本日は薄曇りのスッキリしない一日です。
しかし、日差しが無い分過ごし易くて良い心地です。
そんな中、午前中に二人のお子さんのお宮詣での御祈願がありました。
まず一人目は・・・
すず子ちゃん!
こちらは終始「すやすや」と熟睡タイムでした。
こちらは、すず子ちゃんの御姉ちゃん(手前)とお兄ちゃん(奥)です。
二人とも元気いっぱい!!お姉ちゃんは、しっかり者タイプ。
お兄ちゃんは自由奔放!!我が道を行くタイプでしょうか?
驚いたのは、このお兄ちゃん!こけても泣かずに平気で、何も無かったかの様に御家族のもとへ・・・・・(タクマシイ!!!)
兎に角、本当に元気が良いです!!これからも怪我に気をつけて、すず子ちゃんを可愛がってあげてね!
もう一人は・・・
頼信(よりのぶ)くん!
御祈願の途中までは我慢してたのか、後半では眠たさのあまりグズってしまい・・・終わった頃には睡魔に勝てず・・・・・
手にお父さんから祈願の絵馬を掛けられても微動だにせず爆睡です!!(大物感ありありです。)
名前の様に、誰からも頼られ信頼される人になってくださいね!!
それでは、すず子ちゃん!頼信君!二人ともそれぞれの暖かい家庭の中で、元気一杯で健やかに過ごして成長して下さい!!T権禰宜でした。
今日から私も私服は半袖にしましたよ。
こんにちは。I権禰宜です。
さぁて今回も誰も待ち望まない「ことわざうんちく」をやってしまいましょう。
『覆水盆に返らず』
昔々・・・殷の時代。東海に呂望という人物がおりました。
呂望は若いころから本ばかり読み、さらにたまに外出したかと思うと釣りばかりする様な男でした。こんな有様が続いたものですから、ついに彼の妻は愛想を尽かして彼の元から去っていてしまいます。
しかしマイペースな呂望はそんな事は些細な事と言わんばかりに、これまでどおりの生活を続けるのでした。
ある日の事、呂望がいつものように釣りをしていると、人品卑しからぬ人物が話かけてきました。
そう・・・「釣れますか」と。
話してみるとこの貴人は世に名士として名高い西伯(西方総督)・姫昌でした。
当時、殷は紂王という王が治めていました。
紂王は英邁な気質を持ち、また勇敢な性格の王でしたが、それ故に己の才に驕り、自分に意見する者は片っ端から処刑するような暴君となってしまいました。このため臣下は紂王の怒りを恐れて誰も意見するようにならなくなり、国の政治は大いに滞り人々の不平不満は日に日に高まっていったのでした。
紂王の下で大臣を務めた経験もある姫昌はこのような国の状況を憂い、広く優れた人材を欲していました。「怠け者」の呂望が姫昌と会ったのはまさにそんな時です。
呂望は姫昌と話をすると、不満が溢れる国の状況・・・そして姫昌自身がどの様に動くべきかを的確に助言します。
これを聞いた姫昌は大変喜び、
姫昌:「私の祖父・太公は『何れ天下の賢者が我が家を栄えさせるに違いない』とかねてより仰っられた。呂望殿、まさしく貴殿は太公が望んだ者に相違あるまい!」
・・・と言って呂望を大将軍に任じて、来たるべきに備えたのでした。
やがて姫昌は病没してしまいますが、呂望は姫昌の跡を継いだ息子の姫発を補佐して殷軍を牧野の戦いで撃破。さらに都・朝歌に攻め上がり殷を滅ぼし、新たな王朝・周を建国します。
周王朝成立後、新たな国王となった姫発は、建国の元勲である呂望に斉の国を与えてその功績に報いました。
この呂望の栄達を聞きつけたのが、かつての愛想を尽かして出て行った彼の妻。
彼女は斉の君主となった呂望の前に跪き、復縁を乞います。
呂望はそれを黙って見ていると、おもむろに傍にあった盆(器)を手に取ると中に入っていた水を地面にこぼしてこう言いました。
呂望:「いま地面にこぼした水を元の通り、盆に戻せたのなら貴女の願いを聞き届けよう」
これを聞いた元妻は必至に地面をすくいますが・・・元に戻せるはずも無く・・・。
呂望:「一度地にこぼしてしまった水を元に戻す事は出来ない。それと同じく一度別れた夫婦が元に戻る事は出来ないんだよ」
こうして元妻の申し出を断った呂望。その後は血縁関係に拘らずに能力主義で斉を治め、死して太公の諡を贈られる事になります。
そう、このお話は斉の初代君主・太公呂望のお話です。
さてさて・・・一度起こってしまった事は元には戻せない・・・という意味で使われる『覆水盆に返らず』ですが、元に戻したい当人にとってはなかなか厳しい諺かもしれませんね。
まぁしかし元に戻せない事を嘆いても仕方ありません。
さっさと新しい水を汲んだ方がずっと建設的ですね。
もしくは最初から覆水させないようにするかのどちらか。
私も気をつけましょ。
I権禰宜
こんにちはO権禰宜です、お久しぶりです。
先週21日の月曜日、世間の話題は金環日食一色になりましたね。
皆さんもご覧になられたでしょうか??
実は私、たまたまお休みの日で、熊本の最南端・天草は牛深まで見に行ってきました。
私の妹の嫁ぎ先が牛深なので、このチャンスを逃すまい!と思いきって出かけました。
当日の真夜中の12時半に出発し、休憩を取りつつ、片道6時間半の強行軍でした。
途中小雨がフロントガラスに降りかかり、天候は絶望的。
でも万が一見ることが出来るのでは?と思い、現地に行きました。
朝の6時半、現地の空はドンヨリと鉛色。それでも、雲と雲との切れ間、ほんのりと薄日が差している状態です。
もしやと、期待しつつ時間を待っていました。
周りにいた人も、日食グラスを片手に握っていましたが、太陽は現れません。
丁度、最大に欠ける時間の頃、辺りが暗くなりました。
今最大に太陽が隠れたんだと、周りがざわめきました。
少し時間が経ち、月が太陽を通過した頃、またもとのように明るくなりました。
この世紀の天体ショーは、厚い雲の上で、繰り広げられたんだなと感動。
美しき太陽の女神は、恥じらい深く、その御姿を人々の目のあたりにはさらされませんでした。
次は18年後、北海道ということです。
無駄になった日食グラスは、その時まで大切にとっておきます。
その時、熊本日日新聞のインタビューを受けましたが、ボツになったようです。残念!!