをもう投げているのか。」などと思っていました。しかし、下り坂に自分の膝がやられて走れなくなり足を引きずるように歩き始めて歩くことの大変さ、つらさを実感しました。歩くことは前に進もうとしていることなんだという当たり前のことに気がつきました。人間があることを評価する時には自分の置かれている立場がかなりその評価に影響を及ぼしているということも実感しました。「歩いているということはこのコースと戦っていることなんだ」ということに気がついた時、それまでの自分の傲慢さが情けなく感じられました。自分が体験しなければ分らないこと、偏見というものがまだまだあるんだろうなぁと反省させられました。
⑤リタイアする勇気
初めてのリタイア。リタイアするってどうすればいいのかも分りませんでした。途中でレースをあきらめなければならない自分に納得がいかなくて、ファイテンの元気ステーションのお兄さんに膝をマッサージしてもらい、ストレッチをして、着替えをして35㎞から登りの坂道を走り出そうとした時2・3歩歩き始めて続行が不可能であることを悟りました。家族、走友、職場の人、そして、今も頑張っているうめさんの顔が1つずつ浮かびました。とにかく自分でやめるのではなく制限時間いっぱいまで歩き通してもだめだったら収容してもらおうか?などとも考えました。でも、このまま無理をすれば翌日、無事な姿で勤務することができなくなることは明らかでした。仕事とランナーとしてのプライドを天秤にかけました。無理した場合どのくらいで回復するかも想像しました。長期間走れなくなるような気もしました。帰りの車のことも考えました。総合的に判断して「今年はリタイア」に決めました。悔しくて悔しくて悔しくて仕方がなかったけれど自分が下した判断には間違いがなかったと今はすっきりしています。リタイアするのも勇気。続行するのも勇気。1つ1つの判断に自分が試されているような気がして、自分が自分を支配している実感というのはたまらなく気持ちがいいです。
⑥完走の重み
体育館に運ばれて、風呂に入って着替え、昼食も採り、再び体育館で荷物が届くのを待ちながらストレッチしていると完走したランナーが足を引きずりながら体育館に入ってくる。胸には「完走メダル」がかかっている。とってもまぶしかった。うらやましかった。自分には届かなかった境地に立っているランナーがうらやましかった。うめさんのゴールシーンをデジカメに納めようとゴール予定30分前からフィニッシュライン付近で応援する。いつも自分がゴールするとすぐ着替えて帰りの用意だったがゴールしてくる人を拍手で迎えるのも初めての経験だったような気がする。見ず知らずのランナーが一人、また一人100㎞を完走してくる。一人一人に尊敬の念を込めて拍手し、声をかけた。100㎞完走してくる人はどの人も神々しく見えた。予定時刻をほんの少しだけ過ぎて「うめさん」の姿が見えた。泣いていた。自分も涙がにじんできた。「苦しかった。」うめさんはぽつりぽつりと話してくれた。「胃をやられた。吐いた。豆が破けて足の裏が血だらけになった。何度リタイアしようと思ったか分らない。・・・。」それでも時間内完走を果たした。やっぱりうめさんは「鉄人うめさん」だった。こんなすごい人といっしょに練習できたなんて自分はなんて幸運なんだろうと思った。こんなすごい人に声をかけてもらってウルトラの入り口の門の前までこられたことをとても幸せに思う。そして、完走した人には完走した人にしかたどり着けない境地があること、フルとは別次元の世界があることを目の当たりにした。絶対に来年(14回大会)では、71㎞を完走し、15回大会では100㎞完走してやるぞ!と思った。
本当に「路の途中」なのだ。 いつまでも「路の途中」でいたいと思った。
野辺山から学んだことは書けば書くほど出てきて止めどがない。今回はここまでにしておきます。
①宿泊を伴った大会
朝5時スタートということで会場に前日入りをしました。前日受け付け、大会説明会、前夜祭パーティーと何から何まで初めての体験。車中泊を走友としたのも始めて。1杯飲んでいたのでうめさんはあっという間に寝てしまったけれど楽しい体験でした。大会を楽しむというのはその準備と帰宅するまでの過程も含めて丸ごと楽しむことなんだと思いました。
②女性用トイレに入った
スタート前に簡易個室トイレは長蛇の列。スタート5分前になっても私の前には数人並んでいました。あと3人というところで女性用が1つ空きました。男性もそちらを使い始めました。スタートの合図はトイレに並びながら聞きました。(そういえばこれも始めて)私の順番では女性用トイレから男性ランナーが出てきて、後で並んでいる人に「早く行きなよ。」とせかされ、成人になって始めて女性用のトイレで用を足しました。(非常事態では何でもするということ)
③登山道は思ったよりきつい
登はゆっくり、歩く人が多い斜面でも同じがんばり度で歩かずに上っていく。これだけゆっくりだから大して負荷もかかっていないだろうと思っていた。途中、開けたところがあったので小用を足そうとして歩いた。そのとたんに脈拍が早くなっていたことに気がついた。ゆっくりペースでも傾斜走は思ったよりも体に負担がかかっていたことに気がついた。また、1900㍍前後の高地は、空気も薄いみたいで酸欠のためか走り終わったあともしばらく軽い頭痛がしていた。
④歩くことは戦うこと
野辺山のコースはフラットな部分がほとんど無く、上っているか、下っているかだ。10㎞あたりで既に歩いている人がいて、20㎞付近では半分位の人が歩いている登りがあった。自分が止まらずにゆっくりでも走り続けている時は歩いている人を見て、「こんなところで歩くなんてだらしがない。」とか、「レースをもう投げているのか。」などと思っていました。しかし、下り坂に自分の膝がやられて走れなくなり足を引きずるように歩き始めて歩くことの大変さ、つらさを実感しました。歩くことは前に進もうとしていることなんだという当たり前のことに気がつきました。人間があることを評価する時には自分の置かれている立場がかなりその評価に影響を及ぼしているということも実感しました。「歩いているということはこのコースと戦っていることなんだ」ということに気がついた時、それまでの自分の傲慢さが情けなく感じられました。自分が体験しなければ分らないこと、偏見というものがまだまだあるんだろうなぁと反省させられました。
⑤リタイアする勇気
初めてのリタイア。リタイアするってどうすればいいのかも分りませんでした。途中でレースをあきらめなければならない自分に納得がいかなくて、ファイテンの元気ステーションのお兄さんに膝をマッサージしてもらい、ストレッチをして、着替えをして35㎞から登りの坂道を走り出そうとした時2・3歩歩き始めて続行が不可能であることを悟りました。家族、走友、職場の人、そして、今も頑張っているうめさんの顔が1つずつ浮かびました。とにかく自分でやめるのではなく制限時間いっぱいまで歩き通してもだめだったら収容してもらおうか?などとも考えました。でも、このまま無理をすれば翌日、無事な姿で勤務することができなくなることは明らかでした。仕事とランナーとしてのプライドを天秤にかけました。無理した場合どのくらいで回復するかも想像しました。長期間走れなくなるような気もしました。帰りの車のことも考えました。総合的に判断して「今年はリタイア」に決めました。悔しくて悔しくて悔しくて仕方がなかったけれど自分が下した判断には間違いがなかったと今はすっきりしています。リタイアするのも勇気。続行するのも勇気。1つ1つの判断に自分が試されているような気がして、自分が自分を支配している実感というのはたまらなく気持ちがいいです。
⑥完走の重み
体育館に運ばれて、風呂に入って着替え、昼食も採り、再び体育館で荷物が届くのを待ちながらストレッチしていると完走したランナーが足を引きずりながら体育館に入ってくる。胸には「完走メダル」がかかっている。とってもまぶしかった。うらやましかった。自分には届かなかった境地に立っているランナーがうらやましかった。うめさんのゴールシーンをデジカメに納めようとゴール予定30分前からフィニッシュライン付近で応援する。いつも自分がゴールするとすぐ着替えて帰りの用意だったがゴールしてくる人を拍手で迎えるのも初めての経験だったような気がする。見ず知らずのランナーが一人、また一人100㎞を完走してくる。一人一人に尊敬の念を込めて拍手し、声をかけた。100㎞完走してくる人はどの人も神々しく見えた。予定時刻をほんの少しだけ過ぎて「うめさん」の姿が見えた。泣いていた。自分も涙がにじんできた。「苦しかった。」うめさんはぽつりぽつりと話してくれた。「胃をやられた。吐いた。豆が破けて足の裏が血だらけになった。何度リタイアしようと思ったか分らない。・・・。」それでも時間内完走を果たした。やっぱりうめさんは「鉄人うめさん」だった。こんなすごい人といっしょに練習できたなんて自分はなんて幸運なんだろうと思った。こんなすごい人に声をかけてもらってウルトラの入り口の門の前までこられたことをとても幸せに思う。そして、完走した人には完走した人にしかたどり着けない境地があること、フルとは別次元の世界があることを目の当たりにした。絶対に来年(14回大会)では、71㎞を完走し、15回大会では100㎞完走してやるぞ!と思った。
本当に「路の途中」なのだ。 いつまでも「路の途中」でいたいと思った。
野辺山から学んだことは書けば書くほど出てきて止めどがない。今回はここまでにしておきます。
本当にみんなが主人公なんですよね。ゴールできた人もゴールできなかった人も壮絶なレースから多くのことを学び、また一段大きくなっていくのではないでしょうか。今年のことをきっかけにしてまた一段成長したランナー、のみならず人間になれたのではないでしょうか。えらそうなことを書きましたが、私はあのレースを通してそんなことも感じました。
ゆっくり休んでください。
また一緒に走りましょう!!
レースは来年以降いくらでもあります。このレースでこんなにいろんなことが学べたのならば、そちらの方が今後の宝になります。
まずはゆっくり養生して治してください。
完走できなかった人も楽しめる。ウルトラって特別な存在だなって感じました。
完走記でした。
又、ウルトラはマラソンではないなとも読んでいて
思いました、様々な苦境の中での勇気ある決断には
本当に頭が下がります。
次につながる決断で必ずやこの続きを感じる時が
来ると思います(*^-^)o
文面からではありますが、私も少しですがウルトラの
怖さ・魅力を感じる事が出来ました。
私も次回は同じ想いを感じたいと思います!(^^)!
ご家族の理解やお仕事の都合がつけば、来年もチャレンジしましょう。ストラップにぶら下げるものを持って帰りましょう。