肌寒さは残るものの、春の空気は気持ちが良いですよね。こんにちわI権禰宜です。
さて本日は神職道具のご紹介。
今回は
狩衣(かりぎぬ) です。
普通、『神主さんの装束』といったらこの装束を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
この狩衣。その名の如く、もともとは平安朝の頃に貴族・官人の狩猟服装で、他の装束と比べると機動性が高く、また着脱も容易なことから広く愛用され、やがて貴族等の普段着として定着しました。
普段着ですから着る機会も多く、現在私たちが『お公家さんの装束』をイメージした時、神職の時と同じくこの装束を思い浮かべるのはこの為です。但し、あくまでの普段着ですのでこの装束で天子様の大前に参ずることは一切不可でした(というよりも禁中にすら入れませんでした)。まぁ・・・やっぱりいくら動きやすくても普段着じゃ駄目ですよね・・・。
やがて時代を経ると、公家の普段着だけではなく上級武家の普段着としても用いられてきます。大河ドラマなどでよく上級武士である源家将軍や足利将軍などが着用していますよね。彼ら将軍様は武士といっても単なる武士でなく武家貴族だからです。
ちなみに、狩衣と構造が似た装束は他にもたくさんあります。最も格式の高い装束である束帯(そくたい)や、狩衣よりは格式が高い直衣(のうし)。庶民なども着用する水干(すいかん)などがそれです。これらは大体(水干は少し異なりますが)が襟元を蜻蛉という留め部位に引っかけて上下を合わせて着用する形態です。
写真で見るとこの部分です。
恐らく奈良時代からの漢服の影響なのでしょうが、これが明治時代まで朝廷の正式な服制として続いた所を見ると、この「襟元で引っかけて着る」という方法はとても息の長いファッションですよね(よほど着やすかったのか、他に考えなかったのかは不明です)。
そんなに繁栄した装束も現在まで制服として主に使用しているのは神職ぐらいです。どうぞ神社で御祈願の際は、1000年(奈良時代さらに中国王朝時代を合わせるともっとですが)以上の歴史を誇る着用方法・「襟元で引っかけて着る」装束を御覧下さいませ(笑)
I権禰宜
神官の方が亡くなられた場合は、狩衣のえりあわせ左右どちらですが?仕事関係で詳しいことをしりたいのでよろしくお願いします。
それと、一般の方が亡くなったら浄衣は左前でいいのですよね?
いわゆる「死装束)」ですが、「狩衣」や「浄衣(白無地の狩衣に酷似した装束)」の場合はその構造上、必ず右前になります。ですので特注したもので無い限り右前で著ける事になります。なお、下に著ける白衣は一般的な死装束と同じく左前です。
ただし、これは地方によって多分に差異がありますので関係者とよくご確認されたほうが良いかと思います。