こんにちは、O出仕です。
今日は朝から随分と涼しい一日です。現在は止んでおりますが、今週は雨の日が多い一週間となりそうです。
今日は宗像市鐘崎に鎮座される、織幡神社を紹介します。
宗像大社からさらに海沿いへと向かい、玄界灘を見渡しながら、さつき松原の松並木を北上すると
ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ志賀のすめ神
と万葉集に詠われた鐘崎に到ります。
御祭神は、武内宿弥命・住吉大神・志賀大神。
西暦927年に編纂が完了した『延喜式』の「神名帳」(巻9、10)に、名神大社として記載されており、千年以上の昔より、九州有数の神社として尊ばれてきました。
戦前までの社格では県社とされていました。
鳥居をくぐると、右手に「筑前鐘崎海女の像」と、「海女発祥の地 鐘崎」の石碑が建てられています。
少し進むと、左手に大きな岩があります。この巨岩が鐘崎の沈鐘伝説の岩です。
並んで立つ石碑にはこうあります。
「昔の人は 金埼は鐘崎でここには海の向うの国から来た釣鐘が沈んでいると語りつぎ信してきた そして宗像興氏や黒田長政など その権力にまかせてこの釣鐘を引揚げようとしたが失敗に終った ところが大正八年に 山本菊次郎なる人が万金を投してこれを引揚げることに成功した しかし姿を現したのは 釣鐘ではなくして このような巨石であった 人びとはがっかりしたが いまでも本当の釣鐘は海底に沈んでいるとの思いを捨てかねている このような話は 沈鐘伝説といって諸国に例があるが ここのは そのもっとも有名なものである 沈鐘と巨石 夢と現実 まことに面白い郷土鐘崎の物語である」
↑こちらが御社殿です。
↑こちらの神額は岡田宮とのゆかりも深い三条実美公の書となっています。
御社殿のそばに、このような塚がございます。
沓塚と名付けられたこの塚は、御祭神である武内宿弥命が、ここに両沓を残して、天に昇られたと伝えられる、その沓をお祀りする塚です。
また、織幡(おりはた)という名の由来は、神宮皇后の三韓征討の際、武内宿弥がこの地で幡を織ったことから、そう名付けられたといわれます。
織幡という美しい名、そして沈鐘、沓塚の二つの懐かしい伝説と、また眺望の景色もよい宗像鐘崎の神社です。
こんにちはO出仕です。
今日は福岡県糟屋郡宇美町に御鎮座される宇美八幡宮を紹介いたします。
宇美八幡宮は、神功皇后が応神天皇をお産みになった地であり、「宇美」という地名も「産み」からとられたものといわれます。
ですので安産の信仰が厚いお社です。
御創建は敏達天皇三年(西暦では574年)と古く、境内には歴史を感じさせる楠の大木があります。
↑こちらは「湯蓋の森」。
神功皇后が応神天皇をお産みになった際、この木の下で産湯を使われたことからこの名があります。
↑こちらは「衣掛の森」。
産衣を掛けられたことからこの名で呼ばれるようになったそうです。
少し進むと「産湯水」がございます。
応神天皇はこの水を産湯として使われたので、この水を妊婦の方が頂いて帰れば安産になると伝わり、汲み取っていかれる方が多いとのことです。
この産湯水の近くに歌碑が建っております。
「宇美の里 八幡の神の みこころを わくや衣掛の 森のまし水」と彫られています。
宇美の里の八幡の神さまの御心が分かっていればこそ、この衣掛の森の真清水は湧いてくるのだろう、といった意味だと思います。
この産湯水は神様の神意によって、湧き出ているのですね。
神社にはそれぞれ、さまざまの風習や信仰の形がありますので、色々な神社をぜひたずねてみてください。
こんにちはO出仕です。
昨日は当神社の宮司による、八幡郷土史会の歴史講座が開催されました。
タイトルは「神社と神様と神職と」です。
まずはじめに、さくら巫女による舞の演舞が行われました。
緊張していた様子でしたが、いざ始まると、いつものように綺麗に舞うことができたようです。
皆様も興味深そうに、また真剣にご覧になられており、たいへん喜ばれておりました。
さて、今回の講演には百名以上の方々がお集まりになり、神社や神様について聴き入っておられました。
天孫降臨についてのお話や、キリスト教についてのお話など、
これで次から、神社に参拝されるときには、家族そろって正しい参拝作法でお祈りすることができますね。
後半からは、郷土史会の方に神職の装束を着ていただき、神職と巫女についての講演でした。
神職の装束や道具、また袴の色の違いについて、日頃から興味をもたれていたようでした。
また最後には質問もいくつかしていただき、とても盛り上がった、歴史講座となりました。
こんにちはO出仕です。
今日は久々の快晴ですね。やはり雨が続くと気分も晴れやかになりません。
快雨とは言いませんものね。
今日は佐賀県西松浦郡有田町に御鎮座する、陶山(すえやま)神社を紹介します。
有田といえばやはり有田焼が有名です。毎年四月の末から五月の頭にかけて「有田陶器市」で賑わいます。
この陶山神社は主祭神である応神天皇とともに鍋島直茂公・李参平公が祀られています。
李参平という方は朝鮮出身の陶工で、有田焼の生みの親として有名な方です。
ですのでこの神社は鳥居から狛犬まで有田焼でつくられています。
ご覧ください↓
堂々たる陶器の鳥居と狛犬です。
しかし陶器なので修繕するには大変な苦労があるようです。
現在の鳥居は昭和三十五年に香蘭社十代深川栄左エ門が復旧させたとのことです。
香蘭社は今でも有田焼で有名な会社です。
もともとこの神社は伊万里市の神原八幡宮から応神天皇の御分霊をいただいて、有田皿山宗廟八幡宮との名で鎮座されたそうです。
その後鍋島直茂公と李参平公もあわせて御祀りし、明治以降に陶山神社といわれるようになりました。
有田皿山の神さまのおかげを頂き、ツツジの季節には素晴らしい景色となります。